週刊ボードゲーム通信 過去ログ
  2006/6-2007/10 <NO.301-NO.374>

ボードゲーム通信 http://www.geocities.co.jp/Playtown-Yoyo/4569/

 

週刊ボードゲーム通信374号 ゲームを構成する要素を分類する その10 返信  引用 
名前:    日付:10月28日(日) 21時22分
アメリカ製多人数ボードゲームは、シュミレーションゲームから派生したものです。
シュミレーションゲームは、当初は主にWW2における戦闘、特に作戦レベルのものをB題材としていました。時を経て、題材は、戦闘のレベルがより小さいもの(戦術級)や大きなもの(戦略級)に拡がりました。また題材は、WW2より過去や未来の戦争にも拡がっていきました。このようにB題材が多様になることで、Aシステムも多様になっていきました。
続いて、戦争以外の戦いや競争、例えば株式投資やレースやスポーツなどが題材とされるようになり、題材はどんどん多様化していきます。シュミレーションゲームは、基本的に1対1の2人でプレイするものですが、題材が多様になることで、3人以上でプレイするゲーム、つまり多人数ボードゲームが登場することにもなります。題材の多様化の後を追って、システムは多様化していきました。
1990年代前半くらいまで、アメリカ製多人数ボードゲームにおけるシステムの多様化は進み、キャンディデイトは、その頃に出版された独自性のあるシステムのゲームでした。しかし、アメリカでは多人数ボードゲームの出版数が減少したため、多様化は停滞してしまいました。

そして、ドイツゲーの時代になり、B題材とされる戦いや競争はより多様化しました。また、戦いや競争の類ではないものが題材とされるようになりました。このようなB題材の多様化が、Aシステムの多様化につながっていきました。

ドイツゲーの功績はシステムを多様にしたことだ、と言えるでしょう。しかし、システムの多様化はドイツゲー誕生以前から進行していたということも押さえておいた方がよいと思います。題材の多様化が進むことでシステムの多様化が進むということは、ボードゲームの歴史であるということが言えそうです。

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週刊ボードゲーム通信373号 ゲームを構成する要素を分類する その9 返信  引用 
名前:鱶(fuka)    日付:10月20日(土) 22時50分
 みなさんこんばんは、鱶(fuka)です。
一週お休みしてすみませんでした。

 さて、B題材についてですが、ここに三国志を選んでしまうと、
Aシステムが非常に大切なものになると思うのですが、なぜか
三国志ゲーになると、人はシステムよりもまず、能力値をチェックする傾向が
あるのですが…ま、それはともかく。

 テーマというのは、「ボードゲームで一番やりたいこと」ということで
良いですかね。題材が表現したかったりもすれば、交渉ゲーが作りたかったりとか。
私も横さんと同じく、今までテーマといえば、B題材のことを考えていましたが、
それを超えたところに、なにやらありそうですね。

 ところで、「理想的なゲーム」という存在を考えてみれば、AシステムとB題材が
調和しているようなゲームだと思います。自分の持ちゲーを思い返してみると、
テーマの表現力NO1ゲーは、「キャンディデイト」ですね。
テーマの内容としては、アメリカ大統領選挙という題材を再現、ということなのですが、
そのシステムがあまりにぴったり題材とマッチしています。
選挙戦の進み方などに、実際の大統領選挙とは異なる部分もあるものの、
ゲームとして良くできていて、違和感なく仕上がっています。
 そのゲームシステムを、他の題材で使うことは困難で、この題材を、別のゲームシステムで
表現してもこれほどぴったりこないと思うので、テーマの表現力はNO1かな、と思っています。
 
 ラーのシステムの場合、他の題材にこじつけることが可能なところが、
テーマ全体で評価したときに、キャンディデイトほどポイントが高くないところですね。
「理想的なゲーム」では、題材とシステムとが、密接につながっているものです。
しかしながら「理想的なゲーム」は、かぎカッコに入れての表現ですので、
きっとなかなか存在しないものなのだと思います。
 システムが面白いと、題材がどうでも良かったりする部分もあったり、題材の世界にはまると、
システムが二の次になったり。題材がそもそも、ボードゲームに適していないこともあるでしょうね…。

 ではでは、また来週-。

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週刊ボードゲーム通信372号 ゲームを構成する要素を分類する その8 返信  引用 
名前:    日付:10月14日(日) 21時40分
たくさんのボードゲームをプレイするゲーマーは、最近のドイツゲーにマンネリさを感じているかもしれません。私はときどき感じます。これは、前回で述べられた「テーマがあいまいだと半端なゲームになってしまいがち」ということなのかもしれません。ドイツゲーのマンネリ感については考察すべきテーマだと思います。と言っても、ドイツゲーがマンネリ化しているか否かがまず問題です。

オリジナリティーのあるドイツゲーも多く出版されており、そういうゲームが最近減少しているということはないように感じます。出版数としてはむしろ増加しているのかもしれません。ただ、オリジナリティーがあり、かつ面白いドイツゲーの割合は減少しているような印象を持ちます。自分は、あまりボードゲームができていないので、そんなに自信を持って言えないのですが。

オリジナリティーのあるものが継続してデザインされているということは言えそうです。これは、今回のテーマで議論されているように、ドイツゲーのデザインのされ方として、Aシステムからであることが多いことに要因があるのではないかと思います。B題材から入ったら思いつかないような、新奇性のあるドイツゲーがしばしあるからです。

前回で述べられたように、「ゲームとしての面白さ・売りをどこにするかを決めて、それに向かってABを組み合わせていく」というのは、ゲームをデザインするときの一般的な流れなのでしょう。たくさんの人間が協同して作成するコンピュータゲームのデザインであれば、企画書等によって明文化して進行していく必要があるため、なおのことそうなのでしょう。ボードゲームの場合、基本的に1人でデザインされるため、完成までの流れはあまりはっきりしないのかもしれません。デザインするなかで、AシステムとB題材が行ったり来たりしており、デザイナーとしては「何から出発してデザインするのか」と問われても回答しにくいことが予想されます。

さて、ゲームのテーマ=B題材であるとこれまで無意識に考えていた、もしくはゲームのテーマについては思慮外だったかもしれません。なんであれ作品を作る際には、テーマが最重要と言っていいくらいで、ボードゲームについても同様のはずです。要素を分類して考察することで、ゲームのテーマについて議論することができるかもしれません。

ところで、「ラーとラッツィアだと断然前者が面白く感じられる」というのは私の同感です。これは個人的な好みの問題というわけでもないように思います。ドイツゲーにはリメイク作品がわりとあり、これについても、考察のテーマとできそうです。

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週刊ボードゲーム通信371号 「ゲームを構成する要素を分類する」 その7 返信  引用 
名前:金七    日付:10月7日(日) 12時51分
今回ちょっと代打です。
流れが壊れていたら申し訳ありません。

ボドゲ好きで、「自分も面白いゲームを作ってみたいな」と思ったことのある方は結構いる気がします。
実際作るのはなかなか大変ですが、構想だけなら自由に出来ますよね。
そのときゲームとしてカテゴライズするのに必要不可欠な@以外の要素はどう構成されていくんでしょうか。
クニツィアの例があげられていますが、この辺は人それぞれでしょう。
あえていうならゲームとしての面白さ・売りをどこにするかを決めて、
それに向かってABを組み合わせていく感じでしょうか?
「熱いレースの再現」「リアルな歴史物」「多人数で手軽に出来る」「最高のゲームバランス」等々のテーマがまずあって、
必要に応じてAシステム(メカニズム)とB題材が決定されていくわけです。

テーマに対するデザイナーとプレイヤーの視点は違いますが、
ゲームを構成する要素としては結構肝心な部分ではないでしょうか?
メインテーマがしっかりしていると各要素の取捨選択がきっちりできます。
例えばラーとラッツィアの例だと、「競りの面白さとゲームバランス」が肝なので、
@Aは手を入れられないけど、Bはいくらでも変えられるわけです。
逆に「相撲をボードで表現」となるとAの部分は「これじゃなきゃ」というものはない気がします。
テーマがあいまいだと半端なゲームになってしまいがちでしょう。
とりあえず旬の○○物で一発みたいな作られ方をしたゲームは、題材(だけ)ゲーに対する私達の警戒を経験的に高めてくれます。

私としては、@ABの各要素を再分類もしくは細分化することは無理なので、
今回はゲームのテーマという要素(もしくは考え方)を持ち出すことによって、各要素の関連性を考えてみました。
自作PCの例で言えば「静音」「3D特化」みたいな感じですね。
好きなゲームはAとBどちらによるものなのか、という疑問に対する答えとしても、
「テーマによる」とすればABどちらも含んだ回答にならないでしょうか。
もっとも、ラーとラッツィアだと断然前者が面白く感じられる私では説得力ないでしょうね。

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週刊ボードゲーム通信370号「ゲームを構成する要素を分類する」その6 返信  引用 
名前:    日付:9月30日(日) 15時48分
 『ボードゲーム天国』の記事で、「ラー」についてデザイナーのクニツィアが言っている通りなら、Bは「味付け要素」よりも「題材」とした方がよいですね。
ボードゲームをデザインするときには、「題材」がないと難しい、またはデザインするのにあまり面白くないと思うのですが、「メカニズムから、ゲームを作っていくことが多い」のであれば、ちょっとストイックですね。
このデザイン方法は、自作パソコンを製作するときのように、部品を組み合わせるような作業になりそうです。ドイツゲーで中型から大型のものには、他のゲームで使われていた仕組みが見られやすく、組み合わせて作られた感があるものがよくあります。
たくさんのゲームを製作するデザイナーにとっては、組み合わせ的な作り方は効率的でしょう。商業主義的な要請は確かにあるでしょうが、手抜きというわけでもないように思います。
ところで、シュミレーションゲーム・TRPG・TCGは、ドイツゲーよりも組み合わせ的な作り方がされています。ジャンルが異なっても、合理性の追求が進展すると、同じような道筋をたどっていくのでしょうか。
ただし、ドイツゲーには組み合わせ的な作り方がされていないものも多くあります。特に小型のドイツゲーのシステムは、オリジナリティーに富んでいるのではないかと思います。

 ”ゲームの骨子となる要素”が好きなのか”題材”が好きなのかは、今まで特に分類して考えてはいませんでした。そこで考えてみましたが、ドイツゲーに関しては、題材は味付けみたいなものなので、ほとんどは”ゲームの骨子となる要素”で決まるのではないかと思います。
”題材”に興味があってプレイしてみたいと思うゲームも、時々あるにはあります。自分は、これまでになかったような変わった”題材”が好きのようです。例えば、「ドリュンター・ドリューバー」のようなものです。前回でも述べられたように、変わった”題材”のボードゲームには、何度もプレイしたいとは思わないものがよくあるようで、値段が普通以上であれば購入は慎重にしてきました。
ゲーム大賞を取るゲームでも、変わった”題材”のものはあまりないような気がします。全体に占める比率が少ないためかもしれませんが、変わった”題材”のボードゲームは、無意識の中では受け入れられにくいということはあるのかもしれません。

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週刊ボードゲーム通信369号「ゲームを構成する要素を分類する」その5 返信  引用 
名前:鱶(fuka)    日付:9月23日(日) 11時6分
 みなさん、おはようございます、鱶(fuka)です。

 そうですね、題材というのはいい言葉ですね。

 ところで、ゲームを作る時に、「ラー」の場合は、実はテーマからスタートした
らしいです。「エジプトというトピックから入ったと述べている」そうです(『ボードゲーム天国』p101)。そういうゲームでも、別テーマに移植できてしまうところが、ドイツゲームらしいですね。
ただ、もともとクニツィアは「メカニズム」から、ゲームを作っていくことが多いみたいにも
書いていました。(同じく『ボードゲーム天国』p101)

 今まで適当に、ボードゲームの要素について書いてきて、その要素を
同じように並べてきましたが、多少区別した方が、心情的にすっきりしました。
 そして、少し実用的にこの分類を使うとすると、好きそうなゲームの傾向を
見るのに使えますかね?
 なぜそのゲームが好きなのかを考えた場合に、”ゲームの骨子となる要素”が好きなのか
”題材”が好きなのかを分析して、より冷静にゲームを見ることができるのではないでしょうか。

 私の場合は、未所持&未プレイですが、ボードと宇宙船を見ただけで、「宇宙カタン」は結構好きです。
カタン自体はそれほど好きでないことを考え合わせると、題材というのもプレイヤーに影響を与えるものですね。
ただ、題材だけでゲームを選ぶと(買うと)、良くないことが起こりがちです…。
 「エルグランデ」の場合は、それとは真逆ですね。スペインの歴史(?)にはほとんど興味はないですが
ゲームの骨子となる要素--陣取りと言ってしまっては単純すぎるかも--が気に入っています。

 ところで、話が変わりますが、今朝のFM802で、2007年ゲーム大賞の「ズーロレット」が紹介されていました。superfine sundayという番組の中の、global timesというコーナーです。世界各地のとっておき
情報の紹介ということで、ドイツがボードゲームの先進国で、年間300以上のゲームが発売されている、
ということや、「6ニムト」とか、ゲーム大賞を受賞した「カタン」にも触れていました。
普通のFM局でボーゲーの話を聞くとは思ってなかったです。

 ではでは、また来週-。
 
 

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週刊ボードゲーム通信368号「ゲームを構成する要素を分類する」その4 返信  引用 
名前:    日付:9月16日(日) 21時38分
具体的なボードゲームで考えると、やけにあっさりしてしまいますね。
このようなシンプルな分類でいいのか、この分類の意義はどういうところにあるか、ということは保留して、とりあえず前回について細かい指摘をします。

まずは、タイルについて。
カルカソンヌのタイルは「ゲームの骨子となる要素」としての「タイル」と言っていいでしょうが、ラーのタイルは「ゲームの骨子となる要素」としての「タイル」とはしない方がよいと思います。
ラーのタイルは、機能としては表示コマにすぎず、タイルの形状をしていなくても構わないからです。ボードゲームにおいて「タイル」と言うからには、繋げることでなにかが形成されていったり、ボードに配置されたり交換されたりしてマップ(世界)を構築・変化させるようなものです。

それから、Bの「味付け要素」について。
「味付け要素」としては、カルカソンヌは「歴史」よりも「中世の城塞都市」に、ラーは「エジプト」よりも「古代エジプト」くらいに絞った方が、より具体的になってイメージがわきやすいと思います。ただしそうすると、この連載で取り上げてきたテーマを統合するという狙いが薄れます(「歴史の要素」は過去に取り上げられた)。その路線ならば、カルカソンヌもラーも、Bは「歴史」としてしまってよいかもしれません。

次に、「味付け要素」という表現について。
ドイツゲーに限定するなら、Bを「味付け要素」というのは言い過ぎでもないと思います。揶揄の意味もこめて、これでいいのではないでしょうか。
ドイツゲーには、何かをシュミレートするという発想が基本的にないと思われます。
ドイツゲーのデザインの一般的な流れは、「ゲームシステムが一旦完成した後、Bが後付けされ、整合性を高めるためにゲームシステムが調整されて、ボードゲームが完成する」というものではないかと予想します。
完成したボードゲームがあまりしっくりこないものであれば、Bを他のものに変えて再度ゲームシステムが調整されるのではないでしょうか。
ドイツゲーでは、「ラー」がリニューアルされて「ラッツィア」となったように、@A(システム等)はほぼ同じでBが異なるものが、ときどきあります。
ドイツゲーには限定せずボードゲーム全般でいうならば、Bは「題材」と表現する方が適当ではないかと思います。SLG、TRPG、アメリカ製のマルチプレーヤーゲームは、Bありきでゲームがデザインされることが一般的であるため、「味付け」ではないからです。

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週刊ボードゲーム通信367号「ゲームを構成する要素を分類する」その3 返信  引用 
名前:鱶(fuka)    日付:9月9日(日) 21時57分
 みなさんこんばんは、鱶(fuka)です。
以前に一般掲示板で書いていたカルカソンヌ(Xbox360)ですが、
結局完全版をダウンロードしました。夜な夜な対戦三昧なので、
かなりいい感じです。横さんとか金七さんが対戦相手になってくれれば、
さらにいいのですが、望み薄?

 さて、前回の続きですが、AとBを統合すると、かなりすっきりしますね。
そこで、早速、カルカソンヌの要素です。
A ゲームの骨子となる要素… タイル、パズル
B 味付け要素…歴史

うーん、あっさりですね。

 同じ要素であっても、ゲームによって位置づけや重要度はかなり違います。
ラーの要素は、
A 競り、タイル
B エジプト
 ですが、ラーにおけるタイルは、カルカソンヌにおけるタイルの重要性と比べると
まったく重要ではありません。ただの表示コマです。
 
 それにしても、Bの味付け要素というのは言い過ぎですかね。
ゲームシステム原理主義みたいになってしまいましたが…。実は味付け要素に見えて、
TRPGの世界では、それこそが重要だったりしますよね。SLGも同様に、川中島だったり、
ナポレオンだったりする方が燃える、ということがありそうです。
TRPG、SLGでは、ゲームシステム以上(あるいは同等)に、その世界観がゲームの骨子になって、
この違いは、前に出てたドイツゲーを考える上でのポイントに関連していますかね。

 ではでは、また来週。

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週刊ボードゲーム通信366号「ゲームを構成する要素を分類する」その2 返信  引用 
名前:    日付:9月2日(日) 21時30分
前回の分類について、AとBを統合した方がよいのではないでしょうか。
A一次的要素とB二次的要素は、そのゲームをどう捉えるかによって変化するからです。

例えば、「ロイヤルターフ」は、競馬のゲームです。プレーヤーは、着順を予想してお金を賭けます。
ゲームを構成する要素のうち、「骨子となる要素」(A+B)としては、賭け・心理戦・レースがあります。
これらの要素を順位づけすると、どうなるでしょうか。

勝利条件(賭けによって得たお金)から考えると、1番重要なものは「賭け」となるでしょう。
その中で「心理戦」が発生します。どの馬に賭けるかはプレーヤーが順番に決定していき、特にヴァリエーションルールを使用すると、賭ける金額が非公開であるためです。よって、2番目に重要な要素は「心理戦」となるでしょう。
その後のレースは、順位を決めるための処理にすぎません。よって、「レース」は3番目となります。

他の観点からも、順位づけができます。
このゲームにおける賭けは、一般の競馬とは異なり、参加者はプレーヤーのみです。したがって、勝利するために最も重要なことは、「心理戦」であると考えることもできます。その観点では、1番重要な要素は「心理戦」であると言えます。

また、レースはゲームの大部分の時間が費やされるものであり、また盛り上がるところです。その観点では、1番重要な要素は「レース」であると考えられます。

以上のように、要素の順位づけは一概には言えない事柄です。
したがって、AとBを統合して、下記の通りとするのがよいと思います。

@ 必要不可欠な要素…勝利条件、戦略、運、時間
A ゲームの骨子となる要素…競り、レース、パズル、交渉、心理戦、タイル、推理、アクション
B 味付け要素…歴史、ファンタジー

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週刊ボードゲーム通信365号「ゲームを構成する要素を分類する」その1 返信  引用 
名前:鱶(fuka)    日付:8月26日(日) 19時26分
 みなさんこんばんは、鱶(fuka)です。

今回から、ゲームを構成する要素について、書いていきます。
前に書いた分類をとりあえず使って、今まで出てきた要素を分類してみました。

@ 必要不可欠な要素…勝利条件、戦略、運、時間
A ゲームの骨子となる要素<一次的要素>…競り、レース、パズル
B ゲームの重要な部分を担う要素<二次的要素>…交渉、心理戦、タイル、推理
  アクション
C 味付け要素…歴史、ファンタジー


 Aは、○○ゲーとか略せる感じで、Bは、ゲームシステムをとなるもの?
AとBの境界がなんか微妙ですよね。同じことになってますか?

 ゲームの構成を考えてみました。、
@ 必要不可欠な要素
 すべてのゲームに、すべての要素が含まれる。
 勝利条件がなければ、ゲームが終わらない。あえてですが、戦略性も、運の要素も含んでこその
ボードゲームと定義します。時間というのは、ゲーム中の時間経過です。ターン制だったり
実時間を使ってたり、ゲーム内のタイムラインというか。
 ボードゲームは、これらすべての要素を含みます。

A ゲームの骨子となる要素
 この要素に含まれるものの中から、1つをチョイスします。
どんなタイプのゲームになるかが決定されます。

B 重要な要素
 この要素からは、いくつかチョイスすることができます。
これで、ゲームシステムが決定されます。

C 味付け要素
 適当に選ぶことができます。SFでも、歴史でもファンタジーでも
ゲームの雰囲気に合わせたものをチョイスします。
 何でもいいのですが、クトゥルーなどの、マニアックな味付けをしてしまうと、
ついていけないプレイヤーが出てきてしまう恐れがあります。
何も味付けをしないと、アブストラクトゲームになります。

 こんな感じの要素で、ボードゲームは構成されている気がしますが、どんなもんでしょう。
 ではでは、また来週。

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週刊ボードゲーム通信364号「レースの要素」その9 返信  引用 
名前:    日付:8月16日(木) 19時17分
ここまで来て言うのもなんですが、レースがゲームの骨子(ゲーム構成上の一次的要素)となっているレース系ボードゲームは、あまり面白くないと思います。
有名な「アベ・カエサル」でさえ、べつだん面白いゲームでもないです。昔アバロンヒルから出ていたF1レースのボードゲーム「スピードサーキット」も、そうでした。

熱くなってこそレースなのですが、熱くなれそうでなれないのがレース系ボードゲームです。
まず、カードを出したりダイスを振ったりしてコマを進めていくことは、ちまちましていて貧乏くさいです。
そして、プレイヤーのコマが一人毎に進んだり、フェイズが分かれていたりするため、時間が進んだり止まったりして、スピード感がありません。
また、マップを見下ろすプレイヤーの視点は、レースをしている者の視点と大きく異なります。

つまり、レース系ボードゲームにはリアル感がないのです。
レースを再現するシュミレーション性が高いゲームであったとしても、プレイヤーはどちらかと言うとレースの観戦者であって、レースの参加者ではないのです。

この問題を克服する1つの方法は、レースをゲーム構成上の二次的要素とすることです。
例えば、「モンスターメイカー」や「ロイヤルターフ」のように、レースをお金の獲得の手段とすることです。
レースが二次的要素となっているゲームには、面白いものがわりとあると思います。

ということで、「レースの要素」についてもう一回続けました。

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Re: 週刊ボードゲーム通信364号「レースの要素」その9
名前:鱶(fuka)    日付:8月26日(日) 18時59分
レース系ゲームは確かにいまいちです。これはやっぱり、ターン制の限界なんでしょうね。
レースそのものの面白さは、リアルタイム性と不可分のものですものね。
 以前のボゲ通275-278号で「リアルタイムあるいは時間の要素」というテーマがありましたが、
ボードゲームはリアルタイムで物事を進めるのが、あまり得意ではないので、仕方ないと言えましょう。
トランプの「スピード」みたいに展開していければ、ちょっと面白くなりそうじゃないですか?どうでしょう。
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週刊ボードゲーム通信363号「勝利への道」 返信  引用 
名前:鱶(fuka)    日付:8月12日(日) 22時17分
 みなさんこんばんは、鱶(fuka)です。
いつものボードゲームの要素シリーズにしようとしたのですが、
久しぶりに買ったボードゲームが、結構面白かったので、それの紹介をします。

 「勝利への道」は、2〜6人でプレイできるボードゲームです。
ゲームボードはタイルです。タイルはスタートからゴールまで並べられ、
・プラスタイル(1点〜8点)
・マイナスタイル(−1点〜−10点)
・ラッキータイル(獲得したマイナスタイル1枚をプラスタイルにすることができる)
の3種類で、一直線に構成されています。

 各プレイヤーは、それぞれ3つのコマ(5,6人でプレイする場合は2個)を
スタート地点におきます。番人コマというコマを、ラッキータイルの上と7,8点の
プラスタイルの上に置きます。
 自分の手番ではダイスを振って、出た目の数だけ自分のコマを動かします。
その際、自分のコマの代わりに、プレイヤーコマが一緒に止まっているタイル上の、
番人コマを動かすこともできます。ダイス目の分割はできません。
 
 自分のコマを動かすときに、その自分のコマしかない状態であれば、その動いた元のタイルを
獲得しなければなりません。他プレイヤーのコマや番人コマがいると、タイルは獲得できません。
 全員のコマがゴールした後、得点を数えて一番点数が多かったプレイヤーが勝利します。

 作者はWolfgang Kramer & Michael Kiesling。このコンビ、「トーレス」、「ティカル」
なんかは、あからさまに頭を使う雰囲気でしたが、この「勝利への道」は、ルールも単純で、
そこまでの雰囲気は感じさせません。しかし、高得点タイルや、ラッキータイル上で、最後まで
がんばってタイルを獲得しようと、みんなで渋滞していると、ちょっと頭脳を使わないと、
という気にさせられます。当然ダイス目次第の部分もありますが、戦術も重要な気がします。
 1プレイが割とすぐ終わるので、とても遊びやすい良ゲーです。

 それでは、また来週。

Verflixxt!(「勝利への道」)/Wolfgang Kramer & Michael Kiesling(作)
RAVENSBURGER(発売), 2005
2-6人, 30分
鱶(fuka)の個人的評価:4 (良い) 結構面白い。

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週刊ボードゲーム通信362号「レースの要素」その8 返信  引用 
名前:    日付:8月5日(日) 22時3分
普通に考えると、レース系ボードゲームが少ないのは、コンピュータゲームがあるからでしょう。
コンピュータのレースゲームはどんどん進化していき、現実のシュミレーションという点ではボードゲームはかないません。
このため、レース系ボードゲームはあまりデザインされないと考えられます。
これは格闘系のゲームなどでも言えます。
ボードゲームは、一瞬の勝負から撤退したということでしょう。

しかし、コンピュータゲームに敵わなくなったジャンルを諦めることは、出版社・消費者の思い込みではないでしょうか。
面白さでは、ボードゲームが勝る余地はあります。
リアルだから面白いとは限りません。
また、ボードゲームは、コンピュータゲームほどプレイヤーの技量が問われず、技術において敷居が低いため、参加者全員が楽しみやすいです。
ボードゲームの特性をいかせば、面白いレース系ゲームを作ることができるでしょう。
コンピュータゲームの弱点をカバーすることを目指してもいいですし、コンピュータゲームを端から意識しなくてもよいと思います。

ボードゲームをデザインする上で腕の見せどころは、削ぎ落としにあると思います。
複雑なものをシンプルにしたのが、ボードゲームです。
ドイツゲーは、アメリカのボードゲーム、特にシュミレーションゲームに対するアンチとして、これを主張しようとしたのではないでしょうか。

さて、ドイツゲーが架空の世界を扱うことが多いのはなぜかということは、1つのテーマとして別途論じられるような課題です。ただし、難しそうではあります。
仮設としては、前回で述べられたものが1つあります。
他に、先に述べた事柄につながりますが、現実世界のシミュレーションはコンピュータゲームに任せて、ボードゲームは架空の世界で行こうとされたためということも考えられます。


そういうことで、次回に関しては、お任せしますね。

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週刊ボードゲーム通信361号「レースの要素」その7 返信  引用 
名前:鱶(fuka)    日付:7月29日(日) 21時48分
 みなさんこんばんは、鱶(fuka)です。
選挙行きました? 私は月曜日に、期日前投票をしときました。

 ところで、先日久しぶりにモノポリーをしました。なんと、プレイ人数いっぱいの
8人でやったのですが、なかなか土地がそろえにくくて大変ですね。
前に名前が挙がったモノポリーですが、8人もいると、あっという間にコマが入り乱れて、
誰が何週目にいるのか分からなくなって、やはり、あまりレースをやっている感はなかったです。
レンタル料の徴収や、交渉、止まりたいマスに向けてダイスに念をこめたりすることに
忙しいからかもしれません。

 ドイツゲーが架空の世界を扱うことが多いのは、きっとその方がゲームのデザインがしやすいからでは
ないでしょうか。現実世界をシミュレートするということは、きっと原作付きのゲームを作る時のように、
現実を無理にゲームに落とし込むと、ゲーム的な面白さを損なう場合がある、と考えているのではないかと、
まったく何の根拠もないことを思ったりしているのですが、どうでしょう。

 さて、前回の最後に挙げられた、ゲームの要素の分類についてですが。
「ゲームの骨子となる要素」と「ゲームの重要な部分を担う要素」は似ていますね。
レースゲーム、競りゲー、戦略ゲーなど、その要素の名前を冠したゲームがあるものは、
「ゲームの骨子となる要素」となる気がします。
 そのゲームにおいて、そこまでではない重要な要素は「ゲームの重要な部分を担う要素」
でしょうか。
 それぞれをもっとぴったり来る名前にしたいですね。
ゲーム構成上の一次的要素と二次的要素みたいな…よけい分かりにくいですね。
 
 次回からは、ゲームの要素の分類を考察していきますか?
 

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週刊ボードゲーム通信360号「レースの要素」その6 返信  引用 
名前:    日付:7月22日(日) 21時6分
「ミシシッピークイーン」は、未プレイです。文化祭のときに持ってきている人がいたのでプレイしてみたいと言ったのですが、「何が面白いのか分からないゲーム」ということで却下されてしまいました。
「イモムシイモムシ」は、おはじきのような石をつなげて作ったイモムシを競わせるゲームですよね。これなら何度かやりました。ルールの説明を聞くと、「それでゲームになるのか?」と思いましたが、プレイすると意外と面白いです。頭は使わないですが、すぐに終わりますし、たまにやってもいいゲームです。順位を競う純粋なレースゲームで、みんなが熱くなれますし。

バイクレースのボードゲームは知らないです。
自動車レースのボードゲームは存在していますが、現実世界ではレースと言えばモーターレースであるわりには少ないです。1980年代以前のアメリカ製のボードゲームで、似たタイプの自動車レースがいくつか作られていたと記憶しますが、最近はほとんどなさそうです。
近年、特にドイツゲーでは、馬車やウサギやロボットなど様々なものの競争がボードゲームとなっており、ファンタジーやSFの世界であることが多いです。これはどういうことでしょう。
ドイツゲーでは、昔の世界、架空の世界、特殊な世界などを題材とすることを好みます。現実世界を題材にすること、それをシュミレートすることは少ないです。このことは、「ドイツゲーとは何か」という大問題を考察するためのヒントとなるのではないでしょうか。

ボードゲームの要素の分類が話題に挙がったのは久方ぶりですね。前回のような分類方法ならば、分かりやすくまた分類する楽しみも生じると思います。
ところで、「アベ・カエサル」のようなレース系ゲームであれば、レースは「ゲームの骨子となる要素」ですが、「ロイヤルターフ」のように競馬がテーマとなっているゲームの場合、レースは「ゲームの骨子となる要素」なるのか。それとも「ゲームの重要な部分を担う要素」にした方がいいのでしょうかねえ。

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週刊ボードゲーム通信359号「レースの要素」その5 返信  引用 
名前:鱶(fuka)    日付:7月15日(日) 23時32分
 みなさんこんばんは、鱶(fuka)です。アメフトワールドカップで
日本が惜しくもアメリカに延長戦で敗れてしまった今日この頃、いかがお過ごしですか。

 さてさて、レース系ゲーム他に何があったっけ、と思い『ノイエ 9号』を
引っ張り出してきました。「特集 爆走!熱走!レースゲーム大集合!!」ということで、
もっと早くチェックしておけば良かったです。

 早速目を通すと、
「フォーミュラデー」
「カラバンデ」
「ターフマスター」
「アブディポスト」
「ミシシッピークイーン」
「イモムシイモムシ」
といったゲームが挙げられていました。

 どれも未プレイでした…。
「ミシシッピークイーン」はちょっとやりたいと思ってたんですけどね。
レビューを見てみると、船が進むごとに進路も明らかになっていくために、
先頭の船はスピードが出しにくく、混戦になりやすくなっているようです。
 横さんはプレイしたことあると言ってましたっけ?

 レースの要素がゲームにあると、みんなが熱くなれる気がしますね。
ゲーム自体の目的もとてもわかりやすいですし。
 バイクレースのボードゲームはないのでしょうか? 誰か作ってください。 

 レースの要素は、ボードゲームに必要不可欠な要素ではないですが、ボードゲームにおける、
メインの要素になることができる、基本的な要素という感じです。

 ところで、ボードゲームの要素を以下のように分類してみたのですが、どうでしょう。
・必要不可欠な要素…勝利条件、戦略
・ゲームの骨子となる要素…競り、レース
・ゲームの重要な部分を担う要素…交渉、心理戦
・味付け要素…歴史、ファンタジー

 それでは、また来週。
 

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週刊ボードゲーム通信358号「レースの要素」その4 返信  引用 
名前:    日付:7月8日(日) 22時24分
すごろくは、もっとも古くからあるボードゲームかもしれません。そうすると、レースゲームがもっとも古いタイプのボードゲームだということになります。

さて、今回はすごろくについて考察します。
我々が子供の頃、日本の子供向けボードゲームは、すごろくでした。
すごろくは、子供でもルールが分かりやすく、またプレイもしやすいということが大きな理由でしょう。ついでに言うと、メーカーにとってデザインしやすいという理由もあったでしょう。

私も「人生ゲーム」などのすごろくゲームを、小学生のときによくやりました。自分の家に友人が来てやる遊びといえば、ボードゲーム、主にすごろくでした。暇なときには「人生ゲーム」をソロプレイでやったり、すごろくを自作したりもしていました。
なので、すごろくは面白かったのでしょう。

さて、すごろくの面白さはなんでしょうか。
まず、ダイス振りやルーレット回しでしょう。
大きな数字が出てたくさんのマス目が進めたら嬉しいですし、いい出来事が起こるマス目に止まれたら楽しいです。そして、1着でゴールに到達したときには達成感があります。
それから、マス目に記されている出来事が様々あるので、体験として楽しいです。アニメ作品などをゲーム化したキャラゲーだと、その世界が体感できる楽しさがあります。

では、すごろくの面白くなさはなんでしょうか。
いい目が出ないときにはストレスがたまります。悪い出来事が起こるマス目ばかりに止まることは理不尽です。運で勝敗が決まるゲームであっても、勝てれば楽しいのですが、勝つことができないと面白くありません。
それから、何度かプレイしてマス目に記されている出来事を一通り把握してしまうと、新鮮味が薄れてきます。すごろくは、消費的要素の強いボードゲームだと言えます。

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週刊ボードゲーム通信357号「レースの要素」その3 返信  引用 
名前:鱶(fuka)    日付:7月1日(日) 22時53分
 みなさんこんばんは、鱶(fuka)です。
私も、横さんと同じく、あまりレースゲーには興味が薄く、
それほどプレイした覚えがありません。
 ゲームの要素としては、わりと大きな要素のような気がしますが、
なぜか今まで忘れてました。

 レースゲーではなくても、レースの要素を含んだゲームが数多くあるのは、
レース自体が、きっと、人類誕生のころから、存在するからだと思います。
と、いうか、動物とかも競争したりするので、もっと大昔からでしょうか。
 競争は、本能に根ざした行為なので、ゲームにするときも非常にわかりやすい
要素です。相手プレイヤーよりも一歩でも先んじるようにします。
 人生ゲームなんかも、「レースの要素を含むゲーム」ですね。
 すごろくも、言ってみればレースゲーですよね。

 前回挙げられた「モンスターメイカー」ですが、レース系の要素に加えて、
相手を直接的に「妨害」できる点がこのゲームを良ゲーにしているゆえんでしょう。
トップの人が妨害されることによって、抜きつ抜かれつの勝負が展開できます。
その辺のカードバランスも絶妙で、プレイヤーの駆け引きにも非常に熱が入ります。
 (レースの要素の次のテーマは「妨害の要素」、というのはどうでしょう?)

 一風変わったレースゲーに、「クレージーダービー」というカードゲームがあります。
各プレイヤーは、手札を6枚持っています。手札には、ラクダ、イヌ、ゾウ、ニワトリ、カメの
いずれかの動物が描かれています。プレイヤーは自分の手番に、1枚カードをプレイします。
 それぞれの動物は、
ラクダ…3枚
イヌ…4枚
ゾウ…5枚
ニワトリ…6枚
カメ…7枚
 全プレイヤーの合計で、上記のカードの枚数がプレイされると、
その動物がゴールしたことになり、ゴールした動物をプレイした人は、
出した枚数分だけ、ポイントが獲得できます。
 ラクダは3枚でゴールできますが、カメは7枚もかかってしまいます。
うまくみんなが続けて出しそうなカードをプレイして、点数を稼いでいくゲームです。
 みんなで協力&非協力しつつ、レースを進めていくので、2〜5人用ですが、
4,5人いた方が、だんぜん楽しいゲームです。

 それでは、また来週-。

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週刊ボードゲーム通信356号「レースの要素」その2 返信  引用 
名前:    日付:6月24日(日) 19時59分
「レースの要素」は、これまで取り上げてきたテーマとはかぶらない新しい分野ですね。
今まで取り上げられなかったのは、関心が薄かったからかもしれません。自分自身、レース系のゲームはほとんど所有していませんし、プレイ経験も少ないです。
しかし、なにかしら語れる事柄はありそうな気がします。

さて、レース系ゲームの範囲を考えてみます。
普通に考えると、レースを表現したゲームでしょう。
前回に挙がった「アベ・カエサル」、「80日間世界一周」などです。
レースの勝利条件はゴールに到着した順位なので、レース系ゲームの勝利条件もそうなっています。

そういうもの以外に、レースのようなことをするボードゲームがあります。
例えば「モノポリー」です。
これはレース系ゲームと言えるのでしょうか。
「モノポリー」では、コマを人より先に進めているプレーヤーほど物件を買うチャンスが多く、また一周するごとにお金が獲得できるため有利ですが、周回回数をカウントしないため順位ははっきりとせず、スピードを競うレースとは言えません。
ただ、レースをしている感覚は少しあります。
しかし、勝利条件はコマ順位ではなく、破産しないこと、つまり獲得したお金ですし、テーマが不動産の売買であるため、レース系ゲームの範疇には含めないほうがいいように思えます。

それから、「モンスターメイカー」もレースのようなことをするカードゲームです。
これは、ダンジョンを進み宝物を獲得した後、戻ってくるゲームです。
1位でゴールするとボーナスが獲得できるため、スピードを競ったほうが有利であり、基本的には皆1位を目指します。
しかし、勝利条件は獲得したお金であるため、純粋なレースではありません。
レースをしている感覚については、まあまああります。
例えば、トップのプレーヤーは、たいてい妨害のターゲットとされます。また、後をじっくりと進んでいき、終盤でラストスパートをかけるという戦術もあります。
「モンスターメイカー」はレースの要素が強いため、レース系ゲームの範疇に含めたほうがいいように思います。

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週刊ボードゲーム通信355号「レースの要素」 返信  引用 
名前:鱶(fuka)    日付:6月17日(日) 22時41分

 みなさんこんばんは、鱶(fuka)です。
プロ野球交流戦も半ばを過ぎた今日この頃、いかがおすごしでしょうか。

 今回は、久しぶりに、ボードゲームの要素シリーズにしてみます。
というわけで、「レースの要素」です。
 レース系のゲームといえば、うちには「アベ・カエサル」、「80日間世界一周」があります。

 「アベ・カエサル」はレースそのもので、出した数値カードの分だけ、戦車を進めます。
ポイントはやはり、コース取りでしょう。インコースはマスの数が少ないので、そこを通ると非常に
有利です。レースでは当然のことながら、同じマスに戦車を入れることが出来ませんので、
追い越しは非常に数値を消費してしまいます。(MOTO-GPとかでタイヤを消費してしまうような
イメージですね)

 「80日間世界一周」では、世界の都市を巡るので、さすがに同じマスに何人でも入ることが出来ます。
このゲームでは、ルートによって船カード・鉄道カードが規定の枚数だけ必要になります。
そして、移動時には、それぞれのカードに書かれた日数を消費します。鉄道カードにも
鈍行列車くらい日数がかかるものから、日数が少なくてすむ特急まであります。
こちらのゲームは、コース取りの妙は、あまりありません。ルートは一本道で、数か所だけ、
必要カードの組み合わせが違う道があるだけです。システム的に、日数が多くかかることはありますが、
カードがなくて移動できないことは、ほとんどありませんので、比較的デッドヒートになりがちで
わりと盛り上がったりします。

 レース系のゲームは構造的に、先攻有利です。現実のレースでは、スターティンググリッドの
前後はあっても、全車同時にスタートするのですが、ボードゲームの世界では、ターン制が採用されているので
順番に進んでいきます。ゴールを目指すゲームでは、明らかに先に行く方が有利ですので、
そこはファイナルラップなしかけが、各ゲーム用意されています。
 「アベ・カエサル」では、(なぜか)先頭のプレイヤーは、最大数値の「6」のカードが出せません。
また、各プレイヤーが持つ数値カードは同じです。
 「80日間世界一周」では、各都市で、べったのプレイヤーにボーナスがあります(最先着のプレイヤーもですが…)。

 と、いうわけで、レース系ゲームでは、最後までいい勝負が出来るようにするための、
ドーピングシステムが結構重要みたいです。

 では、また来週-。

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週刊ボードゲーム通信354号「どうすればゲームブックは生き残れたのか」その3 返信  引用 
名前:    日付:6月10日(日) 23時15分
ゲームブックが滅びたのはコンピュータゲームに敗北したため、というのが一般的な仮説です。
この仮説の妥当性は、まだ検討の必要があると思います。
というのも、自分についてはこの仮説が当てはまらないからです。
私は子供のときからコンピュータゲームをあまりやりませんでした。コンピュータゲームへの関わり度合いは、同世代の平均以下であると思います。コンピュータゲームはボードゲームほど面白くないという立場を一貫して取っており、コンピュータゲームよりもゲームブックが好きでした。

1990年頃まではゲームブックをほどほどにしていましたが、それ以降はやらなくなりました。ゲームブックからコンピュータゲームに移ったかというと、そうではありませんでした。ボードゲームやテーブルトークRPGの方は、それ以降も続けてやっていました。
ゲームブックだけをやらなくなったのはどうしてでしょうか。

自分がゲームブックをやらなくなった1990年代初頭は、ゲームブックの時代の末期です。
このときの状況に触れたいと思います。

末期においても、社会思想社と東京創元社から出版されたものが最もメジャーでした。
社会思想社のファイティングファンタジーシリーズの後期のものは、全般に印象が薄いです。第4巻『さまよえる宇宙船』のようにできが悪いと感じられるようなものはなく、どれも佳作と言えると思いますが、インパクトに欠けました。
ファイティングファンタジーシリーズは、1991年に出版された第33巻『天空要塞アーロック』が最後となっています。

東京創元社から出版されていたゲームブックは、翻訳されたものと日本人作家のものがありました。
前者は、ファイティングファンタジーシリーズ後期と同様に、印象が薄いです。また同様に佳作でした。
後者が占める割合は、徐々に増えていきました。しかし、こちらは総じてあまり面白く感じられませんでした。それから、パラグラフ数が増え、クリアーするのに時間がかかるようになっていったと思います。

末期においては、社会思想社と東京創元社ともに、翻訳されたものは小粒、日本人作家のものは質が低かったです。
そしてゲームブックは出版されなくなりました。
自分にとっては小粒のゲームブックでよかったのですが、出版されなくなったためプレイできなくなりました。

近年、再びゲームブックがいくつか出版されました。
もしファイティングファンタジーシリーズの未訳のものが出版されたら、たぶん買うでしょう。


さて、ゲームブックについては、細かいことであればまだ話題にできそうではありますが、そろそろ話題をかえてもいいかと思います。

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週刊ボードゲーム通信353号「Catan」 返信  引用 
名前:鱶(fuka)    日付:6月3日(日) 22時23分
 みなさんこんばんは、鱶(fuka)です。
ゲームブックは、今のところ復活の目はなさそうですね…。
プレイ人数ではボードゲームにかなわず、処理速度ではcpuにかなわないということで。

 というわけで、今回はゲーム紹介をしてみようかと思います。
タイトルを見て、なぜにカタン…? と、思った方も多くいると思いますが、
Xbox360版カタンです。
パッケージソフトではなく、ネットにつないでダウンロードするもので、
値段は1,200円ぐらいです。
 画面写真等は下記のサイトをご覧ください。

http://www.xbox.com/ja-JP/games/c/catanxboxlivearcade/

 Xbox360では、ゴールドメンバーシップを買えば、オンラインで対戦し放題
という環境が手に入ります。1か月のメンバーシップで、819円、12か月だと
5,229円なので、1か月あたり436円で対戦し放題となります。
 はっきりいって、日本では39万台くらいしか売れてなくて、マイナーハードですが、
世界累計では1,100万台も売れてたりするので、「おそらく」対戦相手には困らないことでしょう。
 なぜおそらくなのかというと、私自身が、今はゴールドメンバーシップでもなく、
カタンも体験版をダウンロードしただけなので、オンラインでの混み具合が良くわからないのです。
 そして、特にカタン好きでもないので…。
 どこかが、エルグランデ出してくれないかなあ、と思う今日この頃です。

 それではまた来週。

「Catan」
Big Huge Games(発売), 2007
1人(オフライン)、2-4人(オンライン)

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週刊ボードゲーム通信352号「どうすればゲームブックは生き残れたのか」その2 返信  引用 
名前:    日付:5月27日(日) 20時47分
ゲームブックの現状はどう捉えるべきでしょうか。滅んだのか、復活したのか、細々と生き残っているのか。

2006年12月29日の「冬コミ71」では、ゲームブックに関わるサークルが5つほど出ていました。ブースにいる人達と話したところ、ゲームブックは細々と存続しているという印象を得ました。
「フェイティング・ファンタジア」というサークルで配布されていた冊子「GAMEBOOK WALKER 2006.12」によると、2006年に刊行されたゲームブックは下記の7作品とのことです。
@『魔人竜誕生』創土社(松友 健著)
A『ドラゴンの洞窟』創土社(H.ブレナン著)
B『傭兵剣士』新紀元社(T&T)
CDEF『武者巫女トモエ』他、ホビージャパン(クイーンズブレイドシリーズ)

ネットで調べた情報と自分の印象は、以下の通りです。
@『魔人竜誕生』は、日本人作家による新作です。いろいろと新しいシステムや工夫が盛り込まれていて、評価はまあまあのようです。ゲームブックコンテスト入選作品とのことです。
勉強のためにやってみた方がいいのですが、キャラクターの要素やルールがたくさんあり、はじめるのが面倒です。また、1365円と高いです。

A『ドラゴンの洞窟』は、1985年〜1987年に二見書房から「ドラゴン・ファンタジーシリーズ」として出版されていたものが「グレイルクエストシリーズ」として復刊されたものです。これは8巻あるうちの第2巻です。
1巻か2巻あたりは昔やったことがあり、面白くなかった記憶が残っています。当時からFF至上主義者なので、なぜこのシリーズが復刊しているのか疑問なのですが、通向けなのかもしれません。

B『傭兵剣士』は、TRPGの「トンネルズ&トロールズ」のソロアドベンチャーで、復刊です。社会思想社版では、2つのソロアドベンチャー(「傭兵剣士」と「青蛙亭ふたたび」)が載っていましたが、今回は「青蛙亭ふたたび」が削除されました。代わりに「傭兵剣士」が6人パーティ用にアレンジされ、リプレイとして載っています。
昔やったことがありますが、印象に残っていません。T&Tのシステムにあまり魅力面を感じなかったので、余計にだと思います。

CDEF「クイーンズブレイドシリーズ」は、対戦型ゲームブックの「ロストワールド」で、日本人作家が描いた美少女キャラクター版です。
「ロストワールド」は昔よくやりました。復刊であれば興味あるのですが、こちらはやる気が起こりません。ところで、「冬コミ71」ではこれの同人版を出しているところがありました。

「クイーンズブレイドシリーズ」は、我々がテーマにしているゲームブックには含まれないでしょう。したがって、昨年に出版されたゲームブックは3冊、うち新作は1作のみということになります。少ないですね。
この数年、「ソーサリー」シリーズの復刊(2003年)、『火吹山の魔法使い』の復刊(2005年)、鈴木 直人氏の新刊などがあり、ゲームブック復活の兆しがありました。しかし、ネットでざっと見た限りでは、あまり売れておらず利益は出ていない様子です。
「しばらくの間滅んでいたが、復刊ブームで少し復活したものの期待されたほどではなく、なんとか細々と続いているが、このままでは先細り」というところではないでしょうか。

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週刊ボードゲーム通信351号「どうすればゲームブックは生き残れたのか」その1 返信  引用 
名前:鱶(fuka)    日付:5月20日(日) 20時22分
 みなさんこんばんは、鱶(fuka)です。
 
 このテーマは結構、難問そうですよ。なんつっても、そんなものがあれば、
誰かがやってるでしょうしね…。

 前回の考察ではゲームブックにおける本=コンピュータ代わりということでした。
この点でいくと、本がいくらがんばってもPentium4 3.2GHにはかなわないように見えます。
その中でいくと、ゲームブックが生き残る道はないように思えます。
 
 そんな中で、ゲームブックの方がコンピュータよりも優位な点といえば、
作るのに必要な技術が、コンピュータよりもやさしい点です。
当時中学生だった私も、ペーパーアドベンチャーを作れましたし、
文才があればゲームブックも作れたかも(…その文才が難しいのか。)
 プログラムを勉強して、同人ゲームを作るよりも、ハードルは低いはずです。
 その特性を生かし、東京創元社も新人コンテストをしていたのですが、
1、2回で終わったような気が…。ハードルは低いはずが、どっかの
プログラムコンテストの方がよっぽど盛り上がってそうですね…。
 ゲームブックは結局コンピュータ普及までの過渡的なメディアだったということでしょうか。

 ではまた来週。

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週刊ボードゲーム通信350号「ゲームブックの衰退の原因」その5 返信  引用 
名前:    日付:5月13日(日) 19時36分
ゲームブックには、手間がかかるという弱点があります。
体力点や運点などの数字を紙に記していかねばならないことは、面倒です。
そのうえ、変化していく数字が縦とか横に並んでいくメモは、見た目が格好よくありません。
今から考えると、マジックザギャザリングのようにして体力点を表示すればよかったです。

ダイスを振ることも面倒です。
戦闘解決のために振らなければならないダイスの回数はわりと多いです。
自分の分はまだいいのですが、敵の分も振るのは、面倒さに加え、リアリティが損なわれるように感じられました。
もし敵のダイスを他者が振ってくれたら、戦闘はもっと楽しいものになったのではないでしょうか。

このように、作業を全部自分でやらねばならないことがゲームブックの弱点です。
そして作業の手間以上の大きな弱点は、すべてを自分で管理しなければならないことです。
最初のキャラクター作成から戦闘解決にいたるまで、自分でダイスを振って決めなければならないのは、心理的に負担です。
正直さが求められるからです。
以前に話題に挙がった、キャラクターの能力値を決める際の振りなおしの問題です。
1人遊びであるので、振りなおしても構わないのですが、そうしてしまうと面白さが減少してしまうような気がします。
逆に、正直にやると、難易度の高いゲームブックだとなかなかうまく進まず面白くなくなることもあります。

こういうことは、他者にまかせてしまうのが楽ちんなのです。
したがって、コンピュータRPGに進んでいったのは自然な流れです。
本のページをめくるというアナログさや、モノクロの挿絵しかないことは、そんなに問題ではなかったのです。

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Re: 週刊ボードゲーム通信350号「ゲームブックの衰退の原因」その5
名前:柴崎@銀河企画    日付:5月13日(日) 23時17分
コンピュータRPGでは、ドキュメントとして
社内向けの「企画書・シナリオ・仕様書」と
ユーザ向けの「解説書・攻略本」が
重要であると思いますが、
これは、ある意味でアナログ時代のゲームブックが
姿を変えたものだとは考えられないでしょうか。

http://gpi.jp/ gw.0-1.jp (210.196.157.145) Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1; .NET CLR 2.0.50727)


Re: 週刊ボードゲーム通信350号「ゲームブックの衰退の原因」その5
名前:鱶(fuka)    日付:5月17日(木) 22時12分
ゲームブックに関してはこんなところですか?次回は新たなテーマで行きますか? i121-112-94-49.s11.a028.ap.plala.or.jp (121.112.94.49) Opera/9.10 (Windows NT 5.1; U; ja)


Re: 週刊ボードゲーム通信350号「ゲームブックの衰退の原因」その5
名前:    日付:5月20日(日) 0時25分
次はおまかせしますね。
ゲームブックについては書きやすかったです。
あと、思いつくテーマとしては、
・コンピュータRPGと比較してのゲームブックの良さ
・サウンドノベルやコンピュータアドベンチャーゲーム(ギャルゲーなど)に対抗する余地はないのか
・どうすればゲームブックは生き残れたのか
・ゲームブックの挿絵について
・RPGリプレイ本について
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週刊ボードゲーム通信349号「ゲームブックの衰退の原因」その4 返信  引用 
名前:鱶(fuka)    日付:5月6日(日) 22時23分
 みなさんこんばんは、鱶(fuka)です。
実家の引越しの手伝いをさせられて、えらいゴールデンウイークになってしまった今日この頃、
いかがお過ごしでしょうか。
 この休みに、昔のゲームブックをどこからか引っ張り出してきて、プレイしていた人も、
そんなに多くないと思いますが、ボゲ通はまだゲームブック特集が続きます。

 それにしても、ゲームブックが繁栄していた時代は短すぎますね。
たった10年で、恐竜絶滅のように無くなってしまうとは。

 ゲームブックから得られる楽しみは、コンピュータRPGから得られる楽しみに
代替可能なものだった、ということですかね。
 
 かつて、本という形態を活かして「手軽な選択肢」となりえたゲームブックですが、
現代ではニンテンドーDSやPSP、携帯電話などのアイテムよりも、形態性が劣るように
なってしまいました。ボリュームの面でも、本に収められる容量はゲーム機のロムよりも
大きくありません。そして、本を開くよりも、現代ではパソコンの画面を開く時間の方が
長い人も多く、ゲームブックが活躍する隙間はもはやないのかもしれません。

 そういえば、コンピュータゲーム界には「弟切草」(SFC)が1992年に出ています。
いわゆるサウンドノベルというやつですが、これこそ、ゲームブックの正当進化のような気がします。
 一応画面はありますが、人の姿は影のように描かれていて、本の挿絵以上にプレイする人の
想像力をかき立てるような感じでした。

 ではでは、また来週-。

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週刊ボードゲーム通信347号「ゲームブックの衰退の原因」その3 返信  引用 
名前:    日付:4月29日(日) 20時27分
ゲームブックが登場した1980年代前半から考えていきます。
『火吹山の魔法使い』が最初、イギリスで出版されたのは1982年です(日本語訳が出版されたのは1984年)。
この頃のコンピュータRPGの状況はどうだったでしょうか。
海外で、AppleU版の「ウィザードリィ」と「ウルティマ」が発売されたのは1981年です。
この2つのゲームがコンピュータRPGの始まりとされます。
それ以前からあった「ダンジョンズ&ドラゴンズ」のようなテーブルトークRPGが1人でプレイできるようになったという点で、コンピュータRPGは革命的でした。
なおかつ面白かったので、ヒットしました。

当時、日本では、AppleUのユーザーは極少数で、PC-8801・PC-9801等のNEC製のものが主流でした。
日本製の最初のコンピュータRPGとされている「ザ・ブラックオニキス」が発売されたのは、1984年です。
ゲーム専用機のファミリーコンピュータが発売されたのは1983年ですが、RPGはしばらく登場しませんでした。
「ドラゴンクエスト」の発売は、1986年です。
そして、「ファイナルファンタジー」の発売は、1987年です。
ついでに言うと、「ウィザードリィ」がファミリーコンピュータに移植されたのは、1987年です。

さて、PCは1980年代を通して高価なもので、ソフトも同様に高価でした。
定価14,800円のファミリーコンピュータは、それと較べるととても安価でした。
多くの人々にとって、コンピュータRPGが実際的にプレイできるようになったのは、ドラゴンクエストが発売された1986年からなのです。

今から見ると、ゲームブックはそれまでのつなぎでした。
ゲームブックは、コンピュータRPGは面白いと聞いていてもプレイできなかった人達にとっての手軽な選択肢だったのです(手軽でない方の選択肢はテーブルトークRPGでした)。
ファミリーコンピュータ等のゲーム機のRPGが発展していった80年代後半が、ゲームブックが終息していった時期となるのは頷けます。

ところで、前々回の最後の方で「『火吹山の魔法使い』が出版される以前に、パソコン版のアドベンチャーゲームやRPGがたくさん存在していました。」と述べました。
しかし上記のとおり、パソコン版RPGは当時登場したばかりで、まだ少数でした。
アドベンチャーゲームはたくさん存在していましたが、アドベンチャーゲームとRPGを前々回のように一緒にして考えてるのは妥当でないと思います。
「ゲームブックはこの2つのどちらに近いか」とか「アドベンチャーゲームとRPGの違いはどこにあるか」、とかいう問題はともかくとして、人々はゲームブックをRPGとしてやっていたと思われるからです。
引用した部分は、「『火吹山の魔法使い』が出版される以前に、パソコン版のRPGがすでに存在していました。」と修正するべきです。

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Re: 週刊ボードゲーム通信347号「ゲームブックの衰退の原因」その3
名前:    日付:4月30日(月) 20時3分
すみません。「348号」です。 221x115x251x27.ap221.ftth.ucom.ne.jp (221.115.251.27) Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1; .NET CLR 1.1.4322; .NET CLR 2.0.50727) Sleipnir/2.5.9

週刊ボードゲーム通信347号「ゲームブックの衰退の原因」その2 返信  引用 
名前:鱶(fuka)    日付:4月22日(日) 21時47分

 みなさんこんばんは、鱶(fuka)です。

 ゲームブックもコンピュータゲームも主に一人でプレイするものです。
王子の対決、という2人用のゲームブックもありましたが。
ゲームブックはファンタジーものが最も多いジャンルだと思いますが、
コンピュータのRPGも、同様にファンタジーが主流です。

 昔々のコンピュータゲーム、フレームで描かれたウィザードリィのダンジョンは、
プレイする人の想像力を必要にする点において、本の世界と大きく隔たったものでは
なかったのではないでしょうか。
 そうした似通った性格を持ち、さらに本という手軽な形態であることが、
初期のゲームブックのヒットを助けたのでしょう。

 しかし、コンピュータの進歩のスピードが増すにつれ、両者の乖離は大きくなりました。
もはや、今のRPGと、ゲームブックはまったく別物です。
 この間、コンピュータゲームの方は変化し続けましたが、ゲームブックの方は
時代にあった変化ができなかったために、衰退していったという、
進化論的推察をしてみましたがどうでしょう。
 本という形態は、木簡、竹簡や巻物に取って代わって以来、古代からずっと存在しています。
印刷技術の進歩もありました。しかしゲームブックは誕生以来、そのシステムもビジュアルも
大きく変わることはありませんでした。
 結局、コンピュータゲームに滅ぼされたというよりは、進化できなかったため、
絶滅してしまったのだと思います。

 ではでは、また来週-。

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週刊ボードゲーム通信346号「ゲームブックの衰退の原因」その1 返信  引用 
名前:    日付:4月15日(日) 23時25分
なぜゲームブックが衰退したのか、これは重大な問題です。
難しいテーマですが、ゲームブックのこともだいぶ思い出してきたことですし、ぼちぼち考えていきましょう。

前回の「隣のパラグラフが見えてしまう」という問題ですが、自分は気になりませんでした。
隣のパラグラフはほとんど目に入らなかったと思います。
でも一般的には、見えてしまって興ざめに感じていた人が一定いたことが推察されます。
この問題を緩和するために、ダミーのパラグラフを含ませているゲームブックがありました。どれだったかは忘れましたが、メジャーなゲームブックではなかったように思います。
この対策がなされていたものは少数であったことからすると、隣のパラグラフが見えてしまう問題はそれほど深刻ではなかったのかもしれません。

前回の説明の通り、コンピュータを使うことはこの問題を解決する方法ではあります。
しかし、この問題があったためにゲームブックが衰退したわけではないと思います。また、この問題を解決したからコンピュータゲームの人気が上がったわけでもないと思います。
ゲームブックが衰退した原因として、もっと大きなものがあったと考えられます。

それから、「ゲームブックはコンピュータゲームに取って代わられた」という見方が妥当であるかを再検討する必要があると思われます。
というのも、コンピュータゲームは、ゲームブックよりも古くから存在していたからです。
『火吹山の魔法使い』が出版される以前に、パソコン版のアドベンチャーゲームやRPGがたくさん存在していました。
そういう状況の中で登場したゲームブックがヒットしたのです。
このことをまず考察してみてはどうでしょうか。

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週刊ボードゲーム通信345号「このゲームブックがすごい!」その9 返信  引用 
名前:鱶(fuka)    日付:4月8日(日) 20時35分

 みなさんこんばんは、鱶(fuka)です。投票行きました?

 モンスターキャラクターは、昔リザードマンとかがいたような気もしますね。
T&Tにはフェアリーがいた気がしますけど、あれはどうなんでしょう。
 ボードゲームではタリスマンあたりに、なんか変なのがいた気がします。
私は『モンスターコレクション』を読んでから、結構モンスターファンになりました。
人間には無い、色々な特殊能力が非常に魅力的なんですよね。

 さてさて、ゲームブックの続きですが、ゲームブックは構造的に大きな問題を抱えています。
それは、「隣のパラグラフが見えてしまう」という点です。これは、かなり興ざめです。
リセットなしのフェアプレーをしている人でも、隣のパラグラフを全く見ずにプレイするのは
物理的に非常に困難です。
 この難点をクリアするためには、本という形態をあきらめ、コンピュータを使わざるを得ないので、
もしかしたら、これはゲームブックの衰退の一因と考えることができるかもしれません。
私も作ったことがありますが、BASICで簡単にゲームブックを再現することができます。
私のはMSXでしたので、本形態のの手軽さは失われていましたが、ポケコン(…)とか、今なら
携帯電話とかでできそうです。
 そして、ゲームブックの移植ではなく、さらにコンピュータ向けに進化させたのが、あの
「弟切草」をはじめとするサウンドノベルの系譜です。ストーリ分岐がいったいいくつあるのか、
隣のパラグラフを見ることができないので、想像ができません。サウンドノベルでは、
ストーリーの展開の方に力が入れられていて、ゲームブックにあるような、モンスターとの戦闘
などは見たことがありません。RPGとかぶってしまうという点と、そこで死ぬことがゲーム的には
かなりいまいちだからでしょうね…。ゲームブックでは、その辺のザコ戦闘をプレイヤーにゆだねて
適当にクリアさせることができますけど、コンピュータではズルできないですしね…。
 ところで、ゲームブックでは、すべての能力値が最低のダイスでも、適切な選択肢を選ぶことで、
ゲームは十分クリアできる、とよく書いていますけど、どうなんでしょう。

 そんなこんなで、今回はゲームブックの問題点を書いてみました。
ではでは、また来週-。

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週刊ボードゲーム通信344号「このゲームブックがすごい!」その8 返信  引用 
名前:    日付:4月1日(日) 21時53分
前回に挙がった『モンスターの逆襲』はプレイしていません。
存在は知っていましたが、機会がありませんでした。

ファイティング・ファンタジーシリーズ第24巻『モンスター誕生』(S.ジャクソン、社会思想社)は、プレイしました。
『モンスター誕生』で、モンスターが主人公になるということは、新味がありました。
このアイデアはぜひ使わねばということで、『モンスターの逆襲』が作られたと思われます。リスペクトというやつですね、たぶん。それが題名にも表れています。
前回での説明の通り『モンスターの逆襲』には、別のモンスターに”進化”するというヒネリがあり、面白そうです。プレイしてみたいと今更ながら思いました。
このようなことは、雑誌の『ウォーロック』で安田氏が述べていたような気はします。もしそうなら、安田氏に同感ということにさせてください。

ところで、プレーヤーがモンスターになるというアイデアは、ゲーム全般において、いつからなんでしょう。
テーブルトークRPGにおいては、プレーヤーキャラクターとしてモンスターを選択できるものが現れたのは、80年代の中頃のような印象です。
『ルーンクエスト』のようなマニア向けのRPGが始まりではないでしょうか。しかし、テーブルトークRPG史を遡ると、マイナーなものがそれよりも以前にあったのかもしれませんし、定かではありません。
コンピュータのRPGについては一層詳しくありませんが、パーティにモンスターを加えるというアイデアは80年代の後半には普通にあったような気もします。モンスターとなってプレイするというのは、案外最近かもしれません。
コンピュータの格闘ゲームなら、「ストU」からなんでしょうかね。

ボードゲームについてはどうでしょう。
まず、ボードゲームとゲームブックの間に位置するような『ロストワールド』では、プレーヤーはモンスターを選択することができます。これが登場したのは80年代の前半ですね。
ボードゲームでは、プレーヤーが1人のキャラクターとなる類のものはそれほど一般的でもなく、たいていはすごろくタイプのものでしょう。
すごろくタイプのゲームでは、全プレーヤーが同じ条件(ステータス)であることが、もともとは当たり前とされていましたが、いつの間にかプレーヤーによってステータスが異なるものが現れました。そして、各プレーヤーによって勝利条件までも異なるものさえ出現しました。
こういうものが登場した以降に、プレーヤーがモンスターとなるボードゲームが出てきたのかもしれません。
ところで、各プレーヤーが異なるステータスを持つ(異なるキャラクターとなる)というのは、アメリカ製のゲームで好まれるような感じがします。
ドイツゲームでは、プレーヤーは全員同じステータスであることが好まれるのではないでしょうか。そのようなドイツゲームでは、全プレーヤーがゴブリンになったりします。

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週刊ボードゲーム通信343号「このゲームブックがすごい!」その7 返信  引用 
名前:鱶(fuka)    日付:3月25日(日) 20時49分

 みなさんこんばんは、鱶(fuka)です。昨日の安藤美姫選手、よかったですね-。
興奮冷めやらぬ今日この頃ですが、いかがお過ごしでしょうか。

 ゲームブック特集も第7回。もうひとつ印象に残っている、結構好きなゲームブックがあります。
それは、『モンスターの逆襲』です。
 いつもやられまくっているモンスター、ゴブリンが主人公です。
記憶によれば、人間4人組のパーティに滅ぼされた村の生き残りのゴブリンが主人公。
4人組への復讐を誓って、旅に出ます。面白いのが、魔法のヒスイ(?)。
これを使うと、別のモンスターに”進化”することができるのです。最初はただのゴブリンで
非常に弱いのですが、ホブゴブリンなどに進化して行き、最後のほうはドラゴンにまで進化してしまいます。
 この「ラストハルマゲドン」な「女神転生」なノリがとても良かったです。
やられ役のモンスターにスポットを当てているのも、個人的にツボでした。

 前回の話の続きを少し。
ゲームブックのリセットは、それ自体結構めんどくさいんですよね。
選択肢を選んだとたん、問答無用に即死だと、すぐに前まで戻れますけど、
大抵、戦闘をこなして、持ち物の数が変わったころに、死んだりして、
この選択肢がだめだったかと巻き戻してみたら、実はもっと前からだめだったりして…
アドベンチャーシートをコピーしてセーブしとかないと、きっちりリセットできないんですよね。
それも無視して、適当にプレイするような人は、そもそもゲームブックしてない気もします。
 と、いうわけで、ゲームブック好きの人は結構まじめな人が多いのでは?

 ではでは、また来週-。

『モンスターの逆襲』/山本弘(著)
社会思想社, 1988
鱶(fuka)の個人的評価:5(大好き)  

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週刊ボードゲーム通信342号「このゲームブックがすごい!」その6 返信  引用 
名前:    日付:3月18日(日) 22時42分
『ドルアーガの塔1 悪魔に魅せられし者』は、私もプレイしました。
方眼紙を使ってマップを作成するということで、「このパラグラフ数で20フロアー分もあるとは、どういう仕組みになっているのだろうか」と不思議に思っていました。
マッピングのような面倒なことはそんなに好きな方ではなかったですが、いざプレイしてみると、地図を完成させていく楽しさが感じられました。
考えてみると、ゲームブックのプレイは、マップの作成です。『ドルアーガの塔1』の方眼紙上のマッピングは目新しいものでしたが、仕組みとしてはそれまでのゲームブックと同じです(同じ場所を行ったり来たりすることは、『サソリ沼の迷路』でもできました)。
ゲームブックを地道にすることが好きな人なら、『ドルアーガの塔1』のマッピングとも親和性が高いでしょう。

「スムーズにマッピングすることができて、なかなか合理的に作っているな。このコンパクトさは、日本人が作ったって感じだなあ。テレビゲームをうまくゲームブックに移植したな」などと感心しました。
実は、それ以上のことはあまり覚えていません。
古本屋で買ったか図書館で借りたかしたのですが、以前の所有者が作成したマップが挿まれていた記憶は微かにあります。
どんな戦闘システムであったかとか、どんなストーリー進行だったかなど覚えていません。1巻までしかやっていないのか2巻までやったのか、巻の途中までやったのかやり終えたのか、ということもよく覚えていません。

主観的に好みでなくても、客観的にできがよければプレイしなければならないというゲーマーとしての使命を持っていたと思います。
当時、高校のときの友人もお薦めだと言っていました。ネットで検索して調べたところ、評価が高いゲームブックのようです。
最後の3巻までプレイしなかったのは、それでも魅きつけられなかったからでしょう。
自分にはあまり魅力がなかったのは仕方ないとしても、印象がとても薄いのはどういうことなのでしょうか。
いまひとつ解せません。

さて、前回で問題が2つ挙げられました。
@「ゲームブックが好きな人は、作業が好きか?」
A「ゲームブックはリセットなしでやるものなのか?」

@については、そうでしょう。
自分自身、作業好きという意識は特にありませんが、一般人と比較するとだいぶ作業好きでしょう。
そもそもゲーム好きの人は、作業好きのはずです。
問題は、ゲームブックが好きな人は他ジャンルのゲーマーよりも作業好きかどうかでしょう。これは難しい問題です。
ついでに、ゲーマーと作業の関係については、新たなテーマとなりそうです。

Aについては、私の場合、基本的にリセットなしにやっていました。
一般的には、リセットしてプレイすることはよくありそうですね。
当時、自分には時間があったのと、ゲームとしてする意識が強かったからでしょう。
ところで、ゲームブックのリセットについては、影に隠れたテーマだと思います。
これについても、もう少し議論ができそうです。

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Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1; .NET CLR 1.1.4322; .NET CLR 2.0.50727) Sleipnir/2.5.9

週刊ボードゲーム通信341号「このゲームブックがすごい!」その5 返信  引用 
名前:鱶(fuka)    日付:3月11日(日) 22時7分
 みなさんこんばんは。鱶(fuka)です。
実は私は、外国人作家のゲームブックはそれほど気に入ったのがありませんでした。
特に社会思想社の方が、肌に合わなかった感じです。
「オーガは斧の重さを測るようにしながら…」は、結構好きなんですけどね。
 というわけで、日本人作家、外国人作家の問題は好みの問題のような気がします。
外国人作家の「しゃべるエクスカリバー」のはひどかった記憶がありますが…。

 さて、今回は『ドルアーガの塔1 悪魔に魅せられし者』でどうでしょう。
このゲームブックは、マッピングができます。方眼紙をきっちり埋めていく
マッピング好きには、とてもすばらしいゲームブックでした。
2 魔宮の勇者たち
3 魔界の滅亡
 上記2冊とあわせて、3部作となります。
 さて、困ったことに、これまた現物が手元にないため、(というか、プレイしたときも
友人に借りてやったので)、記憶を頼りに書くしかないのですが、その記憶も
薄れて、面白かったという記憶ぐらいしか残ってなかったりします。

 ところで、ゲームブック好きな人って、大体作業好きなんでしょうか?
一人でサイコロふりながらゴブリンたちと戦うのって、かなりの作業量ですよね。
 もう1点気になるのが、みなさんリセットなしでやってました?私の場合は、
ファイティングファンタジーでいうと、技術点決定のダイスで、5以上が出ないと
リセットしてました。本編の方はほぼリセットなしでやってましたが、そうすると、
なんでもない戦闘でやられてしまったりして…。
 ではでは、また来週。

『ドルアーガの塔1 悪魔に魅せられし者』/鈴木直人(著)
東京創元社, 1986
鱶(fuka)の個人的評価:5(大好き)

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週刊ボードゲーム通信340号「このゲームブックがすごい!」その4 返信  引用 
名前:    日付:3月4日(日) 22時29分
自分にとってのゲームブックとのかかわりは、2つの時期に分けられます。
前期は1980年代中旬、後期は90年代の初旬です。
前期では、これまでに挙がったS.ジャクソンとI.リビングストンなどの著書を主に購入してプレイしていました。
後期では、図書館で借りたものをいろいろプレイしていました。
今回は、この後期について述べます。

90年代初めに、市立図書館にゲームブックがけっこう入っていることに気づき、あったものはほとんど借りました。
大部分は、社会思想社と東京創元社のものでした。
新しく出版されたものも多く、ありがたかったです。
図書館の選択は妥当だなあと感じていました。
職員のおねえさん方の中にはゲームブック好きの人がいるんだろうか、とか思っていました。
ゲームブックのような遊びの本を図書館に入れるのはどうなんだろうか、職員は利用者のリクエストに騙されているのではないか、とかいうことも考えたりしました。

さて、しばらくぶりにゲームブックをやってみると、なかなか面白かったです。
とくに社会思想社のファイティング・ファンタジーシリーズは、どの巻も工夫があって、サービス精神に富んでいました。
後の方の巻もクオリティに関して第1巻や第2巻には負けていないなあ、と感じました。
お勧めのゲームブックは何かとなると、ファイティング・ファンタジーシリーズ全巻と言ってもよいと思います。

東京創元社のシリーズには、外国人作家のものと日本人作家のものがありました。
外国人作家のものは、ファイティング・ファンタジーシリーズと同様にまあまあ楽しかったです。
日本人作家のものは、たぶん5冊〜10冊くらいプレイしました。
前回に挙がった『ウルフヘッドの誕生』は未読です。
日本人作家のゲームブックは、東京創元社以外のものも含めてやっていないものが多いので、語る資格はあまりないのかもしれませんが、それをご容赦いただくとすると、それほど面白くなかったです。
どういうところが面白かったか、面白くなかったか、どんなストーリーだったか、実はよく覚えていません。
評価の高い作品も、クオリティとしてはまあまあなんだろうなと思いながらやったのですが、主観的には面白くなかったという印象です。
そして日本人作家のものは、途中でやめてしまったものがいくつかありました。
外国人作家のものはすべて最後までやったと思うので、この相違はなんだったのでしょうか。
完成度が低かったのか、好みの問題だったのか。

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週刊ボードゲーム通信339号「このゲームブックがすごい!」その3 返信  引用 
名前:鱶(fuka)    日付:2月22日(木) 8時54分

 社会思想社と東京創元社は2大巨頭ですが、それ以外の会社、
特に双葉社のファミコンゲームブックシリーズは最悪でしたね…。
弟が買った『桃太郎伝説』なんざ…。というかそれで学習して、それ以降は
ほとんど手にしなかったはずです。ん、『ジャーヴァス』ってあったかも?

 まあ、できの良くない作品について語るのはまた今度にしまして。
『火吹山の魔法使い』/1982年
『ソーサリー2 城砦都市カーレ』/1985年
 前回からは、上記の2冊が上げられています。

 今回はゲームブックの終末期に(私の認識では)最後に咲いた花、
『ウルフヘッドの誕生』です。作者は、あの『ネバーランドのユリ』などで知られる
林友彦氏。実はネバーランドもニフルハイムも未プレイだったりしますが。
現物も手元にないので記憶をたどると、主人公はワーウルフでしたっけ?
フェアリーとかワーベアとかが出てきたような。で、自分の同行者に
いろんなNPCを選ぶことで、ゲームが展開し、パズルのような謎を解かなければいけない
ゲームでした。主人公は狼に変身できて、戦闘面では全然問題なかった気がするのですが、
パズルの方が、論理パズルのようなものがいっぱいあった気がします。
システム的には、アドベンチャーシートにキーNOを記録していって、それが
ゲーム進行の時々判定に使われていたような。
 と、いうわけで、上記の記憶は非常にあいまいですので、みなさん現物をご確認ください。
 続編というかお話の続きの後編があります。『ウルフヘッドの逆襲』ですが、こちらの方は
難しすぎて、私には解けませんでした。
 終末期でも、一応良作は出ていたと思うのですが、絶対的な名作はなかったのかもしれません。
それにしても、1982年の火吹山から1989年のウルフヘッドまで、短いブームでしたね。

『ウルフヘッドの誕生』/林友彦(著)
東京創元社, 1989
鱶(fuka)の個人的評価:(良い)−積極的にプレイ…していた

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Opera/9.00 (Windows NT 5.1; U; ja)

週刊ボードゲーム通信338号「このゲームブックがすごい!」その2 返信  引用 
名前:    日付:2月18日(日) 20時34分
十代のときには、ゲームブックをよくやりました。
いちばん多くやったのは、社会思想社と東京創元社から出版されていたシリーズです。特に翻訳されたものです。

お勧めとなると、S.ジャクソンとI.リビングストンの著書です。
自分が初めてやったゲームブックは『火吹山の魔法使い』(1982年/ペンギン・ブックス、1984年/社会思想社)で、彼らが著者でした。
お勧めとしてはこれです。

『火吹山の魔法使い』は、ファイティング・ファンタジーシリーズと銘打たれたものの第1作目です。
これが、お勧めとして挙げられるような名作であることは象徴的です。
ゲームブックの名作はたいてい、初期の頃に出版されたものだからです。

ゲームブックが流行するにつれ面白くないゲームブックがしだいに増加したのは、粗製濫造ということで理解できますが、面白いゲームブックが減少していったのはどうしてなのか不思議です。
なぜ面白いゲームブックが生産されなくなったのか?

出尽くしてしまったということで説明できるのでしょうか。
農地から得られる収穫量は、収穫するごとに土地が痩せていくため、減少していくという考え方です。
例えば、クラシック音楽の名曲はある期間中にたくさん生産され、その以降の時代では生産されなくなりました。
これは、優れた楽曲のパターンは実は限られているため、出尽くしてしまったと説明されます。

ゲームブックも優れたパターンが出尽くしたのでしょうか。
「このゲームブックがすごい!」という今回のテーマからは外れますが、ゲームブックの衰退についての考察はボードゲーム界における重大なテーマだと思います。

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週刊ボードゲーム通信337号「このゲームブックがすごい!」その1 返信  引用 
名前:鱶(fuka)    日付:2月11日(日) 21時52分

 全国百万のゲームブックファンのみなさん、こんばんは。
とうとう、ボゲ通でゲームブック特集をする日がやってきました。
 とはいえ、現役を退いてからかなりたっているので、どこまで色々書けるか心配です。
創土社あたりががんばっていたりしますけど、現役の人はだいぶ少なくなってそうです。

 ゲームブックといえば…手元にあるソーサリーを見てみると、1985年初版。
このころゲームブックは全盛期でしたね。ちなみにファミコンが発売されたのは
1983年なので、それよりも遅かったりします。
 不思議なのが、ファミコンで遊びながらも、ゲームブックに夢中になり、
ベーマガに投稿しようと、授業中にペーパーアドベンチャーを作っていたりしていたことです。

 みなさんは、「このゲームブックがすごい!」というときには何をあげますか?
私は東京創元社の方が好きでしたので、一番は「ソーサリー2・城砦都市カーレ」ですね。
最初に買ったゲームブックでもあります。ソーサリー全巻を通した中でも、この剣呑な都市の冒険は
非常に魅力的です。町でお祭りがあったり、下水に表紙のあの気持ち悪いスライムイーターがいたり。
 はっきり言って、理不尽なことであっという間にゲームオーバーになったりもするので、
まったく気が抜けません。というか、絶対分からないようなデストラップもあったりするのですが…。

 ソーサリーのシステム面での特徴は、魔法使いでのプレイを選んだ場合、3文字のアルファベットで
できた魔法の呪文を覚える必要がある点でしょう。呪文の書は本の最後についているのですが、
これを冒険にもっていくことはできないのです。
 このゲームブックは、ファミコンにはない興奮を与えてくれた気がします。
というか、今でも通用しますよね。再刊もされているみたいですので、万が一未読の方がいれば
ぜひプレイしてみてください。

 宝島社が「このゲームブックがすごい!」というのを出さないかと思ったりもしましたが、
自分らでも作れそうですよね。というわけで、このタイトルになりました。
まだまだ紹介したいゲームブックはいっぱいあります。惜しむらくは、それらがほとんど絶版に
なってしまっていることですね…。

 それではまた来週。

「ソーサリー2 城砦都市カーレ」/スティーブ・ジャクソン(著)
東京創元社, 1985
鱶(fuka)の個人的評価:5(大好き)

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週刊ボードゲーム通信336号「ダイスをふるという行為」その7 返信  引用 
名前:    日付:2月4日(日) 21時10分
次のテーマはゲームブックにしましょう。
私の方はほとんどゲームしていなくて紹介したいほどいいゲームがありませんが、そちらの方でゲーム紹介を一度はさんでもらってもかまいませんので。

今回は、ダイスの気合いについて続けます。
スコードリーダー(AH/HB)は、ダイスをふるときにとても気合いが入るゲームです。
このことを考えたいと思います。

ところで、スコードリーダーはシュミレーションゲームのため、知らない人が多いかもしれません。
ごく簡単に説明すると、1ユニットは分隊・指揮官・支援火器・車両等で、WWUの中隊〜大隊程度の規模の戦闘を再現する戦術級ゲームです。
射撃→移動を交互に行っていくのが、手順の大枠です。

このゲームにおけるダイスロールのメインは、射撃判定と士気チェックです。
これらは、2D6で解決されます。
射撃判定のダイスは射撃した側のプレーヤーがふり、士気チェックは射撃を受けた側のプレーヤーがふります。

前々回で述べたように2D6は気合いの入りやすいロールだと思われますがそれにも増して、戦術級ということがスコードリーダーのダイスロールの熱さです。
規模の小さな戦闘であるため、結果は気合いで左右されるように感じられるのです。
特に士気チェックでそれが言えます。

作戦級・戦略級等、再現する戦闘規模が大きくなるほど、気合いは結果を左右する要素ではなくなってくるように思われます。
つまり、ダイスロールで気合いを入れるのはちょっと違うという感じになります。
仮に作戦級・戦略級ゲームにおいて戦闘結果を2D6で解決したとしても、スコードリーダーの類の気合いは入らないのではないでしょうか。

(ついでに言うと、スコードリーダーにおいて、AP弾の命中判定のみならずその後の貫通判定も射撃した側のプレーヤーが行うことは、撃たれる側にとっては気合いとは無関係の生きるか死ぬかは運任せさが出ていて、これまたリアルです。貫通判定も士気チェックと同様に射撃を受けた側のプレーヤーが行ったなら、ゲームとしては盛り上がったのでしょうが、それをあえて外したデザイナーはなかなかすごいと思います。)

まとめると、ダイスをふるときの気合いの入りようは、そのダイスロールが再現しているもの次第ということです。
思えば、エポック社のパワーベースボールという野球ゲームでも、D10や1D100(D10の2個ロール)のダイスロールがとても気合いが入りました。
これは、投げる・打つというシュミレートされている動作が、気合いを入れてするものであるからです。

最後に、ドイツゲーについてです。
ドイツゲーでは、気合いを入れて行う行為がシュミレートされているものが少ないです。
したがって、ダイスロールがあってもあまり気合いが入りませんし、カードドローでも同様です。
またそのため、ダイスが使用されることが少ないのかもしれません。

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週刊ボードゲーム通信335号「ダイスをふるという行為」その6 返信  引用 
名前:鱶(fuka)    日付:1月28日(日) 20時54分

 みなさんこんばんは、鱶(fuka)です。
 前回の「ダイスを振るときの気合」ですが、なぜ2D6が一番気合が入るのか?
実は、大体多くのダイスロールにおいて、人は気合が入っているものです。
よくあるダイスロールは、命中判定というやつでしょう。一定の命中率が定められていて、
ダイスの目がその数値以下なら命中、といったものです。これは気合が入らざるを得ません。
 というわけで、ダイスをふった結果ですが、大体3パターンに分類できます。
@会心の一撃。
A普通。
B大失敗。

 このうち、@とBは非常に印象に残ります。そして、2D6は結果が非常に覚えやすい
ダイスロールです。ピンゾロ、6ゾロは、当然3D以上の場合よりもずっと出やすいです。
 と、いうわけで、気合を入れてロールした結果を覚えやすいために、
「気合が通じる」あるいは「通じない」ということになるのではないでしょうか。
という仮説を考えてみたのですが。どうも私はダイスに気合は通じない主義者のようです。

 そういえば、ダイスのないドイツゲーはみんな気合をどこで入れてるんでしょ。
カードドローって、それほど力が入る感じでもないし(坊主めくりならともかく)、
気合が隠れてしまうのかな。そう考えるとダイスというのは絶妙のアイテムですね。

 大体ダイスについてはこんなもんでしょうか。
次回からのネタなんですが、ゲームブックにしますか?
ゲーム紹介を挟むという手もありますが。
 それではまた来週。さよなら-。

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週刊ボードゲーム通信334号「ダイスをふるという行為」その5 返信  引用 
名前:    日付:1月21日(日) 19時5分
今回は、ダイスを振るときの気合について述べます。
念のために確認しておきますが、気合が入りうるのは、出目によって自分の有利さが変わる場合です。つまり、ある目(もしくはある目以上、以下)を出したいときです。
出目が何であっても自分の有利さが変わらなかったり分からなかったりするときには、ダイスはまさに乱数製造機となるので、気合は入りません。

もっとも基本的なロールは、1D6です。
これが実は、ロールするときにはあまり気合が入りません。
あっけなく目が出てしまって、気合ではあまり目を動かせない感じがします。
これはどういうことなのでしょうか。

1D4、1D8、1D10、1D12、1D20、1D100は、ボードゲームではあまり使いませんが、同様にあまり気合が入りません。
RPGで使っていたときのことを思い起こすと、1D20が比較的気合が入ったように思います。
ダイスの転がりぐあいが適度であったからなのでしょうか。
1D4は転がらず落とす感じでしたし、1D100は転がりすぎました。

いちばん気合が入るロールは、2D6だと思います。
仮説としては、出目の分布が均等でないため気合を入れやすいことが考えられます。
7が普通に出る目で、気合しだいでその目を変動させることができそうに思えます。
2や12などの極端な目は、最大の気合によって可能となります。もしくは、気を抜いてしまったときに出ます。

3D6となると、気合はそれほど入らなくなります。
それは、ダイスの数が多くなると気合が拡散してしまって、出目を変動させることが難しくなるためではないでしょうか。

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週刊ボードゲーム通信333号「ダイスをふるという行為」その4 返信  引用 
名前:鱶(fuka)    日付:1月14日(日) 22時41分
 みなさん、あけましておめでとうございます。鱶(fuka)です。
ボゲ通7年目だったんですね。今後とも、よろしくお願いします。

 私は、なぜかダイスに気合が乗らない人でした。
ピンゾロを出す必要があるとき…2+3
6ゾロを出す必要があるとき…2+4
という感じで、盛り上がりに欠ける中途半端な目を出すのが得意(?)だった気がします。

 私はあまりダイスが好きな方ではないのですが、
一般的に「ダイスをふるという行為」は、割とみんな好きな印象があったり、
まあ盛り上がったりもするものです。
 さて、なぜダイスをふる行為がそれほど人をひきつけるのでしょうか。
それは、前回横さんが言っていた、「ダイスの目にはプレーヤーの意思が介在」するように
思えるからでしょう。そして、ダイスをふる行為は、いかさまを使うことを抜きにすれば、
完全に実力じゃない世界です。将棋の世界は、完全に実力の世界ですが、ダイスの世界は
実力が関係なくなる=誰でもナンバー1になれる可能性のある世界です。
 自分でダイスの目を操作できないからこそ、ダイス目を操作できるという幻想に浸ることが
できるということです。プレイヤーの意思、神の意思の反映度は誰にも計ることはできませんしね。

 カードを引く場合の乱数は、カードが山にされているので、次に何が出るかはゲームの最初に
決定されています。シュレーディンガーの猫のように、カードをめくる瞬間に決定されるわけではありません。
 ダイスの場合は、どんなに低い確率でも起こりえるところが、魅力的ですかね。
 
 ではでは、また来週-。

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週刊ボードゲーム通信332号「ダイスをふるという行為」その3 返信  引用 
名前:    日付:1月7日(日) 22時6分
新年明けましておめでとうございます。
ボードゲーム通信は7年目となります。
今後ともよろしくおねがいいたします。

さて、乱数はボードゲームの主要な要素です。
前回のエルグランデを例にした説明のとおり、相手のプレイヤーの対応自体が乱数となるので、将棋のように乱数の要素が一見なさそうなゲームであっても乱数は存在すると言えます。

そして、目下のテーマは、ドイツゲーではダイス以外のものによって乱数を発生させていることが多いということです。
前回では、乱数を発生させるものとして、カードと各プレイヤーの対応が挙げられました。
今回は、なぜドイツゲーではダイスがあまり使われないかをもう少し検討します。

ダイスは、本当に完全に乱数を発生させることができるのでしょうか。
実際には、必ずしもそうではないです。

まず、振り方によって出る目の確率を若干変えることが可能です。
これはイカサマの技術です。
ゲーマーはイカサマをもっともしたがらない人々かもしれませんが、イカサマの余地がないに越したことはありません。
ダイスカップやダイスタワーが使用されるドイツゲーは、その点を考慮してのことではないでしょうか。

それから、ダイス自体が完全なものではありません。
特にドイツゲーには、環境にやさしくあらねばならない使命があり、ダイスも木製です。
木製ダイスだと、乱数を十分に出せないことが往々にあります。
それを承知で木製のダイスが使われるのは一体どういうことかという問題はありますが、石油精製品製であっても、品質管理が完全に行き届いているわけではないでしょう。

そもそも、ダイスに外部の意思が介在するか否かです。
私も若い頃は、そんなもの存在しないと思っていました。
賢明な読者の皆さんは、何をいまさらと思われるかもしれませんね。
はい、ダイスの目にはプレーヤーの意思が介在します。そして神の意思が介在します。
これは経験上言えることです。
確かに、数多くダイスをふって統計を出すと、出る目は平均的になります。
しかし問題は、ここ一番でのダイス目なのです。
ゲーマーとは、ダイス目は気合いだということ、ダイス目は運命(神の意思)だということを知っている人々なのです。

ドイツでは、オカルト研究が中世からなされてきました。
そういう土壌があり、ドイツ人であればゲーマーでなくても、上記に述べたようなことが一定共有されているのでしょう。
だからドイツ人は、危険性のあるダイスをあまり使わないのだと思います。

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週刊ボードゲーム通信331号「ダイスをふるという行為」その2 返信  引用 
名前:鱶(fuka)    日付:12月31日(日) 19時36分
 みなさんこんばんは、鱶(fuka)です。
大晦日の今日、いかがお過ごしでしょうか。

 さてさて、正しくふることができれば、ダイスは完全な乱数を発生させることができます。
それなのに、なぜかダイスをふるときに「気合」を入れることが往々にしてあります。
なぜ、ドイツゲーではダイスロールは熱くないのか? 適当に想像してみますと、
それはドイツ人の合理性がなせる業なのではないでしょうか。
おそらく、気合を入れようが入れまいが、ダイスの結果が変わらないと考える人の割合が
かなり多いと思われます。日本人はそこまで合理性に透徹しているわけではないので、
ダイスをふるときに気合を入れることができるのだと思います。

 そうしたドイツ人のダイスに対する態度を鑑みると、ドイツゲーのダイスに対する扱いも
自然、気合の入れようのないものとなることではないでしょうか。

 以上、かなり適当な創造に基づく考察です。

 それと、シミュレーションゲームでのダイスはD100使用ですか?
TRPG系はD20や2D6あたりが多かった気がします。
シミュレーションゲームはそんなことはないだろうと思いますが、普通のボードゲームで
D20くらいだと、運の要素が強いように私は感じられてしまうのですがどうでしょう。
運の要素が強いと感じる度合いが大きくなると、プレイヤーはゲームに対して
努力できなくなってしまい、ゲームから離れていってしまいます。
ダイスというものは、その「運次第」という面を大きく強調するアイテムです。

 ここからの考察では、例のごとくエルグランデを念頭においてみました。
エルグランデにも運の要素が当然存在しますが、それをダイスをふるかのごとく、
自分自身で決定する場面はありません。
 最初から積まれているカードをめくるという、ランダムな事象に対して、
各プレイヤーが自分の行動を決定する、という仕組みになっています。
乱数を各個人が発生させる仕組みをやめ、最初から乱数の流れを決定している
ようなものです。さらに、出たカード、まだ出ていないカードという戦術的な要素が存在しますが。
 むしろ、乱数で発生した事象に対する、各プレイヤーの対応の方が乱数ではないでしょうか。
A案とB案があり、どちらも考えられる状況で、どちらをとるかは…確かに戦略ですが、
相手の出方を完全に理解できない以上、それを推測することには乱数的要素があるといっても
いいのでしょうか?

 というわけで、今週は終わりです。
年末は「カルドセプトサーガ」三昧の予定だったのですが、
http://www21.atwiki.jp/culd_saga/pages/10.html
こんな状況ですので…。
 ここで紹介もしたかったんですが、無理になってしまいました。

 ではでは、みなさんよいお年を-。

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週刊ボードゲーム通信330号「ダイスをふるという行為」その1 返信  引用 
名前:    日付:12月24日(日) 19時31分
「ボードゲーム地図」の話から、次のテーマにできそうなものがいくつか挙がりました。
以下のものです。

「百科事典の項目としてのボードゲーム」
「ボードゲームの定義」
「ゲームブック」
「コンピュータゲーム」
「ダイスをふるという行為」

この中で、前回の最後に挙がった「ダイスをふるという行為」について考えていきたいと思います。
小ネタっぽいので、書くことはすぐに尽きるかもしれませんが、書きやすそうです。

さて、ダイスをふることは、ボードゲームの醍醐味の1つです。
ボードゲームの世界地図を見渡すと、ダイスをふることの醍醐味は地域によって程度が異なります。
ダイスふりがいちばん熱いのは、シュミレーションゲームとテーブルトークRPGの世界です。
我々が主として居住するドイツゲーの世界では、ダイスをふることの醍醐味は少ないです。
そもそも、ダイスを使うドイツゲーはあまり多くありません。
これはどうしてなのでしょうか?

ダイスを使うドイツゲーであっても、ダイスふりはたいていあまり熱くありません。
単なる乱数発生器という感じがします。
はたして、ダイスに対するこういう冷めたスタンスは意図したものだったのでしょうか?
もしそうであるのなら、この態度はどういう意図なのでしょうか?アンチテーゼだったのでしょうか?
過去のゲームの「ダイスをふるという行為」は、何がダメだったのでしょうか?
ドイツゲーが「ダイスをふるという行為」から距離を置いたことは、よかったのでしょうか?

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週刊ボードゲーム通信329号「ボードゲーム地図」その9 返信  引用 
名前:鱶(fuka)    日付:12月17日(日) 22時41分

 みなさんこんばんは。鱶(fuka)です。
柴崎@銀河企画さん、いつも書き込みありがとうございます。

 ボードゲームの物理的な側面にとらわれすぎると、それが持つ本質的な面白さを見失ってしまいますね。
「多人数でわいわい遊ぶ」ということができるものは他にもありますが、ボードゲームを構成する
重要なエッセンスの1つであることを押さえておかなければならないようです。

 書いていくうちに、タイトルの「ボードゲーム地図」からは大きく離れてきたような気もしますが…。

 ここで、コンピュータで遊ぶボードゲームについても触れておきます。
ボードの代わりにコンピュータを使うことの意味について。
1.コンピュータならではのリアルタイム処理ができる。
2.計算などをコンピュータがすることにより、スムーズにゲームが展開できる。
3.コマが散らばらなくてすむ。
4.オンライン対戦が可能であれば、プレイヤーの問題、距離の問題が解消する。
 などなど、いくつかのメリットが考えられます。
 しかしながら、”ボードゲーム”の主流派という感じはしません。

 ボードゲームの定義の、「多人数でわいわい遊ぶ」という定義を満たしていても、
やはり物理的なボード、ダイス、コマといった存在には、なにかボードゲームをボードゲームたらしめる
魔力が備わっているのでしょうか。
 ダイスをふるという行為と、コンピュータゲームでダイスをふるという行為、コンピュータでは
擬似乱数であることを差し引いたとしても、ダイスをふる行為そのものに意義があるような気もします。

ではでは、また来週。

 

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Re: 週刊ボードゲーム通信329号「ボードゲーム地図」その9
名前:柴崎@銀河企画    日付:12月18日(月) 10時15分
コンピュータと違って本物のダイスは目の前にある現物なので、
ひょっとすると念じて振れば物理現象に作用を及ぼして
希望の目が出るかも知れない、
という期待感があるからだと思います。
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週刊ボードゲーム通信328号「ボードゲーム地図」その8 返信  引用 
名前:    日付:12月10日(日) 20時54分
振り返って考えてみると、「ボードゲームだけどボードゲームではないっぽいもの」と「ボードゲームではないけどボードゲームっぽいもの」の存在は一体なんなのか、というのが今回の問題設定だったのでしょう。

『ウィキペディア』で記載されているように、ボードゲームは「ボードを使ったゲーム」と説明されるのが通常です。
しかし、そこが間違っている点のようです。

ボードやコマなどは、コンポーネントであり、入れ物であり、手段です。
中身・目的は、「みんなでわいわい遊ぶこと」です。

「できのわるいボードゲームはボードゲームではない」とか「多人数ソロプレイゲームはとてもつまらない」といったことを以前から述べてきました。
私がそう思ったのは、みんなでわいわい遊ぶことができないからという説明がつきます。

さて、ボードゲームの定義が「みんなでわいわい遊ぶこと」で妥当かどうかです。
定義づけるとなると、どちらも同じ意味合いですが、「みんなで」よりも「多人数で」とした方がしっくりくると思います。

では、「多人数でわいわい遊ぶこと」は、もっとシンプルにできないでしょうか。
@遊ぶこと
A多人数で遊ぶこと
Bわいわい遊ぶこと
C多人数でわいわい遊ぶこと
上記の4つが候補です。

@は、範囲が広くなりすぎます。
ABもまだ広くて、ボードゲーム以外のものがたくさん含まれます。
この4つの中では、やはりCが妥当です。
Cでもボードゲーム以外のものが含まれるのは同様ですが、「多人数でわいわい遊ぶこと」という言葉から、「ボードゲーム」がけっこう自然に浮かんでくるような気がしませんか。

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Re: 週刊ボードゲーム通信328号「ボードゲーム地図」その8
名前:柴崎@銀河企画    日付:12月12日(火) 14時46分
もしも、多人数で遊ぶゲームを「マルチプレイヤーゲーム」、
わいわい遊ぶゲームを「パーティーゲーム」と呼ぶならば、
道具としてボードを使うゲームを「ボードゲーム」と言うので
間違いでは無いようにも思えます。

また、「ボード」のあるべきテーブルの中央の場に
プレイヤーの視線が集まるタイプのゲームであれば、
そこには実際にボードが無くても、
例えば、カードやタイルが並んでいるだけでも、
それが全プレイヤーへの共通情報を提供している限り、
機能的分類において、それが「ボード」に相当する気がします。
そうであれば、大半のカードゲームはボードゲームの一種になります。

以下は別の見方になりますが、
ボード(の上の公開されたアイテム)はグローバル変数であり、
手札など非公開状態のものはローカル変数である、
と言えるかもしれません。
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Re: 週刊ボードゲーム通信328号「ボードゲーム地図」その8
名前:ポケモンのゲーム    日付:4月29日(日) 17時10分
> 振り返って考えてみると、「ボードゲームだけどボードゲームではないっぽいもの」と「ボードゲームではないけどボードゲームっぽいもの」の存在は一体なんなのか、というのが今回の問題設定だったのでしょう。
>
> 『ウィキペディア』で記載されているように、ボードゲームは「ボードを使ったゲーム」と説明されるのが通常です。
> しかし、そこが間違っている点のようです。
>
> ボードやコマなどは、コンポーネントであり、入れ物であり、手段です。
> 中身・目的は、「みんなでわいわい遊ぶこと」です。
>
> 「できのわるいボードゲームはボードゲームではない」とか「多人数ソロプレイゲームはとてもつまらない」といったことを以前から述べてきました。
> 私がそう思ったのは、みんなでわいわい遊ぶことができないからという説明がつきます。
>
> さて、ボードゲームの定義が「みんなでわいわい遊ぶこと」で妥当かどうかです。
> 定義づけるとなると、どちらも同じ意味合いですが、「みんなで」よりも「多人数で」とした方がしっくりくると思います。
>
> では、「多人数でわいわい遊ぶこと」は、もっとシンプルにできないでしょうか。
> @遊ぶこと
> A多人数で遊ぶこと
> Bわいわい遊ぶこと
> C多人数でわいわい遊ぶこと
> 上記の4つが候補です。
>
> @は、範囲が広くなりすぎます。
> ABもまだ広くて、ボードゲーム以外のものがたくさん含まれます。
> この4つの中では、やはりCが妥当です。
> Cでもボードゲーム以外のものが含まれるのは同様ですが、「多人数でわいわい遊ぶこと」という言葉から、「ボードゲーム」がけっこう自然に浮かんでくるような気がしませんか。
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週刊ボードゲーム通信327号「ボードゲーム地図」その7 返信  引用 
名前:鱶(fuka)    日付:12月3日(日) 22時27分
 こんばんは、鱶(fuka)です。では、このシリーズ終了後はゲームブックの話をしましょう。

 もしかしたら、北米の果て、グリーンランドあたりに、MMORPGがあったりするのかもしれませんよ。
やったことないんですが、パーティ組んだり会話があったり、ちょっとTRPGっぽかったりしませんか。
南極からはちょっと遠くなってしまいますが。
 表題のようにほんとに地図をイメージしたところで、このシリーズもそろそろ終幕なのでしょうか。

 前の基準のところで、「多人数で遊ぶ」とありましたが、「多人数でわいわい遊ぶ」というのが
より的確な表現ではないでしょうか。
 形式的な、ボードを使う、コマを使うといった以上に、みんなで遊ぶという点は、ボードゲームを定義する上で
かなり重要なポイントです。前に挙げられたボードゲームの周辺領域のほとんどが「人と一緒にプレイする」
という面を持ちます。ボードゲームの楽しいところといえば、そのあたりに大きな部分があります。

以前にKenさんが書いてくださった、イントロにもありましたね
http://www.geocities.co.jp/Playtown-Yoyo/4569/intro.htm

<ボードゲーム>
 ボードゲームは、複数の人数で遊ぶことができるゲームです。ボードを広げ、その上でコマなどを
動かして遊びます。プレイ中はみんなでわいわい騒ぐことができます。
 ゲームプレイにはコマのほかに、カード、ダイスなどが、よく用いられます。
 ゲームには”勝利条件”が決められています。それぞれのプレイヤーはその勝利条件を満たすよう
行動します。その過程で、お互いの戦略がぶつかり合うために、容易に勝利することができません。

…と、ちょっと書き始めてみたりしましたが、どうでしょう。
 

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Re: 週刊ボードゲーム通信327号「ボードゲーム地図」その7
名前:柴崎@銀河企画    日付:12月4日(月) 9時43分
「勝利条件」の考察は、いろいろなケースを考えると奥が深いと思います。
通常のゲームだと、「零和」(勝つ人がいれば負ける人がいて、
全員の利得の和はゼロ)なことが多いのですが、
TRPGは協力して(仮想の敵に対して)プレイヤー全員が勝つこともありうる、
つまり「非零和」であるという点で、
「勝利条件」の考え方を軸にして二極化できる内容だと思います。
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週刊ボードゲーム通信326号「ボードゲーム地図」その6 返信  引用 
名前:    日付:11月26日(日) 20時4分
私のボードゲーム世界地図を考えてみました。

ボードゲームとシュミレーションゲームが、ユーラシア大陸です。
ヨーロッパ側がボードゲーム、アジア側がシュミレーションゲームと、二分しています。
この二大勢力が少し影響を及ぼしあいながら、独自性を保っています。

カードゲームは、アフリカ大陸です。
古くからの存在です。
しかし勢力は弱く、ヨーロッパ(ボードゲーム)の植民地です。

TRPGは、アメリカ大陸です。
TRPGの出現は新大陸の発見でした。
最近のTRPGの状況はあまりよく知りませんが、2つの勢力があるのであれば北米と南米に分けることができるでしょう。

オーストラリア大陸は、チェスや将棋などの伝統的なボードゲームです。
ボードゲームとの交流はほとんどありません。
プレイ人口としては最大でしょうが、我々の視点では辺境です。

コンピュータのボードゲームは、南極大陸です。
地球の裏側の、遠くて謎の存在です。

ゲームブックは、ムー大陸ということにしておきましょう。
ときに遺跡が発掘されます。
私もゲームブック世代で、よくやりました。今度のテーマに取り上げましょう。

そして、トレーディングカードゲームは、日本です。
彗星のように現れ、不思議なくらい活躍しました。
今でもそれなりに売り上げはあるみたいです。

以上、こういう風にイメージして考えることは、突き詰めていっても理論にはなりません。
つまり議論にはなりません。
しかし、おもしろいものですね。
X軸Y軸の座標で捉えたりするようなことに行き詰まったとき、ブレイクスルーの一助になるかもしれません。

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週刊ボードゲーム通信325号「ボードゲーム地図」その5 返信  引用 
名前:鱶(fuka)    日付:11月19日(日) 21時20分
みなさんこんばんは、鱶(fuka)です。

 「ボードゲーム的」、「ボードゲームでは無いっぽい」という表現は微妙ですね。
人生ゲームは明らかにボードゲームであるための要件を備えているにもかかわらず、
ボードゲームでは無いっぽいと思われてしまうとは…。

 今まであげられた、基準を指標として、いくつかの指標でボードゲームを定義できそうな気がするのですが。

@形態
 やはりここは、一番のポイントでしょう。ボードを使用。コマを使う。多人数で遊ぶ。
A非ゲーマーがプレイするか否か
Bゲーマーが認めるか否か
Cボードゲーム屋に置いているか否か
Dゲーマーが買うか否か
E面白いかどうか
F思考要素があること
 などなど。
 人生ゲームは、@を満たしています。よって、明らかにボードゲームなのですが、
A以降の要素がほとんど当てはまらないために、ボードゲームっぽくなくなっているのではないでしょうか。
多くの要素を満たしていると、ボードゲームっぽいということになります。
@のみで判断するというのが、狭義のボードゲームということで。

 ところで、私のボードゲーム地図では、ボードゲームはユーラシア大陸、カードゲームはアメリカ大陸、
ゲームブックはオーストラリア大陸かなあと思っています。あれ、アフリカ大陸は?
シミュレーションゲームかな?じゃあ、コンピュータ上のボードゲームは南極大陸、ということでどうでしょう。TRPG忘れてた…TRPGがオーストラリア大陸で、ゲームブックはムー大陸かも。
今はほぼ絶滅ですよね…。

 ゲームブックについてって、このコーナーでやったことありましたっけ?ボードゲームについては、
懐かしく色々語りたかったりもします。ソーサリーとか大概面白かったよなあ。ドルアーガの塔の
マッピングにも燃えたし、ウルフヘッドは結局難しすぎて解けなかった気も…。
今度ぜひゲームブックの回をやりましょうよ。横さんは色々やった方ですか?

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Re: 週刊ボードゲーム通信325号「ボードゲーム地図」その5
名前:柴崎@銀河企画    日付:11月27日(月) 10時37分
系統樹を書いたときに「すごろく」から進化したと推測できるゲームは、
「ボードゲーム」っぽくないのかも知れませんね。
でも、「モノポリー」が「ボードゲーム」っぽいのなら、その仮説は違うかな。
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週刊ボードゲーム通信324号「ボードゲーム地図」その4 返信  引用 
名前:    日付:11月12日(日) 0時3分
「ウィキペディア」の「ボードゲーム」の項の内容を考える企画もありですね。
内容はしばらく書き換えられてない様子なので、やってみてもそんなに迷惑をかけないような気がします。
やるならば、まず現在の内容の検討からはじめるのがいいでしょう。
[起源]や[歴史]については、難題ですね。

このためにも、「ボードゲーム的」と「ボードゲームでは無いっぽい」の境界を決めたいところです。

基準としては、「非ゲーマーがプレイするか否か」と「ゲーマーが認めるか否か」が挙がっています。
「ボードを使うゲーム」とかいう風な、客観的に明らかな基準であればわかりやすのですが、そういう明確な基準ではボードゲームを正確に説明できません。
これは、ボードゲームが多様化しているためでしょう。
先に挙げたようなあいまいな基準となるのは仕方ないとして、検討します。

さて、前回までに挙がっている個別ゲームについてぼちぼち考えていきましょう。
「人生ゲーム」は、「ボードゲーム地図」では「ボードゲームでは無いっぽい」ものとなっています。
一応ボードゲームではありますが、「ボードゲーム的」なものではありません。

「人生ゲーム」は、非ゲーマーがプレイするボードゲームの代表なので、「非ゲーマーがプレイするか否か」という基準に則ると、「ボードゲームでは無いっぽい」ものとなります。
また、ゲーマーとしては、ボードゲームの代表されることには納得できないので、「ゲーマーが認めるか否か」の基準に則っても、「ボードゲームでは無いっぽい」ものとなります。

「人生ゲーム」が「ボードゲームでは無いっぽい」ものであることから、他の基準も考えられないでしょうか。

そういえば、ボードゲーム屋に「人生ゲーム」は置いていません。
したがって、「ボードゲーム屋に置いているか否か」という基準はどうでしょう。
またそれにつながりますが、「ゲーマーが買うか否か」という基準でもいいのではないでしょうか。
ところで、プレミア価格となった「人生ゲーム/ライブドア版」を保有していたゲーマーが何人いたか気になるところです。

それから、「面白いかどうか」という基準でいくのもいいかもしれません。
「人生ゲーム」はおもしろくないので、「ボードゲームでは無いっぽい」と。

ところで、「ゲームブック」について触れておきます。
「ゲームブック」が出たころのイメージで、私は「ボードゲームでは無いっぽい」方に分類しましたが、「ボードゲーム的」に分類する方が妥当です。
今となっては、「ゲームブック」をプレイする時点で、すでにゲーマーです。
ゲーマーは、「ゲームブック」をボードゲームと認めるでしょう。
「ゲームブック」は、ボードゲーム屋に置かれていますし、ゲーマーは懐かしく思って買います。
それに、再販されるような「ゲームブック」なら、やってみると面白いです。

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Re: 週刊ボードゲーム通信324号「ボードゲーム地図」その4
名前:柴崎@銀河企画    日付:11月27日(月) 13時25分
こんな分類ではどうでしょう。
前にどこかで書いたかも知れませんが、
ボードゲームは、「ハード」と「ソフト」から成り立っていて、
ハードは、盤・駒・チップ・ダイスなど、
ソフトは、ルールブックのようなドキュメントです。
このうち、ハードが仮想化されてしまい、ルールブックだけになったものが「ゲームブック」です。
また、ハードが汎用部品だけで揃えられる場合も、商品はゲームブックだけになります。
そのような場合なら、「ゲームブック」はボードゲームです。
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週刊ボードゲーム通信323号「ボードゲーム地図」その3 返信  引用 
名前:鱶(fuka)    日付:11月5日(日) 15時8分
 みなさんこんにちは、鱶(fuka)です。

 カルドセプト、ミュール、ゲームブックと、UNOあたりは、かなりあやしい存在ですね。
 ところで、前回は「ボードゲーム的」と「ボードゲームでは無いっぽい」に
分けてみましたけど、ここから一歩踏み込んで、ボードゲームを定義することは可能なのでしょうか。
ちなみに、私の持っている旺文社の国語辞典にはボードゲームは載っていませんでした。
ウィキのボードゲームの項は短くまとめられていますが、百科事典というには、[起源]、[歴史]
など、ちょっと説明不足の感が否めません。といって、私が書けるわけでもないのですが…。

 ボードゲームのボーダーラインから外れているか否か、どのポイントを見るべきなのでしょうか。
前回の横さんの「非ゲーマーがプレイするか否か」を基準とすると、すべてのボードゲームは
マイナーである、ということになります。人口に膾炙した時点で、ボードゲーム認定から外れると。
 はっきり言って、そういう側面が大いにあります。2人ともボードゲームでは無いっぽいと判定した、
「人生ゲーム」。知らない人は無いといっても過言ではないでしょう。問題は、ルーレットをまわして進むだけの
「すごろく形式」にあると思われます。ひとえに、思考要素が薄すぎるのです。人生ゲームよりも、
ゲーム性の低い、思考要素の薄いボードゲームはいっぱいあります。しかし、そこら辺のゲームは
マイナーで話題に上ることが無いために、とりあえずボードゲームとして存在しています。
しかし、人生ゲームほどメジャーになってしまうと、ゲーマーとしては、こんな思考要素が少ないものが
ボードゲーム(の代表)とされてしまうことに違和感を感じ、ボードゲームでは無いっぽい、と思うのでしょう。
 カタンが人生ゲームくらいメジャーになったら…そんな日が来るのでしょうか。今まで最もメジャーな
座に近づいたゲームは、モノポリーあたりでしょう。これが、人生ゲーム同様のメジャーな存在に
なったとしても、ボードゲームで無くなるとは思えません。と、いうわけで、「ゲーマーが認めるか否か」
という、あいまいな基準があるような気がしているのですが、どうでしょう。

 それと変わって。私はミュールのことを考えたときに、一般的かどうかというよりは、
コンピュータ上で、コンピュータでこそ実現可能な要素を持ちつつ、なおボードゲームであるかどうか、
という点を重視しました。
ターン開始時の土地の取り合い、資源の競りなどは、コンピュータの特性を生かしつつ、
なおかつボードゲーム的である点に意義があると思います。
 その点で、カルドセプトについてはまだ軽くしかプレイしていませんので、現時点の評価は
確定ではないのですが。(もうすぐ360版が出るので、やりこむ予定です)
 桃鉄はどうなんでしょうね?

 最後にひとつ。ゲームブックをプレイする時点で、すでにゲーマーのような気がするのですが…。
 
 このテーマはまだまだ広がりそうな予感です。ではまた来週。

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週刊ボードゲーム通信322号「ボードゲーム地図」その2 返信  引用 
名前:    日付:10月28日(土) 23時28分
前回に言及されたとおり、どこまでがボードゲームなのかという問題は奥深いです。
したがって、ボードゲーム地図では縦軸(ボードゲーム的⇔ボードゲームでは無いっぽい)が重要です。

前回では、「ボードゲーム的なもの」が「ボードゲーム」と、「ボードゲームでは無いっぽいもの」が「ボードゲームの周辺領域」と結びつけられています。
この認識は、ゲーマー間ではだいたい共通していて、妥当ではないでしょうか。

人によって認識が異なるのは、この2つの境界がどこにあるかです。
なので、このことが問題となります。

これは、ゲーマーにとっての問題です。
非ゲーマーはボードゲームのことをよく知らないため、どこまでがボードゲームなのかということは問題とはなりえません。
非ゲーマーは、ボードゲーム地図をイメージすることはできないでしょう。

私の場合、ボードゲーム地図は以下のようになります。
前回との違いは、「カルドセプト、ミュール、TRPG、ゲームブック」の位置です。

このように修正したのは、ボードゲーム的かどうかの基準は非ゲーマーがプレイするか否かだと思うからです。
したがって、前回にボードゲーム的なものに含まれた「カルドセプト、ミュール、ゲームブック」は、非ゲーマーもプレイするため、ボードゲームでは無いっぽいものにしました。

ところで、私が唱える基準で考えるのであれば、横軸については他の尺度を検討した方がよいかもしれません。


 <私のボードゲーム地図>

            ボードゲーム的
  ドイツゲーム       ↑カタン
        カードゲーム |モノポリー
  ウォーゲーム       |
           M:TG|
  TRPG         |
マニアック ←−−−−−−−−+−−−−−−−−−−−−−→ 一般的
     カルドセプト    |
  ミュール         |
  ゲームブック       |
               |           UNO
               |            麻雀
               |          トランプ 
               |将棋
               |囲碁
            桃鉄 |
               |         人生ゲーム
    花札         |          すごろく
               |ピンボール
   POG         ↓          パチンコ
           ボードゲームでは無いっぽい



それから、前回の「百科事典の項目として”ボードゲーム”を記載する」というテーマについてです。

ネット上の『ウィキペディア(Wikipedia)』の「ボードゲーム」の項目は、現時点では以下のとおりです。
参考に、引用だけしておきます。

「ボードゲームはボード(盤)上にコマやカードを置いたり、動かしたり、取り除いたりして遊ぶゲームの総称である。
ボードやコマ、カードは本来は物体であるが、コンピュータ上につくられることもある。
広義にはテーブルゲームとほぼ同義で、カードゲームやシミュレーションゲームを含めることもある。
別の分け方では、コンピューターゲームに対して、プレイヤーが実際にテーブルを囲んで行うタイプの遊び方(のゲーム、俗に言う「アナログゲーム」「非電源ゲーム」)を指して用いることもある。」

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%83%89%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%83%A0

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週刊ボードゲーム通信321号「ボードゲーム地図」その1 返信  引用 
名前:鱶(fuka)    日付:10月22日(日) 21時19分
 みなさんこんばんは、鱶(fuka)です。
未プレイゲームがたまっていくのは構造的な問題だったんですね…。

 さて、今回は唐突にボードゲーム地図を作ってみました。
自分の中で、どこまでがボードゲームに含まれるのか。
一応上半分がボードゲームっぽいです。


 私のボードゲーム地図

            ボードゲーム的
  ドイツゲーム       ↑カタン
        カードゲーム |モノポリー
  ウォーゲーム       |
           M:TG| 
     カルドセプト    |
  ミュール         |          
  TRPG         |
  ゲームブック       |
               |           UNO
マニアック ←−−−−−−−−+−−−−−−−−−−−−−→ 一般的
               |            麻雀
               |          トランプ 
               |将棋
               |囲碁
            桃鉄 |
               |         人生ゲーム
    花札         |          すごろく
               |ピンボール
   POG         ↓          パチンコ
           ボードゲームでは無いっぽい


 下半分はボードゲームでは無いっぽいのですが、私の中ではボードゲームの周辺領域として
認識されています。
 どこまでがボードゲームなのか、という問題はなかなか奥深いというか、
個々人によって大分認識が違うのではないか、と考え、ボードゲーム地図を作ってみましたが
どうでしょう。

 それと、ボードゲーム地図を考えるうちに、このコーナーのテーマに設定したいのが、
「百科事典の項目として”ボードゲーム”を記載する」というテーマなのですが。
百科事典の項目の執筆をボードゲーム通信社が依頼されたら、という設定で、項目文を完成させる、
ということをしてみたいのですが。

 ではでは、また来週。
 

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週刊ボードゲーム通信320号「"買ったものの1回もやってないゲーム"、その傾向と対策」その6 返信  引用 
名前:    日付:10月15日(日) 18時37分
なぜ"買ったものの1回もやってないゲーム"が多く存在するか、を考えてみます。

ボードゲームはコレクター的な趣味であることが大きいでしょう。
それは、持つこと自体に意味があるということです。
プレイしていなくてもべつに構わないのです。

こういう趣味となっているため、ボードゲームの価値(値段)は時間を経てもあまり変化しない傾向があります。
なかには、もとの定価の何倍もの価値が出るものもあります。
したがって、プレイしそうでないボードゲームを持っておいても損はしません。
置き場所だけが問題です。

ボードゲームのメーカーが、コレクター的な趣味にすることをどの程度意図してきたのかは分かりませんが、まあまあそのつもりでやってきたのではないかと思います。

まず、ボードゲームのコンポーネントを立派にしていることが1つあります。
コンポーネントをよくすることの目的は、プレイの観点では、プレイ意欲を高めることや、プレイアビリティを高めることにあります。
商品としての観点では、購買意欲を高めることにあり、これがけっこう成功しています。

もう1つ、メーカーは絶版にするという手をうまく使っていると思います。
ボードゲームはいつのまにか絶版になるため、買えるうちに買っておかないと後悔することがあります。
絶版になったボードゲームが再販されることもありますが、たいていはコンポーネントやルールが変更され、コレクターの視点からは別物となります。
絶版になると往々にして価値が高くなるので、ボードゲームはとりあえず買っておいて構わないものなのです。
ゲーマーは、それほどプレイしたいわけでないゲームであっても買えるうちに買っておくという行動をよくとるため、"買ったものの1回もやってないゲーム"が溜まっていくのは自然な流れです。

以上のことは、ゲーマーにとっては当たり前で、あえて書き記すほどのことでもないかもしれません。
ただ、非ゲーマーにとっては、ゲーム好きの人たちが"買ったものの1回もやってないゲーム"を多く持っているのは不思議に見えるのではないでしょうか。

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週刊ボードゲーム通信319号「"買ったものの1回もやってないゲーム"、その傾向と対策」その5 返信  引用 
名前:鱶(fuka)    日付:10月8日(日) 19時45分

 みなさんこんばんは、鱶(fuka)です。
今回のテーマって、ちょっとつらかったりして。私もご多分にもれず、
「C箱を開けていない(ビニールを破っていない)」ゲームがいっぱいあります。
 今回は、あえてこれについて語ってみます。
説明書がビニール袋に入れて、箱に貼り付けてありますので、それを開けて、
一応説明書に目は通している状態です。なので、完全にCというわけではありませんが、
ボードやコマ、カードは見ていないという。ここまで行って、なぜ開封にまで至らないのか?
それは、ゲームがなんとなく、めっちゃ面白そうに感じないからです。
やってみて、面白くなく、結局1回しかプレイせずに開封済みでヤフオクに出すよりも、
未開封の方が高く売れるのでは? と考えてしまうのですが、浅ましいですかね。
 まあ、普通に考えれば、そこまで面白くないゲームなら、開封だろうが未開封だろうが
たいした値段はつかないのかな?

>看板娘
 …悲しいお知らせですね。なんとなく好きなゲームではない恐れがありましたが、
やっぱり。

 ルールを読んだだけで、ゲーム性が理解できて、面白そう!→即プレイ or 一人プレイ
となるのが理想的なのですが。
 最近は(?)、手続きが多くて、ゲーム性が隠れている、あるいはゲーム性が低い
ものが多い気がしているのですが。

 大体、傾向と対策はこんなもんでしょうかね?
次回のテーマは何にしましょう?…というのが次回のテーマになったりして。
それでは、また来週。

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週刊ボードゲーム通信318号「"買ったものの1回もやってないゲーム"、その傾向と対策」その4 返信  引用 
名前:    日付:10月1日(日) 21時10分
"買ったものの1回もやってないゲーム"は減らしていくべきだ、という立場を取って話を進めていきます。

さて、"買ったものの1回もやってないゲーム"の対処方法としては、(1)プレイするか、(2)処分するかのどちらかです。
それは分かっていても、(3)1回もプレイしないまま置いておく、となっているゲームが多いのが現状です。
1回プレイして面白くなかったとなったら処分もしやすいのですが、1回もプレイせずに処分するのは忍びないといういうか、もったいないので、どうしても1回もプレイしないままになってしまいがちです。

これまでの議論から、"買ったものの1回もやってないゲーム"にも段階があることが明らかになりました。
@ルールを読んで理解した
Aルールを読んだがいまいちよく分からない
Bルールを読んでいない
C箱を開けていない(ビニールを破っていない)

下に行くほど、ダメ度が高くなります。
それぞれについて述べます。

@ルールを読んで理解した
これはプレイ可能な状態であり、ゲーマーとしての義務は果たしたと言ってよいでしょう。
そこで未プレイの理由は、機会がないか、面白くなさそう、のどちらかです。
前者の場合は、前回の対処法「ゲーム大会をする時の最初のゲームは、必ず未プレイゲームにする」がよいでしょう。
後者の場合は、思い切って処分して構わないと思います。面白くなさそうなゲームが面白かったことは少ないですし、そんなゲームにつき合わせるのは他の方々に申し訳ないです。

Aルールを読んだがいまいちよく分からない
これはやっかいです。
しばらく経ってからルールを読んだとしても、ぴんと来ないことには変わりありません。
なので、知ってる人にルールのインストをしてもらうのがいちばんいいです。
あと、ネットでそのゲームの紹介を読めば、流れが分かってルールが理解しやすくなる場合もあります。
ただ、こういうゲームは、ルールの書き方が分かりにくかったり、コンポーネントが未熟だったりして、デザイナーの側の責任であることもよくあります。
そういうゲームは労力を要してルールを理解するに値しない、という仮説を私は持っています(そのため努力を惜しんでしまい、未プレイゲームが増えるということになってしまっています・・・)。
ところで、鱶さんがこの範疇のものとして前回挙げた「看板娘」を私は1回プレイしたことがあります。
ルールは簡単で、プレイしやすかったです。しかし、あまり面白くありませんでした。鱶さん好みのゲームでもないと思いますので、処分されてもよいのではないでしょうか。

Bルールを読んでいない
可能性という点では、Aよりもあるかもしれません。
とりあえず、ルールの解読に努めてみるのがいいです。
そうすれば、@かAに移行します。

C箱を開けていない(ビニールを破っていない)
これにあてははまるゲームを私はいくつか持っています。
この手のゲームがゲーマーの最大のカルマでしょうね。
各自、言い訳はいろいろあるでしょうが、しなくていいでしょうし、これについての対策はあえて触れません。

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週刊ボードゲーム通信317号「"買ったものの1回もやってないゲーム"、その傾向と対策」その3 返信  引用 
名前:鱶(fuka)    日付:9月24日(日) 21時54分

 みなさんこんばんは、鱶(fuka)です。

 確かに、プレイしていないゲームは、ルールがすっと頭に入ってこないことが多いです。
「看板娘」というゲームも未プレイなのですが、どうもルールになじめなかった気がします。
それほど難しいルールではなかった気がするのですが、きっちり覚えきってみんなと楽しむ魅力に
ちょっと欠けていたというか、自分に合わなかったということでしょうか。
 ルールがわかりやすいゲームは、ボード上の各種表示がわかりやすいと思います。アイコンなどを
使って、言葉があまりわからなくても、ゲーム進行の流れをわかりやすくしたり、ポイント計算の助けに
なったりしています。

 「ルールの量が多い」といえば、昔のゲームほどルールは多かった気がしませんか。A4くらいの紙に
ルールがびっしり書かれていると、それだけでお腹いっぱいになったりしそうです。私はドイツゲーム
が普及したころからゲームを買い始めたので、ルールが多いといってもそれほどではない気もします。
プレイするに至らないのは、ゲームが与えてくれるであろう楽しさが、それほど感じられないからでしょう。

 私は、ルールを読むこと自体は結構好きですが、やはりプレイ機会の少なさが問題です。

 今回の考察は「傾向と対策」なので、対策を考えてみました。
・ゲーム大会をする時の最初のゲームは、必ず未プレイゲームにする。
 これは結構有効な気がします。最初はみんな気力があるので、新しいゲームをやろう、という気になりやすく、
万が一(以上の確率ではあるが)しょうもないゲームだった場合も、お口直しができるからです。
ぜひ試してみてください。

・買うゲームを減らす。
 これは非常に難しいです。ふとゲーム屋さんで見かけたゲームが、1ヵ月後にもそこにあるとは限らない、
絶版になるかも、という強迫観念にとらわれると、とりあえず買っとく、という行動になってしまいがちです。
絶版になったゲームはヤフオクあたりで大枚をはたいて買わざるを得なくなるわけで、それは
避けたいところです。
 というわけで、ゲーム会社さんにぜひ実現してほしいのが、絶版になったゲームのPDF配信です。
コマは自分で作成するし、ボードも拡大コピーしてダンボールに貼り付けて作るので、
面白いゲームが絶版になって入手できない、という事態が無いようにできないものかなあと思っています。
1,000円以内ならダウンロードする人も多いと思うのですが、どうでしょう。

 と、めずらしく建設的な提案をしたところで今週は終わります。ではでは、また来週-。

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週刊ボードゲーム通信316号「"買ったものの1回もやってないゲーム"、その傾向と対策」その2 返信  引用 
名前:    日付:9月17日(日) 20時53分
今回は書きやすそうなテーマですね。

私も、買ったものの1回もやってないゲームをけっこう持っています。
20年前に買ったのにやっていないものもあります。いつかやることがあるのでしょうか。

前回に要因が4つ挙げられました。それについてコメントを。

@ルールが複雑、ルールの量が多い
自分が所有している未プレイゲームの大半はこのためです。
ところで、「フィレンツェの匠」はまさにこれに当てはまりますが、「サンクトペテルブルグ」はわりとシンプルなので、ぴったりとは当てはまらないのではないかと思います。
「ルールが複雑でも多くもないが、ピンとこない」または、「カードがいろいろあって面倒そう」というのが近いと思います。

Aアクション系
アクション系は、頑張らないとなかなかプレイできないですね。
「プレイするほどではない感がただよう」というのは的確な表現です。
たしかにアクション系は、あんまりなものがよくありますが、これはもう買った方がわるいと言ってよさそうです。

B誰もついて行けないっぽい
「魔法の国ザンス」の小説は読んでいませんが、昔、安田氏のコラムで面白いと聞かされた刷り込みがあるような気がするので、ボードゲームもしてみたいと感じます。
ただし、日本語に訳してまでやろうという気にはなりません。それに英語はもうだいぶ忘れたので、正確に理解できなさそうだし。

Cプレイ時間が長い
長時間のゲームは今どきそんなにありませんが、ゲーム時間のデフレが進み、2時間かかるゲームは長すぎる感じがします。
面白ければ長くてもいいのですが、時間がかかるゲームは、デザイナーの独りよがりだったり、洗練されてなかったりするので、経験的に避けた方が賢明です。

さて、自分にも、"買ったものの1回もやってないゲーム"の傾向としては、@の「ルールが複雑、ルールの量が多い」です。
これについては、「ルールを読むのがめんどくさくて読んでいない」という方が正確です。
「それってゲーマーとしてどうなん?」と問われそうですね。

でもやはり、ボードゲーム経験が増えても、ルールを読む面倒さは変わらないです。
むしろボードゲームの経験年数が増えるほど、面倒さが増しているような気もします。
というか、年齢が高くなるほど新しいものを受け入れる力が低下するというのが大きく、ボードゲームの経験年数はあまり関係ないのかもしれません。

ということで、ルールを読むか否かが、プレイするか否かの第一のポイントだと思います。
そう言えば、ルールを読ませることは、ボードゲームの世界において昔からの課題ですね。

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週刊ボードゲーム通信315号「"買ったものの1回もやってないゲーム"、その傾向と対策」その1 返信  引用 
名前:鱶(fuka)    日付:9月10日(日) 22時19分
 みなさんこんばんは、鱶(fuka)です。前回は、「買ったものの1回もやってないゲームをやるためのレシピ」
をお送りしたのですが、みなさん、”買ったものの1回もやってないゲーム”って、どのくらい
持ってます?
 私は、1年くらいメビウス便に加入してましたので、結構たくさんあります。今回は、
”買ったものの1回もやってないゲーム”、その傾向と対策について、考察してみたいと思います。

@ ルールが複雑、ルールの量が多い、など。前にあげた「フィレンツェの匠」。それ以外にも、
「サンクトペテルブルグ」など、このカテゴリが一番多い気がします。
 この場合、ゲームが扱っているテーマが面白そうでなければ、いまいち食指が働かないことが
多い気がします。

A アクション系。「メイクンブレイク」という、カードに描かれた建物を、手元のブロックで作るゲーム。
実物系のゲームは、それほど時間もかからないので、とりあえずプレイすることが多いのだが、
箱がでかいのでなんとなくプレイしていなかったりする。どうも、プレイするほどではない感がただよってしまう
のが難点。

B 誰もついて行けないっぽい。「ザンス・ボードゲーム」。「魔法の国ザンス」の小説を元にした、
原作つきのゲームだけど、私以外周りの人は読んだことないと思う。横さんは読んでます?
それ以前に、日本語訳が無いのも多少問題…。

C プレイ時間が長い。@と重なることも多い。

 そもそも、プレイ機会が少ない中で、海のものとも山のものともつかない未プレイゲームをプレイする
のはなかなかやりにくいものです。
 そんなこんなで、また来週-。

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週刊ボードゲーム通信314号「ゲーム大会のレシピ」その8 返信  引用 
名前:    日付:9月3日(日) 19時12分
前回の「買ったものの1回もやってないゲームをやるためのレシピ」が、レシピにする意味がいちばんあるかもしれませんね。
これまでに挙がった「初心者相手のレシピ」や「定番ゲームのレシピ」は、とくに作らなくても、ゲームを用意しておいてその場でやるものを決めていけば事足りますし、その方が柔軟性があってよい場合もあります。
「1回もやってないゲームのレシピ」に関してもそれは同様ですが、未プレイゲームは、ゲームが用意されていてもプレイが見送られることがよくあります。
なので、レシピを作って、やると決めてしまったほうが確実です。
 
ただ、前回に指摘されたとおり、1回もやってないゲームはおもしろくない可能性が高いため、未プレイゲームばかりだと、せっかく集まったのに満足できなかったということになりえます。
そのため、定番のゲームを1つくらいは入れておいてもいいように思います。
 
ところで、前回にレシピとして挙がったゲームについてコメントを記します。

@「フィレンツェの匠」
未プレイです。
プエルトリコを面白いと感じるので、こちらもやってみたいと前々から思っています。
シートの文字が分かりにくいため、日本語訳をプリントした透明のプラスチックシートを載せてプレイしている人を見て感心したことがあります。
そのような用意があった方がよいというのがまた、敷居の高さですね。

A「ツタンカーメン」
未プレイです。
ネットで検索したら、1993年出版の古いゲームで、ゲーム賞の候補にもなっているんですね。

B「頭脳絶好調」
1回プレイしたことがあります。
1回では、評価の高さがピンと来ませんでした。
4人でやる思考ゲームはやっぱり厳しいなあ、という感想です。

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Re: 週刊ボードゲーム通信314号「ゲーム大会のレシピ」その8
名前:鱶(fuka)    日付:9月3日(日) 23時2分
>フィレンツェ
 透明のプラスチックシートはいいですね。
私は、ボードとカードに直接書き込んでしまいました。
あまりにもわかりにくかったもので…。
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週刊ボードゲーム通信313号「ゲーム大会のレシピ」その7 返信  引用 
名前:鱶(fuka)    日付:8月27日(日) 22時51分
 みなさんこんばんは、鱶(fuka)です。
レシピシリーズももう第7回なんですね。もういっちょ、レシピで行っていいでしょうか。

 今回は、「買ったものの1回もやってないゲームをやるためのレシピ」です。
メンバー的には、やはりゲーマーが望ましいです。一応面白いと思われるものを、買ったり
プレイしようとしたりするわけですが、結果さまざまなゲームが出てきます。
はっきり言って、初プレイのゲームは、はずれゲーが出てくる可能性が結構高いので、
それすらも笑って済ませることのできる、ゲーマーでやるのがいいでしょう。

@「フィレンツェの匠」
 …。とにかくルールが多い。とりあえず、1度流してプレイしてルールを把握するのが
いいと思うが、そこに至る最低限のルール説明が多い。というか、ポイントのとり方がなんか
えらく複雑。

A「ツタンカーメン」
 クニツア作ということで、この前買いました。説明書を読んでも、いまいち面白いのかどうか、
ぴんときませんでしたが、プレイ時間が20−30分ということで、軽くできそうです。

B「頭脳絶好調」
 こちらもクニツア作。メビウス便で来たまま、なんとなくプレイしてませんでした。
アブストラクトなので、ちょっと引いてたのかもしれません。ルールは簡単っぽいんですが、
思考系はどうも苦手。

 他にもやったことないゲームが結構たまってるんですよね…。
 ではでは、今週はこれで。さよなら-。

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週刊ボードゲーム通信312号「ゲーム大会のレシピ」その6 返信  引用 
名前:    日付:8月20日(日) 18時13分
そういえば、事前にレシピを作ってのゲーム大会という発想は、これまでなかったです。
プレイするゲームと順番を決めてしまうと、楽しみも1つ増えそうですね。
また、ゲームをする機会がないときには、こういうレシピを考えてみるのも手です。
マジックザギャザリングのデッキ構築に似ています。

レシピを考えて空想するのもよいですが、実行もしたいものです。
いざ実行することを考えると、準備に関して考慮の必要がありそうです。
準備として、1人で全部のゲームを会場へ持っていくたいへんさがあります。
今回提出されたレシピを見ると、2つ目(2人用)と3つ目(4人用)は、かばんが2つくらい必要になり、かつ重いです。
ゲーム大会を自宅で行うのなら荷物のことは考えなくてよいのですが、レシピと銘打つからには出向くことを想定しておいた方がいいと思います。
1つ目のレシピ(6人用)なら、カードゲーム中心でコンパクトなので、かばん1つですみます。

レシピを見ていて他に思ったことは、定番ゲームが多いなということです。
このような形でレシピを紹介するには、ある程度ポピュラーなゲームをそろえる方が分かりやすいので、それは自然なことでしょう。

それから、レシピに挙がったゲームは、この世界で一昔前のものが多いです。
これは、我々が新しいゲームをあまりしていないことが大きいのですが、この2,3年に出たゲームで定番のものが少ないということかもしれません。
ドイツのゲーム賞を獲得したようなゲームはもちろん定番なのですが、何度もプレイされていてすでに見えているゲームで、今さら感があってしまいます。
この見方も、新しいゲームをあまり買っていないせいかもしれませんが・・・

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週刊ボードゲーム通信311号「ゲーム大会のレシピ」その5 返信  引用 
名前:鱶(fuka)    日付:8月13日(日) 21時43分

 みなさんこんばんは、鱶(fuka)です。甲子園見てますか?
大阪桐蔭…横浜にぼろ勝ちしたのに、早稲田にぼろ負けとは。

 それはともかく。今回は、「久しぶりにボードゲーム通信社の人が集まった時のレシピ」
でいきます。メンバーは私、私の妻、横さん、金七さんの4人です。
プレイ人数として、4人という人数は、プレイ時の待ち時間と選択できるゲームのバランスが
非常に良い人数だと思っています。

@とりあえず「ラー」(乾杯)
 飲み会におけるとりあえず生中のようなものです。これが無いと始まらない。
最も稼働率の高いゲーム。

A「デイ・ハンドラー」(メイン@)
 ルールはそれほど難しくないのだが、以前にプレイしたときは、大きくルールを間違えてやっていて、
”参考記録”状態でした。今度こそは正しいルールでプレイしたいなあ。

B「クーハンデル」(スープ)
 商人特集、というわけでもないですが。この前買ったゲーム。実はやったこと無いので
どんな感じでしょうか。説明書には「競りと駆け引きゲームの傑作」と書いてありますけど。
横さんはやったことありますか?

C「エルグランデ」(メインA)
 やっぱりやっとくか、という感じです。久しぶりにG&Kで大味なプレイをするのもいいかも。

 というわけで、定番として面白いゲームをやって、合間にニューゲームを試すという、
よくあるレシピに落ち着きました。これは顔見知りでボードゲームをする場合の黄金パターンでしょう。
プレイしたことの無い人とやる場合はメインディッシュになる「ラー」が乾杯になってたりします。
最後の締めがエルグランデというのもなかなか重厚ですなあ。

 ではでは、また来週-。

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週刊ボードゲーム通信310号「ゲーム大会のレシピ」その4 返信  引用 
名前:    日付:8月6日(日) 21時34分
 今回は、プレイヤー2人のゲーム大会のレシピを考えてみました。
 
メンバー:自分、初心者(女の子)
人数  :2人
時間  :3時間くらい
 
1.前菜
 「ジェンガ」…一般人も知っているかもしれないゲーム。知っていてもやったことない人は多いだろう。ルール説明は10秒。つかみとして1回プレイ。
 
2.メインディッシュ@
 「マスターラビリンス」…大人でも子供でも楽しめるドイツゲー。4人までプレイ可能。2人でもまあまあ楽しいと思う。もし相手が興味を示したら、2回プレイしたい。
 
3.メインディッシュA
「イシス&オシリス」…2人用ドイツゲー。記憶力を使うゲーム。ルール説明3分。こういうタイプのゲームが好きな人もいるかもしれないので、はさんでみる。
 
4.メインディッシュB
「カフナ」…自分にとって2人用ゲームの定番。本日もっとも難しいゲーム。ハンデとして、相手プレーヤーの橋が2本ある状態からはじめることにする。相手が興味を持つなら何度かプレイしたい。
 
5.デザート
「ヴィラパレッティ」…ジェンガタイプのゲーム。4人までプレイ可能。2人ではどうだろうか。
 
 女の子とボードゲームというのは、まずないことです。ゲーマーの1つの夢かもしれませんね。でもコンピュータゲームが好きな人であればボードゲームに興味を持つことはありえるので、このレシピを用意しておいてよいのではないでしょうか。
こういう機会があったならば、ボードゲームの世界に引き入れようなどという大それたことは考えず、ボードゲームというものがあって好きな人もいるのだということを伝えたいですね。

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週刊ボードゲーム通信309号「ゲーム大会のレシピ」その3 返信  引用 
名前:鱶(fuka)    日付:7月30日(日) 11時17分

 こんにちは、鱶(fuka)です。

 それでは、仮想ゲーム大会編の後半です。

3.昼食 14:00-14:30
 ゲーム大会をする場合に、食事をいつするか、ということもポイントです。
とりあえず、大きなゲームが終わったところなので、コンビニで買い込んでいた
おにぎりなどをみんなで食べました。
 
4.「アンダーカバー」 14:40-15:40
 ルール説明10分、プレイ時間50分です。
「操り人形」とは違い、ルール自体は非常に単純だが、ボード上のコマを誰が
動かしているか、という重要情報を知る攻略法が、ゲーム上は用意されていないので、
全員が横一線。「Cさんが赤いコマにまったく触れていない」、「横さんは青も黄色も
廃墟のマイナスポイントを通過させたので、どちらかに違いない」、
「鱶(fuka)は紫のコマに高得点を確定させているので、いかにもあやしい」、
などの推理が飛び交い、挙句の果てには「Bさんは人の振ったさいころが緑のコマに当たったときに
『痛っ』と言った」という怪情報が飛びました。
 終盤、赤が1位、紫が2位で進んでいきますが、紫≒鱶(fuka)ということになり、
紫が急失速。黄色が3ポイント差に追い上げたところで、赤がゴール。
勝負は最後の推理合戦に持ち越されます。
 結局、6人中4人を的中させた黄色のAさんの勝利でした。いくら終盤でも
正体がばれては勝ち目はありません。

5.お菓子休憩 15:50-16:00
 お菓子休憩も重要な要素です。大切なのは、指が油で汚れない、くずが散らばらない、ということでしょう。
ボードゲーム大会向けのお菓子についての考察も、またやりたいですね。
ちなみに私はアルルが好きです。

「アルル」
おいしさ:4(おいしい)
汚れ対策:5(個別包装されている)
くず対策:3(くずが散らかることがある)

6.「ラッツィア」 16:10-16:50
 久しぶりのプレイなので、前にやったときを思い出しながら説明しつつプレイするが、
こちらも非常に単純なゲーム。あっと言う間に全員臨戦態勢。
 私は金額の多いところに、ギャンブラーを向かわせるというあまりに正直すぎる
戦法で、警官に捕まりまくる。一度つまずくと、さらに一角千銀を狙って失敗するという
はまりパターン。戦意喪失気味だったりして。
 逆に横さんは地道に中くらいの金額を狙って、無風区を席巻している。
 AさんもDさんも決闘好き。手下が鉢合わせすると、まずは談合をするのだが、
いきなり決闘を申し出る。その雰囲気に乗せられ、各地で流血沙汰となって、乱戦模様。
 きっちりほぼ毎ラウンド賞金を獲得していた横さんが、最後の決闘にも
Bさんに勝利し、決着。


 こんな感じの展開を想像してみました。しかしながら、当初4時間という予定でしたが、
半日かかってますね。操り人形がスムーズに行かなかったら、もっと時間がかかりそう。
でもやっぱり大人数で遊ぶのは面白いですね。
 ではでは、また来週-。

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週刊ボードゲーム通信308号「ゲーム大会のレシピ」その2 返信  引用 
名前:    日付:7月23日(日) 20時39分
前回のレシピにそってゲーム大会を実施して、そのリプレイを書くのがいちばんおもしろいのですが、今回は空想にて書きます。

ゲーム大会は、以下の内容です。
日程  :8月の盆休み
集合  :12時
場所  :鱶さん宅
メンバー:鱶さん、横、Aさん(女性)、Bさん(女性)、Cさん(男性)、Dさん(男性) (4名は初心者〜初級レベル)


1.「6ニムト」 11:50-12:30
6ニムトのプレイは計3回。
1回目は、4人プレイ(鱶さん、横、Aさん、Bさん)。
集合時間にはなっていないが、すでに集まったメンバーで始める。
ルールの説明は簡単で、すぐにプレイできた。
プレイのコツはまだ分からないながらもBさんが1位となる。

2回目・3回目は、6人プレイ。
あとから来たCさん、Dさんは、1回目のプレイを見ていて、だいたいのルールは分かったということだった。一応、簡単にルール説明。
結果は、AさんとCさんが1位となる。
Aさん、Dさんは、このゲームにあまりピンときていない様子。
Bさん、Cさんは、考える余地があって面白いかもしれないと手ごたえを感じている様子。
自分(横)としては、どちらかというとあまりピンとこないタイプのゲームだ。


2.「操り人形」 12:40-13:50
かかった時間は、ルールの説明等の準備15分、プレイ55分。
ルールが多いため、初プレイの2人(Bさん、Dさん)はちょっと不安そう。
「やってみたら分かるだろうし、だいじょうぶ」と経験者のAさん、Cさんが言う。
プレイ内容としては、だいたい皆、順調に建物を建築していく。
6人プレイだが、職業選択をあまり迷わずしているためであろうか、自分の手番が回ってくるのが早くてテンポよい。
ただし、ときおりルールやカードの説明を行う必要がある。特別ルールのある建物についての説明の仕方が少々やっかいである。

ゲームの展開としては終盤になっても、誰が勝つか分からなかった。
結果は、うまく滑り込んで、鱶さんの勝利。
振り返ると、暗殺されて暇な時間が連続する不運なプレーヤーが発生しなくてよかった(自分もそうならずよかった)。
ちょっとプレイ時間が長いゲームであるが、メインディッシュとしては適度だろう。
ルールは初心者には難しめかもしれないが、これくらいでちょうどよいと思う。
ところで、私はこのゲームはどうも勝てない。いつも中盤までは調子いいのだが。リスクを負い失敗してしまった経験が何度かあり、つい慎重になってしまうせいなのか。

後半は次回にて。

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週刊ボードゲーム通信307号「ゲーム大会のレシピ」 返信  引用 
名前:鱶(fuka)    日付:7月16日(日) 21時15分
 みなさんこんばんは、鱶(fuka)です。暑い日が続きますが、いかがお過ごしでしょうか。
 今回は、プレイヤー6人のゲーム大会のレシピを考えてみました。
 
メンバー:初心者〜初級
人数  :6人
時間  :4時間くらい

1.前菜(人数が集まるまで)
 「6ニムト」…定番の、多人数ゲーム。考える要素も多少あるところが良い。
 
2.メインディッシュ@
 「操り人形」…これまた定番。ちょっとプレイ時間が長いかな? 
 
3.メインディッシュA
 「アンダーカバー」…各人の挙動をメモっておくのが結構オススメ。
当然各プレイヤーの色を当てるバリエーションルールを使用。

4.しめくくり
 「ラッツィア」…Stefan H.Dorra(作)、Ravensburgerのやつです。
考えてもしょうがない駆け引き。わりと盛り上がる。
 
 今回のポイントは6人という人数です。ラー、エルグランデあたりの
お気に入りのゲームは5人まで。6人以上できるゲームは、あまり多くなく、
さらに、待ち時間があまり苦にならないゲームである必要も生じてきます。
前は「80日間世界一周」をプレイしたのですが、相手プレイヤーの手番にすることが
無いので、ちょっとひまな時間帯ができてしまいました。初プレイだったこともあるので、
2回目以降はそうでもないかもしれませんが。
 「操り人形」も、ちょっと待ち時間が発生しますが、ゲーム自体は非常に面白いので入れました。
 「6ニムト」、「アンダーカバー」、「ラッツィア」は多人数になるほど面白いような
ゲームなので、まさに最適。
 「操り人形」以外はルール説明も非常に簡単で、全員が初プレイでもOKです。
初心者が多い場合は、「操り人形」を「アベ・カエサル」にするというオプションもあります。

 このレシピの難点は、ちょっと戦略性が低い点で、みんなでパーティーゲーム、という感じです。
戦略性をより高めるオプションとしては、「操り人形」、「アンダーカバー」を抜いて
「アクワイア」を入れてみるのはどうでしょう。
 ではでは、また来週。さよなら-。

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週刊ボードゲーム通信306号「ボードゲームが強い人」その9 返信  引用 
名前:    日付:7月9日(日) 23時33分
まとめとして、もう1回このテーマでいきます。
今回のシリーズは具体的なテーマであったからか、書きやすくはありました。

まず、ボードゲームが強いことのイメージは人によって異なるということに気づきました。
それから、「ボードゲームが強い人」の要素として有力と思われるものが2つ挙がりました。
「経験」と「態度」です。

「経験」としては、@当該のボードゲームの経験と、Aボードゲーム全体の経験の2種類があります。この点はとくに論じられませんでしたが、経験と言ったときにどちらをイメージしているかを明確にする必要があるでしょう。
ボードゲームは合理的な選択を重ねていくものであり、それができる人がボードゲームが強い人です。数ある選択肢のなかでどれが合理的かを判断するために必要なのが、経験です。
@とAに関して言うと、勝つためには@が重要です。Aがなくても@があれば、そのゲームでは強い人になれます(そういう人は、ゲーマーの友人で、1つのボードゲームに時々つきあう非ゲーマーなのでしょうね)。

もう1つの要素の「態度」は、やる気です。どんな状況であっても勝とうとする人は、勝率が高いです。ゲーマーは勝負という点で手をぬいてボードゲームをすることが意外とあると私は思っていて、この要素が重要であると考えました。

さて、「経験」と「態度」のどちらがより有効な要素かという議論は成立しにくいです。それは、状況によるためです。
そうであるならば、その状況を限定すると議論しやすくなります。どういうボードゲームを、どういうメンバーでするかを決めて、その場合を考えればよいのです。ただ、それでも議論が難しいことには変わりはなさそうです。
「成功は、才能と努力のどちらによるのか」という、正解がない問題と似ていますね。

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週刊ボードゲーム通信305号「ボードゲームが強い人」その8 返信  引用 
名前:鱶(fuka)    日付:7月2日(日) 21時30分
 みなさんこんばんは、鱶(fuka)です。
 
 おそらく、プレイヤーが、あえて合理的でない選択をする場合というのは、
相手の読みを外す、ということで、1ゲーム中に何回かはあると思います。
 そういった場合でも、相手がこう読んでるからこうする、というくらいの
合理的な判断はしていると言えましょう。こういった広い意味で合理的にプレイしない
というのは、ゲームに勝とうとしていないということになるでしょう。

 そこで、”合理的選択”ですが、さきほど、合理的に考えて合理的でない選択をする
といった場合を考えたように、実は考えた上で、プレイヤーが取る選択は
結構幅広いと思われます。プレイされるボードゲームとしては、いかに合理的な選択肢を
幅広く取りうるかは、ゲームの面白さを深める気がします。というのも、合理的な選択肢が
唯一であれば、行動を判断する楽しさがありません。それは極端な例として、
考えられる選択肢がある程度多いほど、合理的な選択を考えるのが楽しくなります。
 と、いうわけで、プレイスタイルが合理的であっても、それによって選ぶ選択肢は
十人十色ということで、好きな選択肢なんかがありそうな気がしました。ただ、
それにやまをはって組み立てる戦術は、それこそ合理的じゃない気もしますね…。

 大分ネタも尽きてきたので、そろそろ新テーマの季節でしょうか。で、考えたのですが、
ゲーム大会(みんなでゲームをして遊び日)のレシピを考えるというのはどうでしょう。
 人数や、プレイヤーの経験値、総プレイ時間を考えて、具体的なゲーム名を挙げて、
プレイする順番などのレシピを考えるのです。
 前菜、メインディッシュに何を配するか、腕の見せ所だと思いませんか?それほど
腕はないですが…。腕におぼえのある人は、ぜひ書き込みしていただければ。
 ではでは、また来週-。

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週刊ボードゲーム通信304号「ボードゲームが強い人」その7 返信  引用 
名前:    日付:6月25日(日) 22時50分
前回、論点がいくつか提示されました。
「ボードゲームが強い人」について考えるときには、メンバー構成はどうか、どういうゲームかを定めておく必要があります。
そうしておかないと、人によって抱くイメージが異なり、議論がかみ合わなくなります。

自分は、メンバー構成として、よくボードゲームをする同じメンバーをイメージして話を進めており、初対面の人については考慮外でした。一般的に、初対面の人とボードゲームをすることは少ないためです。
どういうゲームかについては、これまでとくに限定していませんでしたが、思考系あるいは戦略的なボードゲームとしてよいと思います。理由は鱶さんと同様です。

さて、メンバー構成について検討しなければなりません。
いつもと同じメンバーでやるときと、初対面の人とやるときの違いはあるのでしょうか。
前者の場合、相手が好む戦術・戦略や、相手の経験度合いがあるていど分かっていますが、後者の場合はそういった情報がありません。
そのため、初対面の人とプレイする場合には、慎重に行くのがセオリーのようではあります。
しかし実際には、そういうセオリーは必要なく、プレイの仕方は変えなくてよいと思います。

たとえば競り系のボードゲームでは、そのゲームが初めてやるものであれば、競りの感覚が分かるまで慎重に行くというセオリーがあります。ただしそれは、ゲームに対するスタンスであって、他プレーヤーに関わるものではありません。

たいていのボードゲームでは、自分に与えられた条件(カード・領土など)やゲームを通じて変化する状況に応じて、どのように行動するかを決めます。
判断のための要素として主なものは、そのようなゲーム上の状況であり、他プレーヤーの特性(好みの戦術など)はあまり考慮されない要素です。
そもそも、基本的にプレーヤーは合理性によって行動を決定しているため、独自性はあまり持っていないのではないでしょうか。
プレイの仕方という点でゲーマーをタイプ別分類するならば、ほとんどの人は「合理的」となると思います。
そう考えるとボードゲームは、そんなに複雑なものでもないような気がしてきました。

それから、「負け確定時にどうするか」という前回の問題について。
これに関しては、ゲーマーは皆、まじめだと思います。負け確定時であっても、1つでも上の順位を目指していきます。
ゲームのできがわるかったり、メンバーがいまいちであったために、つまらない展開のゲームになった場合は、あまりまじめにプレイできなくなることがありますが、これは負けが確定しているかどうかとは関連していません。
「ボードゲームが強い人(その3)」で、「C態度」が重要であると述べたのは、負け確定時であっても頑張れるかではなく、つまらない展開であっても頑張れるかという意味合いでした。

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週刊ボードゲーム通信303号「ボードゲームが強い人」その6 返信  引用 
名前:鱶(fuka)    日付:6月18日(日) 20時42分

 みなさんこんばんは、鱶(fuka)です。とりあえず、日本がんばれ。

 さて、カウンティングについて、さらに少し書きます。。
 カウンティング自体の能力、記憶力がすごく優れているとか、そうでもないとかのレベルが
ありますが、その覚える能力が常人レベルの場合、前回に横さんが書いてくださっているように、
「カウンティングの他にしなければならないことや考えなければならないことがプレイを通してあるため、カウンティングが難しくなること」があります。そこで、どのあたりに自身の持つ
カウンティングの能力を使うのか、その他の自分自身の能力の使いどころの割り振りをどうするべきか、
その判断には、やはり「経験」がものをいうでしょう。
というわけで、私はまだ「経験」が重要説なのですが。
 
 「態度」が影響する場合として、以前にもテーマであった、負け確定時にどうする?
というのがあります。負け確定時であっても、まじめに1つでも上の順位を目指すことで、
2位くらいには。なれるかもしれません。
 実際問題、常に勝ち続けるということは、ボードゲームでは難しいと思いますので、
勝てないときに負けないことも、ボードゲームが強い印象を与えることでしょう。

 ところで、この問題を考えるときに、
・メンバー構成(いつも同じメンバーでやるのか、初対面の人と遊ぶのか)
・ゲーム(思考系ゲームなのか、運の要素が強いゲームなのか)
の2点については、どうでしょう。
 運ゲーで勝ち続けるのはおそらく無理なので、「ボードゲームが強い」でイメージされる
ボードゲームは、思考系あるいは戦略的なボードゲームだと思われます。
 それと、メンバーに関わらず強い人が、やっぱりボードゲーム強者だと思うのですが、
初対面のメンバーで遊ぶときの、勝利に向けた注意点って、なんかあるでしょうか?
 相手が好む戦術、戦略がわからないで、戦うことになるので、慎重に行く方がいいのでしょうか。
それとも、遠慮せずに先手必勝で積極的に行く方がいいのでしょうか。
 そのあたりは、個別のゲームを想定しないと、よくわからない気もしますね。
 
 ではでは、今週はこれで。サッカー見ます。さよなら-。
 

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週刊ボードゲーム通信302号「ボードゲームが強い人」その5

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名前:    日付:6月11日(日) 22時54分

「カウンティングができる」という要素が、「A 能力」の中に出てきています。
この要素は一般的に、ボードゲームに勝つためにとても重要なものだと思います。
たとえば、「エルグランデ」でタワーの中のユニット数をカウンティングしたり、「アクワイア」で株券の枚数をカウンティングしたり(枚数を公開しないルールの場合)、「はげたかの餌食」で他プレーヤーが使ったカードを把握していると有利です。
「神経衰弱」でオープンになったカードを覚えておくことも、広義のカウンティングでしょう。

カウンティングはもちろん記憶力なのですが、ボードゲームにおけるカウンティングは、記憶力を発揮するというほど大げさなものでもないです。
ルールを覚えることができる人であれば、カウンティングは誰でもできるレベルのことであり、記憶力勝負という類のものではないと思います。
ボードゲームの妙は、カウンティングの他にしなければならないことや考えなければならないことがプレイを通してあるため、カウンティングが難しくなることにあるでしょう。

カウンティングをどのていど頑張ってすればいいのかということは、自分にとって昔からの難しい問題です。
カウンティングには意義が見出しにくいからです。こういう努力はボードゲームの面白さなのかなあという疑問を、つい抱いてしまいます。

"まぐまぐ版ボードゲーム通信59号「情報と戦略」"でも、以下のように述べられています。
「私は記憶力を要求されるゲームがあまり好きではありません。苦手である事が主な理由ですが、プレイスタイルが合わないのも影響しています。記憶や最善手の発見が重要なゲームでは、プレイ後に勝っても負けても疲労感が残ってしまうのです。自分の意図・意思をプレイに反映しにくいゲームは、いまいち楽しく感じられません。「情報処理重視」なゲームが全てそういった特徴を持っているわけではありませんが、メモをとりながらプレイする事によって面白さが半減してしまうようなゲーム(例:神経衰弱)は、どうも繰り返しやりたくなりません。」

カウンティングの問題は、このへんにあります。
「カウンティングは、意義が見出せない、面白くない、めんどくさい、疲れる」ということです。

ボードゲームが強い人は、そのようなカウンティングを真面目できるのだと思います。
したがって、「ボードゲームが強い人の要素として、もっとも重要なもの」は、やはり「C態度」だと思います。

以上、前回の後半部と多少関連させて、前々回の主張を異なった角度から再度行いました。

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週刊ボードゲーム通信301号「ボードゲームが強い人」その4

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名前:鱶(fuka)    日付:6月4日(日) 20時20分


 みなさんこんばんは。鱶(fuka)です。前回で記念すべき300号だったんですね。
一応区切りですが、1000号目指してがんばりましょう。あと20年くらいで到達できますかね?

 さて、「ボードゲームが強い人」の要素を一度整理してみましょう。
@ 経験
・ボードゲーム経験が長い
・よく研究している
A 能力
・頭がいい
・計算が得意
・カウンティングができる
・センスがある
・運がいい
・勝負強い
B 性格
・負けず嫌い
・勝負事が好き
C 態度
・真面目にプレイしている
・勝つ気でプレイしている 

 前回横さんが重要だとした、「態度」について、自分の場合を振り返ってみると…
勝ち目がなさそうな状況…野球でいうところの、満塁ホームランが2回出ても
まだ2点差、とかいう状況あたりでも、一応、勝利を目指してやってはいるはずですけど、
細かい部分の判断が適当になってしまうということは、ありうるかも。
つまらないゲームに当たってしまった場合…確かに絶対勝ちたいと思う気持ちは、面白い
ゲームよりは低いのかもしれないですね。

 上記の4要素は、それらを全て兼ね備えた人物もいなくはなさそうなので、最も重要なもの
を一つ選ぶのは難しいのですが、私があえて一つチョイスするとすれば、「経験」です。
 なぜなら、「経験」がない=ボードゲーム初心者だけど、ボードゲーム強者というのは、
いまいちイメージしにくいからです。
 ボードゲーム強者の強さは、経験に裏打ちされているのでは? と思うのですが、
確証はありません。ここは一つボードゲーム強者にお出まし願って、何で強いのかを
インタビューできればいいのですが。実際にボードゲームが強い人の勝率はどのくらいなんでしょうか。勝率5割を超えたら、かなり強そうですね。

 「経験」についてもう少し考えてみると、ボードゲームをプレイして経験値が得られたとすると、
一緒にプレイしている相手プレイヤーにも経験値が入っているので、実はあまり差がつかないので、
よくよく考えるとあまり重要じゃないのかも。ということは、勝敗がつく直接的な要因は能力と態度?
 あとは、ゲームの内容にもよるのでしょう。神経衰弱をプレイした場合は、どれだけやる気があっても、
記憶力という能力が優れた人に勝ち目は薄いです。ただ、ほとんどのゲームはそこまで極端な特性を
持っていないので、態度が影響するということでしょうか。

 とりあえず、こんなところでまた来週。さよなら-。

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