週刊ボードゲーム通信 過去ログ
  2005/1-2006/5 <NO.227-NO.300>

ボードゲーム通信 http://www.geocities.co.jp/Playtown-Yoyo/4569/



週刊ボードゲーム通信300号「ボードゲームが強い人」その3 返信  引用 
名前:    日付:5月29日(月) 0時0分
前回の分類の「B性格」を下記のように2つに分けて、4分類でいってみてはどうかと思います。

B 性格
・負けず嫌い
・勝負事が好き

C 態度
・真面目にプレイしている
・勝つ気でプレイしている

「B性格」は変化しないもの、「C態度」は変化するものという意味合いで対照的なカテゴリーとなります。

スポーツやギャンブルであれば、プレーヤーは常に勝つために真面目にプレイするでしょう。
しかしボードゲームの場合、必ずしもそうではなく、ゲーマーはセッションによってプレイの態度を変えます。
この点がボードゲームの特性なので、4つめの分類として「C態度」を設けたいと考えます。

これについて、もう少し説明します。
先ほど述べた「セッションによって」というのは、ボードゲームのプレイ1回ごとにという意味です。
「プレイの態度を変える」というのは、一生懸命プレイする場合もあれば、手を抜いてプレイする場合もあるということです。

たとえば、負けず嫌いの性格を持つ人は、勝つ気でプレイする傾向があります。そのため勝率は高くなります。これが、「B性格」として「負けず嫌い」が挙がっている意味です。
しかし場合によっては、負けず嫌いの性格を持つ人であっても、勝つ気でプレイしないことがあります。勝つ気を発揮してこそ、勝利に通じるのです。これが、「C態度」として「勝つ気でプレイしている」が挙がっている意味です。

ボードゲームは、とても種類が多いことが大きな特徴です。そのため、あまり思い入れのないゲームもたくさんあり、とくにやりたいわけでないボードゲームをつきあいでプレイすることは、意外とよくあります。そういうときには、やはりあまり一生懸命にプレイできないです。お手軽なゲームや、ほとんど運のゲームでも、同様なことがあります。
また、面白そうだと期待して始めたゲームであっても、いざプレイしてみるとつまらなかった、しかし最後までやらなければならない、ということもしばしあります。
好きなゲームであっても、運がわるかったり、つまらないミスをしたりして、やる気を失ってしまうこともあります。
あと、他の参加プレーヤーにいまいちな人がいたりしたため、あまり熱心にプレイができないということもあるでしょう。

このように、あまり一生懸命になれなくて手抜きプレイになる状況は、けっこうあります。
どうも斜に構えシニカルなことを述べてしまって申し訳ない感もあるにはあるのですが、ここは大事なポイントであると考えます。

さて、「ボードゲームが強い人=勝率の高い人」についてです。
それは、セッションによって態度を変えない人だと思います。
ボードゲームが強い人は、いつであっても真面目に一生懸命プレイするのです。

よって、「ボードゲームが強い人の要素として、もっとも重要なもの」は、「C態度」ではないでしょうか。

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週刊ボードゲーム通信299号「ボードゲームが強い人」その2 返信  引用 
名前:鱶(fuka)    日付:5月21日(日) 19時52分
 まいど、みなさんこんばんはです。
今回は「ボードゲームに強い人」についての考察の続きです。
 前回あげられた、ボードゲームが強い人の要素で、付け加えると、
・カウンティングができる
・勝負強い

 さて、私がボードゲームが強い人と思っていたのは、大学のサークルの先輩だった
分隊長です。いろんなゲームで、大概上位の方に入っていた印象がありますし、
それより何より、大盤のゲームでは特に勝負強い。一度だけ、「キャンディデイト」の
最後のサシ勝負で勝った気がしますが、それ以外はほとんど勝った記憶がありません。
 とにかく強い人は、安定して勝負できる位置にいる。そして、肝心のところでは
非常に勝負強い。競馬でいうところの、先行集団でレースを進め、最後の直線で勝負、
悪くても掲示板は外さないような感じが、ボードゲームで強い人ではないでしょうか。

 前回出ている「運がいい」については、ちょっと微妙だと思います。強い人の場合は、
運が強いわけではなく、むしろ期待値っぽいのに、上位に来たり、勝負強かったりする
印象があるのですが、どうでしょう。

 とりあえず、前回あげられたボードゲーム強者の能力を、仮に分けてみました。
 これがそろってると、かなり強そうですね…。

@ 経験
・ボードゲーム経験が長い
・よく研究している
A 能力
・頭がいい
・計算が得意
・カウンティングができる
・センスがある
・運がいい
・勝負強い
B 性格
・負けず嫌い
・真面目にプレイしている

 私は、「頭がいい」、「計算が得意」、「運がいい」、「勝負強い」
あたりがちょっとあやしいのですが…。
 ボードゲーム経験は、初プレイゲームやvs初心者あたりでは効果がありそうですが、
自分以上の経験者には効き目は薄そうですね。
 「勝負強い」は、メインのゲームで勝てる、という感じのものですが、これは能力ではないのかな?

 ボードゲームが強い人になるのは、どちらかというと難しい気がします。
運の要素や、初プレイゲームといった、勝敗を左右するポイントをクリアして
いつも勝負できるあたりに、存在することは結構難しいですよね。

 とりあえずこんなところで。最終的に「ボードゲームが強い人の要素として、もっとも
重要なもの」を見つけるべく、続けてみましょう。

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週刊ボードゲーム通信298号「ボードゲームが強い人」その1 返信  引用 
名前:    日付:5月14日(日) 18時9分
勝利について考察してきた流れで、こんどはボードゲームが強い人についてのテーマにしようと思います。
鱶さんは「勝率2割くらいかなあ」ということです。私もそんなものかなあと思います。勝率としては期待値か、もしかしたら期待値以下のような気もします。少なくとも、勝率が高い人=ボードゲームが強い人ではないです。
ゲーマーの中でも、長くボードゲームをしている方であるにもかかわらず、ボードゲームが強い人ではないのはどういうことなのでしょうね。
それはさておき、ボードゲームが強い人はどういう人なのかを考えます。

ところで、「ボードゲームが強い人」と言うと、「ゲーマー同士でボードゲームをしたときに強い人」とイメージされる場合と、「一般人とボードゲームをしたときに強い人」とイメージされる場合があるでしょう。
ここでは前者の意味で考察してゆきます。ボードゲームはマニアックな趣味であるため、ゲーマーが一般人よりも強いのは普通であるからです。

さて、ボードゲームが強い人として思い浮かぶ要素を以下に挙げてみます。
・ボードゲーム経験が長い
・よく研究している
・頭がいい
・計算が得意
・センスがある
・運がいい
・負けず嫌い
・真面目にプレイしている

けっこうありますね。他にもいろいろ挙げることはできそうです。
これらは、経験、能力、性格、態度といったカテゴリーで分類していくことができるでしょう。
普通に考えると、ボードゲームが強い人になりたかったら、自分に欠けている要素を身につけていけばいいことになります。

そして、疑問がいくつかあがってきます。

ボードゲームが強い人の要素として、もっとも重要なものは何でしょうか。
他の競技(スポーツ、コンピュータゲームなど)が強い人と比較して、ボードゲームが強い人の特異性はあるのでしょうか。
ボードゲームが強い人になることは難しいのでしょうか。
ボードゲームが強い人の割合はどれくらいでしょうか。
そもそもボードゲームが強い人ってどうなんでしょう。

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週刊ボードゲーム通信297号「80日間世界一周」 返信  引用 
名前:鱶(fuka)    日付:5月7日(日) 20時41分
 みなさんこんばんは。鱶(fuka)です。GWの最終日、いかがお過ごしでしょうか。
私は一足お先に、昨日から仕事でしたが…。連休中に、金七さんの家に遊びに行ってきました。
結局3人で6ゲームくらいしたのですが、私が勝ったのは1回だけでした。やっぱり勝率は
2割ぐらいのようです。われながら弱いな…。
 さて、今回は「80日間世界一周」というボードゲームを紹介します。めったに新しいゲームをしないので
ゲーム紹介をするのも久しぶりですね。振り返ってみると、去年の9月の「ラッツィア」以来です。

 「80日間世界一周」は3〜6人でプレイできるボードゲームです。プレイヤーは
ロンドンからスタートし、パリ→ブリディシ→スエズ→ボンベイ→カルカッタ→香港→横浜
→サンフランシスコ→ニューヨーク→ロンドンと、世界の各都市を80日以内に一周しなければ
なりません。
 都市は、海路(船の旅行カードを使って移動。日数は4〜8日)と陸路(鉄道の旅行カード
を使って移動。日数は2〜6日)でつながれていて、手札の旅行カードを手番にプレイすることによって、
進んでいくことができます。旅行カードには数字が書かれていて、使ったときにはその数だけ、
日数を消費していきます。また、旅行カードが2枚必要なところで、同じ数値のカードを2枚出すと、
1枚分の日数で済むというルールがあります。鉄道2と鉄道4のカードを出した場合は、6日
消費しますが、鉄道4のカードを2枚出せば4日で済むのです。他には、ボンベイからカルカッタ
への移動には必ず12日(象のカードを持っていれば1D+6日)かかったりするので、日数の消費を考えずに
適当に進んでいくと、80日を超えてしまうことも多いです。このあたりのバランスは、かなり良く
調整されているみたいで、3回プレイしたのですが、ぎりぎり80日を越えるかどうか、というところでした。
旅行カードの使い方は、アベ・カエサルをほうふつとさせる感じです。

 移動に使う旅行カードの入手ですが、各ラウンドの最初に、プレイヤー数+1枚分の旅行カードを
オープンにし、スタートプレイヤーから選んでいく方式です。その際、そのラウンドに行える追加
アクションが、旅行カードと抱き合わせになっているので、それもカードを選ぶときのポイントになります。追加アクションを以下に書いていきます。
・金貨1枚…金貨は1枚でダイスの振りなおし、2枚で旅行カードorイベントカードを獲得できます。
ダイスは気球で移動するときなどに使います。
・気球…旅行カード1枚を気球にすることができます。気球での移動にかかる日数は1Dです。
・イベント…イベントカードを引くことができます。潜水艦を使って移動したり、協力者の助けで
2都市を移動(通常は1都市づつしか移動できない)できたりと、有利なカードがあります。
・探偵…探偵を好きな都市に移動することができる。手番終了時に探偵と同じ都市にいると2日消費。
・スタートプレイヤー…スタートプレイヤーになれる。前回のスタートプレイヤーは選べない。
・旅行カード交換…旅行カードを捨てて、山札から同じ枚数だけ引きことができる。

 各都市を巡っていく時に、それぞれの都市に1番乗りした人と、最後に訪れた人には、
ボーナスチップが与えられます。ボーナスチップは、金貨1枚とかイベントカードとかが
得られるので、トップの人がさらに有利になりがちですが、トップで走ろうとすると
旅行カードの数値がかさむことが多いので、それほど大きな差にはなりませんでした。

 そんなこんなで、このゲーム、なかなか面白いゲームでした。戦略性が高いわけではなく、
運の要素が若干強い気がしますが、十分許容範囲内です。ルールも簡単なので、初心者でも楽しめる
ことでしょう。
 
In 80 Tagen um die Welt(「80日間世界一周」)/MICHAEL RIENECK(作)
KOSMOS(発売), 2004
3-6人, 50-70分
鱶(fuka)の個人的評価:4(また遊びたい)

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週刊ボードゲーム通信296号「勝利について」その6 返信  引用 
名前:    日付:4月30日(日) 23時52分
ボードゲームをする人は、やっぱり勝利を重視していると思います。
そのため、はじめてプレイしたボードゲームを評価するときには、勝利したかどうかがけっこう大きな要素になるのではないでしょうか。
つまり、それほどできがよくないゲームであっても、勝てれば印象がよくなります。
できのよいゲームであれば、勝てなかったからといって印象がわるくなるわけでもないですが、こっぴどく負けてしまえばやはり印象がわるくなりそうです。
勝利すると、そのゲームの楽しさが50%くらい増すのではないでしょうか。
一緒にゲームをした人達の、そのゲームに対する評価が分かれるときは、勝ち負けが要因なのではないかということを経験的に感じてこう考えました。

となると、短時間で終わるお手軽なカードゲームにも、時間つぶし以上の意味があると言えます。
お手軽なゲームには、勝利を配分する意味があるのです。

メインとしてプレイするボードゲームで勝利できる可能性は低いです。
5人プレイであれば、勝利の確率は20%くらいです。2回プレイしたとしても40%くらいです。
ボードゲームをするためにせっかく一日費やしたのに1回も勝てないというのは、どうも今一です。

メンバーが揃うまでの時間や、メインのボードゲーム後の余った時間には、必ずといっていいほどお手軽なゲームがプレイされます。ゲーマーは時間を無駄にしません。
実はほとんどのお手軽なゲームは、ベテランのゲーマーにとってはもうたいしておもしろくないものではないでしょうか。
そりゃゲームをするために集まっているのだから、ゲームをするのは当然ではあるのですが、そうおもしろくもないゲームなどせずメインのボードゲームだけをするという選択肢があってもいいではないですか。
メインのプレイが終わったなら、時間が余ったとしても、早めに帰るなり、だべるなりしてもよいです。ボードゲーム以外の趣味の会合ならその方が自然かもしれません。
なのにゲーマーは、一日を目いっぱい使って、たとえ時間つぶしゲームであっても、まあ本気でプレイするのです。
それは勝利を求めているからなのです、きっと。

前回からの話の続きとはなりませんでしたが、思いついたことを述べました。

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週刊ボードゲーム通信295号「勝利について」その5 返信  引用 
名前:鱶(fuka)    日付:4月23日(日) 20時20分
 みなさんこんばんは、鱶(fuka)です。
 「なぜボードゲーマーは勝利をもっとアピールしないのか?」という問題提起が、
前回横さんによってなされました。
 私の場合はと考えてみれば、確かにめっちゃうれしがって騒ぐ、というわけではないですね。
性格的なものでしょうか。冷静に考えてみると、ボードゲームの勝利って、「自分の優秀さ」
で勝ったと言い切れないところが、勝利を自慢するのを自重させているような。
 結局のところ、多くの場合、勝敗は「時の運」にかかってくるんですよね。それゆえ、ある種
超然とした態度となってしまうのではないでしょうか。

 ところでみなさん、ボードゲームの勝率はどのくらいあります?私自身を振り返ってみると、
勝率2割くらいかなあ、という気がします。記録をとっているわけではないので、なんとも
言えませんが、5回に1回くらいは勝ってそうです。ただ、本当に勝ちたいエルグランデやら
ラーやらは、最近負けがこんでますね。そのうちリベンジしたいものです。
 かつては、自分の所持しているゲームを、みんなで初めてプレイするときに、
「あ、そういえば…」と、ルールを追加するという”後説効果”により、初物でよく勝っている
という悪名がありましたが。
 
 それとみなさん、どんな勝ち方が好きですか?ちょっと感覚的な聞き方ですが。
私は、戦国時代では北条早雲が好きなことでもわかるように、奇襲戦法が好きです。
相手にサプライズ効果を与えて勝つことができれば、またブラフも駆使して勝てれば最高ですね。
よって、手札のあるゲームが結構好きだったりします。

 それでは、また来週。

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週刊ボードゲーム通信294号「勝利について」その4 返信  引用 
名前:    日付:4月16日(日) 21時32分
勝利についての議論は、以前に「ボードゲームで勝つこと」、「プレイスタイルが違うプレイヤーの共存」のテーマのときになされています。
前回のテーマ「勝利条件」についての議論から続く流れとして、再び勝利について考えることとなりました。ネタ不足感が出てしまっておりますが、違った見解を提示できればと思っております。

ところで以前に勝利についての議論をしたときには、難しく考えすぎたように感じます。というか、考えることが難しいテーマであったため、きれいにまとめていくことが困難でした。
こういう難しい問題は、あまり理屈っぽく考えず、感じることを徒然と書くのもよいかと思います。「勝利条件」についての最後の回で、「エッセイ風に思うことを述べるのであれば」と言ったのはそういうことです。

さて、前々回の問題設定に関してです。
「"ボードゲームではそれほど勝利に重きをおかれない傾向がある"という前提について検討要」と記しました。
これをさっそく覆してしまうのですが、"ボードゲームではそれほど勝利に重きをおかれない傾向がある"というわけではないと思います。

対戦ゲームやスポーツと同じくらい、ボードゲームでも勝利は重要です。
ただ、違いは、勝敗が決まったときの態度にあるのではないでしょうか。
勝利した者がクールでいること、そして敗北した者もクールでいることがなぜか求められるのがボードゲームです。
勝利したことをとても喜んで、自分の優秀さをアピールをする人はあまり歓迎されません。
また、敗北して「ぜんぜん面白くなかった」と拗ねるような人もダメです。
ボードゲームにはオトナさが求められるということです。
これはプレイスタイルというわけではないと思います。ボードゲームをする者に要求される規範なのです。

ただちょっと思うのは、ここがボードゲームのダメなところではないかということです。
勝ったのならもっと喜んでもいいし、負けたのならもっと悔しがってもいいです。
非ゲーマーから見たら、ゲーマーのオトナさは、少々不思議に感じるところではないでしょうか。そしてそれは、ゲームのルールの難しさとは別の垣根となっているかもしれません。

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週刊ボードゲーム通信293号「勝利について」その3 返信  引用 
名前:鱶(fuka)    日付:4月9日(日) 16時51分
 みなさんこんにちは。鱶(fuka)です。
 
 前回に引き続き、ボードゲームの勝利についてです。
 勝利に重きが置かれる場合、それは、何かが賭かっている場合でしょう
賭かっているものが、その人にとって重要なものであれば、それだけ真剣勝負となります。
と、いうわけで、健全にボーゲーをする場合に賭けるものは、自分の名誉となるわけです。
 そう、ボードゲームで勝っても、物質的な利益は何もないわけです。プロスポーツならば年俸、
ギャンブルならば金銭が手に入るわけですが、それがありません。アマチュアスポーツは
どうなのか、という疑問もありますが。

 さて、名誉を賭けて真剣勝負をする場合に問題となるのが、そのゲームにそれだけの価値が
あるかどうかです。ラスベガスでお金を賭けるのであれば、運オンリーのゲームもいいかも
しれません。しかし、名誉を賭けるのであれば、運ゲーというわけにはいかないでしょう。
少なくとも、5割以上は戦略の要素がないことには、勝ったときの達成感は少なくなる気がします。
しかし、運の要素が0ということでは、実力がすべてになってしまうので、これもまた困ります。
 それと、参加人数とプレイ時間はある程度、関わりがあるような気がします。5分で勝つよりは、
1時間の戦いで勝利する方が、さらに参加人数が多い方が盛り上がる気がするのですがどうでしょう。

 ただ、勝利が重視されるかどうかは、みんなが盛り上がって勝利を目指すことができるかどうか、
つまり、面白いゲームかどうかという一点になるのかも。面白いゲームなら勝ちたさも増加する。
そうして、一生懸命に勝利を目指した結果、負けてしまったとしても面白かった、ということで、
それは勝利を重視していないから、負けても面白かったわけではなく、逆に勝利を重視しているからこそ、
負けても面白いと言えるのだと思います。
 だいたい、ボードゲーム界の定説では、「みんなでわいわい=コミュニケーションが楽しい」
というあたりの説明が多い気もしますけど、やっぱりそれだけではない、勝つことの魅力があります。
 私も野球やらバイクのレースやら、ラグビーやらNBAやらNFLやらオリンピックやら、スポーツを見るのは
大好きですが、自分が実際にやって勝利を味わうというのは非常に難しい。
というわけで、ボードゲームの勝利を目指すわけです。

 では、また来週。

 

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週刊ボードゲーム通信292号「勝利について」その2 返信  引用 
名前:    日付:4月2日(日) 23時6分
こんにちは。いつのまにか、年度変わりの4月になりました。時の経つのは早いものです。

さて、ボードゲームをする上での最終目標は、勝利することです。
ボードゲームの楽しさのメインは、この勝利であるにちがいありません。
しかし、勝利できなければ楽しくないわけでもありません。

ボードゲーム以外の勝負では、勝利することがもっと重視されます。
ギャンブルでは当然そうですし、コンピュータの対戦ゲームなどでもやはりそうです。
スポーツでも、勝利がとても重視されます。

「負けたけどまあ楽しかった」と言いやすい勝負事はボードゲームくらいではないでしょうか。
これはどういうことでしょうか。

このように問題設定をしたものの、「ボードゲームではそれほど勝利に重きをおかれない傾向がある」という前提を検討してみる必要があります。
そのためにまず、逆に勝利に重きがおかれる場合について考えてみます。

ボードゲームを成立させる二大要素は、プレーヤーとボードゲームです。
まず、プレーヤーについて。
勝利に固執するプレーヤーにとっては、ボードゲームで勝利に重きがおかれるのは当然のことです。
参加者全員が勝利に固執するプレーヤーであれば、勝利に重きがおかれる場合となります。
では、勝利に固執するプレーヤーとあまり固執しないプレーヤーが混じっていた場合はどうなるでしょう。
多数決で決まるのでしょうか。
それとも、勝利に固執するプレーヤーが1人でもいると、勝利に重きがおかれる場合となるのでしょうか。
難しい問題です。

続いて、もう1つの構成要素のボードゲームについて。
ボードゲームの種類によって、勝利に重きがおかれる度合いは変化するようです。
前回の話を受けると、参加人数、戦略性、プレイ時間などの要素があります。
たとえば、「アクワイア」は勝利するとうれしいタイプのゲームです。
そういうゲームが、勝利に重きがおかれる度合いが強いボードゲームなのでしょう。
では、「アクワイア」で勝利するとうれしいのは、参加人数が多いからなのか、戦略性が高いからなのか、プレイ時間が長いからなのか。
この判断は難しいところです。
そもそも判断可能な問題なのでしょうか。

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週刊ボードゲーム通信291号「勝利について」その1 返信  引用 
名前:鱶(fuka)    日付:3月26日(日) 18時26分
 みなさん、こんにちは。鱶(fuka)です。いよいよ私も、3日前から花粉症
デビューしました。市販薬を飲んでも、全く鼻水が止まらない状態で、
仕事が終わったら、すぐに耳鼻科に直行しました。昨日は鼻水は止まったのですが、
頭が重い。今までも、春と秋に1個づつ軽い花粉症を持っていたのですが、こんなに重症になるとは。
今までと違う花粉に新たにかかったのかも…。みなさんもお気をつけください。

 それはともかく。今日は前回横さんが提示してくださった「勝利について」です。
2人用の方が勝利の価値が、必ずしも低いように思えないのは、勝利できない場合は、必ず
敗北だからでしょう。実際、多人数プレイでも2位以下は敗北ではあるのですが、
私の印象では、多人数プレイの「勝利」(勝利条件ではなく)については、ゼロサムではないと
感じています。大体、べったで負けるよりは2位の方が少しはうれしいものです。これはプレイヤー次第で、
2位=負けととらえる人も多いでしょうけど。
 2人用ゲームの勝利でもうひとつ思うのが、勝敗を気にするぐらいの2人用ゲームでは、
プレイの巧拙が如実に現れすぎてしまう点でしょうか。「ハラリ」ぐらい、どうでもいいゲームなら
まったく問題なしですが、「ブロックス・デュオ」や、未プレイですが「カフナ」ぐらい
考えさせられるゲームだと、”自分の責任で負けた度”が強く感じてしまうので、負けたときは結構しんどいです。
 多人数ゲームでは、自分のミスが、大きなゲーム展開とか、多くのプレイヤーとか、運とかいったあたりで、
ある程度薄められてゲームに反映する気がするのですが、どうでしょう。
多人数ゲームよりも、2人用ゲームのほうが、”戦略”の要素が強いものが多い印象があるので、
そう感じるのでしょう。実際2人用ゲームで、運の要素が強いものの割合が少ないわけではないのですが、
そんなゲームはあんまりプレイしないので、結果的にそう感じるのでしょう。

 それと、多人数プレイゲームの方が、プレイ時間が長そうなので、その分うれしいかも。
ではでは、また来週。

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週刊ボードゲーム通信290号「ボードゲームの要素:勝利条件」その8 返信  引用 
名前:    日付:3月19日(日) 21時2分
勝利条件はゼロサムなものです。
あるプレーヤーが勝利するということは、他のプレーヤーは敗北するということです。
ゼロサムであるがゆえに、勝利には意義があります。

ゼロサムという点で考えると、多くの人数で行うゲームで勝利するほどその勝利に価値があることになります。
そして二人用ゲームでの勝利の価値が、いちばん低いことになります。
理屈ではそうですが、感覚としては必ずしもそうではないような気もします。
このへんは考察の余地があるのではないでしょうか。

さて、 前回の結論としてあった『勝利条件は、「ポイントが最も多いものが勝利」といった、単純なものが一番分かりやすくて良い気がします』のとおり、実際にたいていのボードゲームではそうなっていると思います。
なので、いざ勝利条件について考察しようと思えば、その例外となるものがどうしても浮かんできます。
このへんのことは、このテーマについての初めの方で言及されました。
結局そこから話を発展させることが難しかったのは、勝利条件が当たり前の存在で、とても静的なものであるためだったからでしょう。

このテーマを次に展開させるとするならば、今回のはじめに触れたような「勝利について」のテーマがありうると思います。
抽象度が高まるため、理論的なことを論じるのは難しそうですが、エッセイ風に思うことを述べるのであれば、わりとやりやすいかもしれません。
行けそうであれば続いてお願いします。

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週刊ボードゲーム通信289号「ボードゲームの要素:勝利条件」その7 返信  引用 
名前:鱶(fuka)    日付:3月12日(日) 21時3分
 みなさんこんばんは。今日は日本橋のイエローサブマリンに行ってみました。
初めて行ったんですが、三宮店と違って、ボーゲーは売ってないんですね。
ちょっとがっかり。別に通販で買えばいいんですけどね…。

 それはともかく、先々週の記事では失礼しました。手札と山札を間違えるなんて、
私も大概やきがまわってますな。M:TGの「山札をなくす」の方ですが、こちらは
敗北条件でもありますが、カードにより、相手の山札を消費させることができるので、
勝利条件でもあると言えるでしょう。
 アベ・カエサルでの「カードを使い切る」という行為や、ハイソサエティで、「お金を最も多く使う」
といった行為は、相手プレイヤーとの関わりはもちろんありますが、それよりも自分が犯してしまうミス、
といった性格が強いために、敗北条件とするほうが、適切な響きになるのではないでしょうか。
おそらく、自分が主体的に関われる割合が5割以上だと、勝利条件になる気がします。
敗北条件は、単純なプレイを防ぐために存在します。アベカエサルで、カードを使い切った後に
山札をもう一度繰りなおしたら、まったく面白さがなくなってしまいますし、ハイソサエティの
競りでも、常に全力で行っても面白くありません。

 そういった敗北条件はあるとして、勝利条件は、「ポイントが最も多いものが勝利」といった、単純なものが
一番分かりやすくて良い気がします。人にルールを説明するときに、まずは勝利条件が重要です。
ここをきっちり理解しなければ、ゲームにならないですし。まあ、実質はその「ポイントの取り方」
が複雑だったりするわけですが。勝利条件ぐらいは、単純なくらいでちょうどいいでしょう。

 さてさて、勝利条件も7回目まで来てしまいましたが、そろそろネタ切れの様相です。
まだ語り残しはあるでしょうか。それでは、また来週。さよなら-。

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日本橋のイエローサブマリン
名前:bokuteki    日付:3月12日(日) 22時53分
> 初めて行ったんですが、三宮店と違って、ボーゲーは売ってないんですね。

カードに特化した2号店と、ボドゲやらRPGやらも扱ってる1号店があるのです。
http://www.yellowsubmarine.co.jp/shop/shop-35.htm
58-188-30-146.eonet.ne.jp (58.188.30.146) Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1; .NET CLR 1.1.4322; .NET CLR 2.0.50727)


Re: 日本橋のイエローサブマリン
名前:鱶(fuka)    日付:3月13日(月) 8時9分
>>bokuteki様
 おお、そうだったのですね。ありがとうございます。
また今度行ってみます。
 昨日はPCパーツ屋さんの探索が主目的だったので、
見逃してしまいました。
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週刊ボードゲーム通信288号「ボードゲームの要素:勝利条件」その6 返信  引用 
名前:    日付:3月6日(月) 0時0分
「M:TG」の勝利条件は、「相手のライフを0にする」と「相手の山札をなくす」です。
(なお自明なことですが、前回で「相手の手札をなくす」となっているのは、「山札」の間違いです。)
この勝利条件は見方を変えると、「自分のライフが0になったとき」または「自分の山札がなくなったとき」に負けるということです。
負けるときの条件を、勝利条件に対して敗北条件と呼ぶことにします。
「M:TG」の敗北条件は、「自分のライフが0になること」または「自分の山札がなくなること」となります。

勝利条件という言葉が一般的に使われて、敗北条件が使われないのは、前者の方が分かりやすいからでしょうか。
勝利条件でも敗北条件でも結局は同じことなのですが、敗北条件と捉えてよいものがあるように思います。
まず、「M:TG」の場合、「ライフが0になる」と「山札がなくなる」は、どちらかと言うと敗北条件と考えられると思います。
これは、もともと有していた自分のリソースがなくなる条件であるためです。

「アベ・カエサル」の場合、勝利条件はいちばん最初にゴールすることです。敗北条件は、手札を使い切ることです。
「ハイソサイエティ」の場合、勝利条件は値打ちあるものをいちばん多くそろえることです。敗北条件は、いちばん多くお金を使うことです。

勝利条件と敗北条件の定義づけはうまく言いあらわせないのですが、上記のようなイメージです。

勝利するための条件が複数用意されているゲームには、「M:TG」のように複数の同じ種類の条件(「勝利条件」または「敗北条件」)が存在するものと、「アベ・カエサル」のように「勝利条件」と「敗北条件」の2種類が存在するものの2パターンがあると言えます。
前回の最後で述べられた「勝利条件は、ただそれのみではなく、それを満たすための手段とセットで考える必要がありますかね?」というのは、「勝利条件」と「敗北条件」が存在するパターンの方を指すことになると思います。

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週刊ボードゲーム通信287号「ボードゲームの要素:勝利条件」その5 返信  引用 
名前:鱶(fuka)    日付:2月26日(日) 22時27分
 やっぱり勝利条件は変わらないほうが無難ですね。
 
 ところで、勝利条件がただ一つの場合、複数の勝利条件が用意されている場合というのは
ゲームの性格に、何か変化を与えるものでしょうか。まず、複数の勝利条件があるということは、
それだけ、戦略の幅が広がるということでしょう。
 勝利条件が一つの場合は、勝利条件を満たすための手段の多さが、戦略の幅になります。
複数の勝利条件がある場合は、その勝利条件の数だけ、同様に手段を増やすことができるので、
より幅を広げることができるのではないでしょうか。
 弱点としてはやっぱりバランス取りでしょうね。ただでさえ、いい勝負を演出するバランス調整は
難しそうなところに、複数の勝利条件を設けた日には…。どちらの勝利条件を目指しても、
多少の有利不利があったとしても、不利すぎて誰もそれを目指さないことにならないように。

 ところで、前に横さんがあげていた、M:TGの、「相手のライフを0にする」と「相手の手札をなくす」
は、結構二律背反的で、良いような気がします。というのは、相手のライフを0にするためには、
カードで攻撃を仕掛けていくことが重要ですが、カードを消費しすぎると、自分の手札がなくなってしまう、みたいな。
実際私がM:TGをやってたときには「相手の手札をなくす」の方は、意識したデッキ破壊用のデッキを
組む必要がありましたが、こんな感じのものをボーゲーのジレンマにできそうかなと思ったりして。
と思ってたら、「アベ・カエサル」がそのまんまでしたね。手札で戦車を進めるけれど、手札を
使い切ってしまったら負けということなので。勝利条件を満たすために、いかに工夫するか、ということが
見せ場になるゲームは、面白い気がします。ということで、勝利条件は、ただそれのみではなく、
それを満たすための手段とセットで考える必要がありますかね?

 ではでは、また来週-。

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週刊ボードゲーム通信286号「ボードゲームの要素:勝利条件」その4 返信  引用 
名前:    日付:2月19日(日) 20時52分
「クレイジーダービー」、「みんなで決めたこと」ともにやったことないゲームですね。
どちらも勝利条件が変化するゲームではないようです。
「みんなで決めたこと」は、勝利条件はあくまで獲得点数であり、点数を獲得するためのルールが変化するゲームです。
このようにルールが変化するゲームならあるていどありそうですが、勝利条件まで変化するゲームはやはりめったになさそうです。

勝利条件が勝手に変わってしまうと、がんばってプレイする気持ちが減少しますが、プレーヤーが能動的に勝利条件を変えることができるのであれば、ゲームになりそうな気はします。
ただそういうボードゲームがあってもよさそうなのにないのは、バランスをとることが難しいのが大きいでしょう。
結局は、勝利に近いプレーヤーが皆に妨害される展開になりそうですし。

ところで、今、開催されている冬季オリンピックのニュースを聞いていて、スポーツにも勝利条件があるんだなあと感じました。
スポーツでも、順位をつけるため、数字が使われることになります。
速さを競うスピードスケートなどの競争種目では、タイムや順位がそのまま結果となります。
こういう競技での勝利条件はタイムであり、長年変化しないものです。
他方、フィギアスケートのような演技をする種目ではその点、単純ではありません。
審判による採点で結果が決まるからです。
人によって採点結果は異なってくるものの、採点基準は明確になっています。
今回、自分が気に留まったのは、採点基準が年によって変化するという点です。
今期のオリンピックのフィギアスケートで、日本人選手があまりいい結果を出せていないのは、今回の採点においてはスピードに重きが置かれていて、日本人選手はスピードが弱点だったためだという話をしている人がいました。
そしてそれは、スピード重視に変わったのにその対策ができなかった指導者側の責任だという意見もありました。

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週刊ボードゲーム通信285号「ボードゲームの要素:勝利条件」その3 返信  引用 
名前:鱶(fuka)    日付:2月12日(日) 21時31分
 みなさんこんばんは、鱶(fuka)です。ラグビー日本選手権で、早稲田がトヨタを
破った記念すべき日曜日、いかがお過ごしでしょうか。

 さてさて、勝利条件です。これはゲームの勝利を目指す場合は、非常に重要な要素です。
前回の横さんの指摘どおり、今まで目指していた勝利条件が、がらっと変わってしまっては、
何じゃそりゃ、となるのも無理からぬところでしょう。クイズ番組の「最後の問題は100点」
以上に、プレイヤーに与える脱力感があります。
 今まで、「ポイントが一番多いものが勝利」というところが、突然カード1枚で、
「ポイントの最も少ないものが勝利」となるようなイメージです。
そらまじめにやってる人は、怒りますがな。
その辺の処理をフラックスは誤っているのではないでしょうか。

 そこで、「クレイジーダービー」というゲームがヒントになるような気がします。
このゲームはカードゲームで、ラクダ、イヌ、ゾウ、ニワトリ、カメの動物たちが競争します。
プレイヤーは手札として、配られたカードを持ちます。スタートプレイヤーから、1枚づつ
カードを場に出します。ラクダは足が速いので3枚、イヌは4枚、ゾウは5枚、ニワトリは6枚、
カメは7枚のカードが(誰が出したカードでもOK)場に出ると、ゴールしたことになります。
で、そのゴールした動物のカードを出した人は、そのカードが得点になります。
できるだけ、人が出していくカードの尻馬に乗って、一緒にゴールを目指すと、得点が
得やすいわけです。「クレイジーダービー」では、手札が完全ランダムなので、実際には
あまりどきどきする駆け引きもなく、手札でましなカードを出していくだけのゲーム
なんですが…。
 この、みんなでゴールする動物を決めるというという部分を生かして、みんなでルールを
作っていくわけです…と、ここまで書いて「みんなで…------どっかで聞いたような…
「みんなで決めたこと」…そのままですがな。
 ただ持ってもなければ、プレイしたこともないんですよね…。横さんはどうですか?

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週刊ボードゲーム通信284号「ボードゲームの要素:勝利条件」その2 返信  引用 
名前:    日付:2月5日(日) 22時7分
普通、勝利条件というと「プレーヤーに共通の、ゲームを通して変化しない、唯一の勝利条件」です。
ここではこれを「一般的な勝利条件」とします。

これに対して、「例外的な勝利条件」があります。
その1つとして、前回挙げられたような勝利条件が変わるゲームがあります。
冒頭の表現に従うと、「プレーヤーに共通の、ゲームを通して変化する、唯一の勝利条件」となります。
ところで、勝利条件が変化してしまうと、これまでの努力は一体なんだったのかということになってしまいます。お手軽なゲームでないと、きついです。
勝利条件はボードゲームで根本的な要素なので、それをいじることは難しいです。

「例外的な勝利条件」として、他にもいくつか挙げられます。
まず、勝利条件がプレーヤーによって異なるゲームがあります。
プレーヤーが何かの役割となる役割系のゲームでしばし見られます。
これは、「プレーヤーに共通しない、ゲームを通して変化しない、唯一の勝利条件」です。
ちなみに、このタイプのゲームでは、各自の勝利条件は、公開されている場合と、非公開である場合があります。
また、勝利条件がプレーヤー全員異なる場合や、勝利条件が2、3種類存在していてプレーヤーはそのどれかとなる場合があります。たとえば、善の陣営のプレーヤーの勝利条件と、悪の陣営のプレーヤーの勝利条件があるゲームです。

それから、複数の勝利条件が存在するゲームもあります。
「プレーヤーに共通する、ゲームを通して変化しない、複数の勝利条件」です。
たとえば、マジックザギャザリングの勝利条件には、相手のHPを0にすることと、相手の山札をなくすことの2つがあります。

例外的な勝利条件は、他にもあります。
以上に挙げた分類は、@プレーヤーに共通か、A変化するか、B唯一か、の3つの要素によっているので、それらを組み合わせると8通りあることになります。
また、複数の勝利条件がある場合もあります。
たとえば、デューンでは、「一般的な勝利条件」と「例外的な勝利条件」があります。前者としては都市の確保、後者としてはベネゲセリットプレーヤーによる勝利プレーヤーの予言などです。

さて、とりあえずの整理はできたかもしれませんが、ここから先をどう進めていくかです。
例外的なものの方が語りやすそうではあります。

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週刊ボードゲーム通信283号「ボードゲームの要素:勝利条件」その1 返信  引用 
名前:鱶(fuka)    日付:1月29日(日) 11時21分

 みなさんこんにちは。鱶(fuka)です。
今回は久しぶりに、ボードゲームの要素シリーズということで、「勝利条件」です。
これの考察って、今までやってなかったですよね。

 勝利条件を満たせば、そのプレイヤーの勝利になるというやつです。
これの無いゲームはないはずです。ファミコンのノーマル・マリオみたいに延々と
続くようなボードゲームはちょっと…。
 一番多くありそうな勝利条件は、ポイント制で、「ラウンド終了時に最も得点が
高かった人の勝利」でしょう。「規定のポイントに達すれば勝利」もよくあります。
この場合は、ポイントの到達時点で終了するサドンデスとか、ラウンドの終了までプレイする
方式とかがあります。レース系の、「1番でゴール」もありますが、それでポイントを獲得して
数レースをこなす、ということでポイント制になる方が多そうです。商売系のゲームでは、
ポイントは、お金で表されることもあります。

 評価掲示板のほうで7件の書き込みがある、フラックスというカードゲームは、
http://f27.aaa.livedoor.jp/~hetappi/sonota1/wwwlng.cgi?print+200203/02030005.txt
プレイヤーのプレイするカードによって、勝利条件を変えることができるゲームです。
簡単にルールを説明しますと、手札のアイテムカードを自分の前におくことができる。
そのアイテムカードの2枚の組み合わせが「ゴールカード」という勝利条件を示すカードに
書かれている(ゴールカードにはそれ以外の勝利条件もあるが、これが一番多い)。
アイテムカードを置くか、ゴールカードを置くかで勝利条件を満たした人の勝ち。
というわけで、勝利を得るにはカードの引きと、勝利条件を覚えておく、というあたりに
依拠しそうなものです。勝利条件が変わる、というのは、ちょっとプレイしづらかったです。
以前の記事で言うところの「静的な要素」という印象が強くあるので、それを動的な要素に
変えるのであれば、何かほかに静的な要素を入れる必要があるとおもいます。フラックスの場合は、
それが特徴でもあるのですが、静的な要素がほとんど無いゲームなので、あまりバランスが
取れていませんでした。
 
 というわけで、横さん、このテーマでいけそうですか?来週お願いします。

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週刊ボードゲーム通信282号「今年のボードゲーム界を占う」その4 返信  引用 
名前:    日付:1月22日(日) 22時52分
前々回は楽観的な観測でした。今回は悲観的な観測でゆきたいと思います。
外国のことはよく分からないので、日本のボードゲーム界を占うということで。

・ドイツゲームが売れなくなる
ドイツゲームの売上高は減少しているのではないかと、なんとなく感じます。
そして今年は、もっと売れなくなると思います。
売上高が、昨年の3分の2とか半分くらいに急減しても自分には不思議でないです。

・ショップの減少
ドイツゲームを取り扱う店は少しずつ増えてきましたが、売上減に伴い、今後減少していくでしょう。
また、イエローサブマリンのような店におけるボードゲームを置くスペースは狭くなっていくと思います。
そうなると我々ゲーマーは寂しい気はするものの、あまり困りません。そんなにボードゲームを買わなくてもよいから。

・ボードゲーム系のサイトの活性が低下する
ボードゲームを話題とするインターネット上のサイト、とくにブログが増加してきました。サイトの数は今後も微増するでしょうが、更新頻度が低下したり、ボードゲーム以外の話題の割合が増えるのではないかと思います。
ところで、これまた印象なのですが、最近はボードゲーム系のサイトに対する読者のニーズがあまりないような気がします。以前はレビューなどのボードゲームに関わる情報が、わりと強く求められていたと思います。これはどういうことなんでしょう。

以上、斜に構えた見方かもしれませんし、あえて言うこともない話だったかもしれません。
でもやっぱり、ボードゲーム界の展望はあまり明るくないと思います。

そこでここは、「おたく向けキャラゲーム」しかないと思います。
バックナンバーを見返してみると、1年ちょっと前にも言ってますね。
この際、ゲームのできがよくなくて構いません。コンポーネントがしょぼくてもOKです。
ルールだけはしっかり書いて、解釈なしにゲームができるようにしておいてさえしてくれれば十分です。
キャラには、人を動かす魔法があります。
おたくならボードゲームを買います。ゲーマーだって、半数くらいはおたくなんだからジャンルが合えば買うでしょう。

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週刊ボードゲーム通信281号「今年のボードゲーム界を占う」その3 返信  引用 
名前:鱶(fuka)    日付:1月15日(日) 12時4分
 みなさんこんにちは、鱶(fuka)です。

 ボードゲームの値段が下がるのはいいんですが、置き場所の値段が高いので
家賃も下がればなあと思ったりして。ボードゲームって、原価はどのくらいなんですかね?
あのボードやら箱は、どっかの印刷所でやってもらえるようなもんなんでしょうか。
損益分岐となる売り上げ個数は、どんなもんなんでしょ。

 「おたく向けキャラゲーム」…あんまりでなさそうですねえ。最近はなんせ
キャラゲーはほとんどトレカの方で出ますね。オタクの行動からして、
コンプリートするまで買う人が結構いるでしょうし、追加セットを刷れば
さらに売り上げアップというのは、想像に難くないのですが、ちょっと安易
にトレカ出しすぎ、と思います。ただ、普通のボードゲームを出しても
儲からないんでしょうね。そして、横さんの「数年後のプレミア価格を期待」
というのは…。もしかしたら、ゲームのほうも面白い可能性が、わずかにあるんですが。

 そういえば、私が期待するのはフィギュアスケートのボードゲームです。
私は、安藤美姫さんが4回転を飛んだころから、フィギュアスケートを見始めて、
グランプリシリーズとか全日本とか、今年は特に楽しいシーズンでした。
これからトリノもありますしね。
 フィギュアの試合では、SP(ショートプログラム)→ フリー
で勝敗を争い、最終日にエキシビジョンという、勝敗に関係のない演技が見られるのですが、
これって、そのままラウンド1,2,3という感じにできそうじゃないですか?
 ジャンプの種類も6種類、ジャンプ以外にもステップ、スピンにさまざまな技があって、
それぞれにレベル(技の難易度)があるので、いかにもボードゲームにできそうです。
 選手の得意技や、曲の選択、コスチューム、滑走順など、他にも入れられそうな要素が
色々あるなあ、と妄想する今日この頃です。誰か作ってください。

 ではでは、また来週。

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週刊ボードゲーム通信280号「今年のボードゲーム界を占う」その2 返信  引用 
名前:    日付:1月5日(木) 23時20分
正月は終わりましたが、明けましておめでとうございます。
今年もよろしくおねがいいたします。

さて、コンピュータゲーム界にはなにかと話題があって語ることもいろいろあるのでしょうが、ボードゲーム界となるとやはり話題に乏しいですよね。私も鱶さんと同じような感じです。
でもそれではなんなんで、今年こうなってくれたらうれしいという願いを強くこめて、楽観的予測を書きます。

・ボードゲームが大幅に値下げされる
やっぱりドイツゲーは高いです。今の半値くらいでちょうどよいと思います。

・初心者向けのゲームがたくさん出る
ドイツゲーは1時間とか2時間かかる重めのものは面白いものがわりとあるのですが、それらはいかんせんゲーマー向きです。そういうゲームでもルールは案外簡単ではありますが、ボードゲーム経験値が少ない人にはなかなかとっつけません。
初心者向けのゲームで、面白いものは現状少ないと思います。
「ハイソサイエティ」のようなゲームがたくさん出てくれることに期待します。
抽象的なカードゲームは奥深くてもゲーマー向けだし、「操り人形」のような意地悪する系ゲームもやはりダメです。

・おたく向けキャラゲームの出版
トレカじゃなくて、UNOとかスゴロクじゃなくて、普通のボードゲームでです。
日本のメーカーさん、たのみます!
数年後のプレミア価格を期待して私は買います。

・新しいタイプのボードゲーム
そろそろマジックザギャザリングのような革命的なゲームが登場する時期です。
そしてしばらくはボードゲーム界(ショップ、メーカー、雑誌)も安泰です。

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週刊ボードゲーム通信279号「今年のボードゲーム界を占う」その1 返信  引用 
名前:鱶(fuka)    日付:1月1日(日) 22時55分
 みなさん、あけましておめでとうございます。
 正月一日、いかがお過ごしですか。田舎で旧友とボードゲームを
楽しんでいる人もいるでしょう。うらやましい限りです。

 今回は、雑誌とかの新年特集でよくありそうな、企画を立ててみました。
さて、今年はどうなるでしょう。

 まず、コンピュータゲーム界では、昨年末に、次世代ゲーム機Xbox360が
発売されました。おそらく年央にはソニーのPS3、任天堂のレボリューションも
出てくることでしょう。Xbox360は、Xbox Liveという、オンライン対戦の
機能に力を入れています。オンライン対戦は、メディアこそコンピュータですが、
「対戦相手」や「協力相手」を”場所”の制約なしに見つけることができるという、
かなりすばらしい機能です。
 ボードゲーム界では、対戦相手を見つけるのは、それなりに苦労しますが、
コンピュータゲームの世界では、その壁はかなり低くなっていってます。
 PCでカタンができたりもしますけど、やっぱりボードゲームの醍醐味は
対面プレイなので、コンピュータゲーム界が、いかにオンラインで盛り上がろうとも、
ボードゲームをそこに移植するのが、主流にまではならない気がします。

 もう1点、最近なにやらIQばやりです。街のおもちゃ屋さんでも
〜 子どもの脳力を上げるIQパズル 〜というような、パズル系のものを
ちらほら見かけます。だいたい、「脳力」とか言ってるところで、すでに
いまいちさを感じてしまうわけですが。
 ゲームはそれ自体で楽しいのに、それ以外の要素を付け加えたら、ゲームの
楽しさを減じてしまうと思います。
 と、いうわけで、その辺のIQブームも、ボードゲームの方へは、あまり
関連しなさそうです。

 ということから今年を占うと、やはり例年通り、ぼちぼちボードゲームを楽しむのが
良さそうです。
 ではでは、今年もよろしくお願いします。

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週刊ボードゲーム通信278号「リアルタイムあるいは時間の要素」その4 返信  引用 
名前:    日付:12月25日(日) 23時27分
たいていのアブストラクトゲームやパズル的ボードゲームには、時間制限が設けられていません。
プレーヤーの手番に時間制限があった方がゲームはスムーズに進行すると思われます。
それにその方が公平です。
適当なアメリカ製のゲームなら時間制限をつけたければつければという感じなのですが、合理性を重んじるであろうドイツゲーにも時間制限のあるものは少ないです。
このことは以前から不思議でした。
子供や非ゲーマーのことを考えると、ゲームを難しくしてしまう時間制限はない方がよいでしょうが、ゲーマー向けのボードゲームであっても時間制限がないのです。

ほとんどのボードゲームは、初回で触れられた「@ターンやラウンドといったもので時間を管理」の方式を取っています。
この方式がボードゲームの大きな特徴でしょう。
そして、ボードゲームがコンピュータゲームに負けたのは、この時間管理方式のためではないかと思います。
手軽さ、派手さ、1人でできることなど、コンピュータゲームにはメリットがいくつもあります。
リアルタイムの要素を持てることは、それらの中であまり目立たないもののとても大きなメリットです。

ボードゲームが好きな人(ゲーマー)は、時間を止めてじっくりと思考できることに魅力を感じます。
だからゲーマーにとってはリアルタイムの要素はなくてよかったのです。
むしろリアルタイムの要素があると、面白いゲームだったとしてもすぐに疲れてしまいます。
実際、リアルタイムの要素のあるゲームは短時間で終わるものが多いです。
ゲーマーとしては、わざわざゲームをするために集まっているわけなので、あるていど長時間はゲームをしたいのです。

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週刊ボードゲーム通信277号「リアルタイムあるいは時間の要素」その3 返信  引用 
名前:鱶(fuka)    日付:12月18日(日) 22時11分
 まいどこんばんは、鱶(fuka)です。

 「プレーヤー間の交渉があるゲーム」を、リアルタイムの要素を含むと考える場合のポイントは、
三国志演義などの、なんとなく同盟交渉という交渉ではなく、モノポリーとかの土地交換のように、、
良い条件を先に出して、交渉成立を狙うという、早い者勝ち商売のシミュレーションのような
ところかなと思います。、
 昔のパソゲーのM.U.L.E.(ミュール)は商品売買を、各プレイヤーが相場バーの上げ下げを
時間内に行うという形で表現していて、非常に良くできていました。まさしくリアルタイムの要素を含んだ
ボードゲームの名作といえるでしょう。

 そういえば、タムスクってボードゲームがありましたね。
砂時計がコマになっているという。とりあえず、ぱっと見、難しそうな印象でした。
未プレイで言うのもなんですが、パズルの要素の時にも出た、リアルタイムとパズルの融合で、
名作っぽいです。でも、難しそう…。
 リアルタイムはやはり短時間での判断を求められるということで、
初心者には不向きといえそうです。
 
 前回の最後にあげられた、ゲーム中のリアルタイムと、現実の時間の差について。
ラウンド制にせよ、リアルタイムにせよ、 ゲームの中の時間は、現実を翻訳して、表現されています。
 真の(?)リアルタイムといっていいのか?、テレビの「24(Twenty Four)」のように、
現実に流れる時間とボードゲーム上の時間が、まったくイコールのボードゲームといううのも
あんまりなさそうですね。アブストラクトなゲームは、そもそも現実を写していないですしね。

 それにしても、この話題にしたの失敗かも。家のボードゲーム棚を見ても
リアルタイムのゲームを持ってなかったですよ。それでは、また来週。
 

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週刊ボードゲーム通信276号「リアルタイムあるいは時間の要素」その2 返信  引用 
名前:    日付:12月11日(日) 21時58分
前回のAにあたるリアルタイムのゲームは少なく、プレイする機会があると新鮮です。
とりあえず思いうかぶのは、カードゲームの「ピット」です。
プレーヤー同士でカードをリアルタイムに交換して、手持ちカードをすべて同じ種類にすることを競うゲームです。
「文明の曙」(アバロンヒル)における貿易でも、同じようなリアルタイムの交換をします。
この2つのゲームの相違点は、「ピット」はゲーム全体がリアルタイムであること、「文明の曙」は一部がリアルタイムであることです。

ところで、前回の@とAの分類は、時間が止まっているか動いているかであると思います。
「ピット」はAだけですが、「文明の曙」は@とAの両方を含んでいます。
@とAは要素の分類ですので、両方を含んでいることはべつだん問題ないでしょう。
Aだけのゲームは少ないですが、@とAの両方を含むゲームであればけっこうありそうです。
でもこれについては置いておいて、Aについてもう少し考えてみます。

まず、時計が付属するゲームはAの要素を含むとしてよいと思います。
たとえば、砂時計が落ちるまでに達成できなければアウトになるようなゲームです。
時計を使うゲームは、トランプのスピードとはちょっと違うタイプのゲームのような感じはしますが、スピードの場合は早く達成したプレーヤーが現れた時点でゲームが終了するため、時計を必要としないだけのことです。
時計を使うゲームでは、たとえば3人以上が競って、時間内に達成できたプレーヤー・できなかったプレーヤーに分かれたりします。

それから、プレーヤー間の交渉があるゲームもAの要素を含むとしてよいのではないでしょうか。
交渉はリアルタイムでなされるからです。
そうであるならば、Aを含むゲームは多くなります。
ただ、交渉をリアルタイムの要素と考えると、時間というテーマがぼやけてしまうような気がしないでもありません。

ところで、プレーヤーがリアルタイムでしていることは、ゲーム上で表現している時間とかけ離れています。
たとえば、「ピット」における1回のプレイはリアルタイムでは数十秒ですが、1回の穀物のやり取りの時間が実際にあるとするならば、その時間はプレーヤーが体感する時間の何百倍とかそれ以上でしょう。「文明の曙」の場合もっと極端で、数分間の交易が実は数十年とか百年とかだったりします。
リアルタイムといってもぜんぜんリアルでないのですが、こういうことを考えるのは、ピントがずれているのか、何かの手がかりになるのか。

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週刊ボードゲーム通信275号「リアルタイムあるいは時間の要素」その1 返信  引用 
名前:鱶(fuka)    日付:12月4日(日) 22時38分
 みなさんこんばんは。鱶(fuka)です。職場ではもう忘年会があったりして、そろそろ師走気分
といった感じですが、みなさんいかがお過ごしでしょうか。

 パズルをあまり広義でとらえていくと、確かに戦略性のあるゲームはパズルに当てはまって
しまいそうです。いつものことながら、このあたりで次のネタに行こうかなと思います。

 まずは、コンピュータとパズルの相性についての、横さんの考察からヒントをいただいて、
今回からのシリーズでは、ボードゲームの時間の管理について見ていきたいと思います。
 
@ターンやラウンドといったもので時間を管理。
Aリアルタイムでゲームが進行。

 @の場合はタイムスケールが、大きな範囲に対応できます。
ラーでは1つのラウンドは、約500年です。エルグランデでは、たぶん1か月とかくらいでしょうか。
アベ・カエサルのように、数秒というようなものもあります。
 タイムスケールが、なんか適当なゲームは多いです。アベ・カエサルもそうですが、お互いに戦う系のゲームでは、
実際の戦闘は明らかに同時行動なのに、ターン制で交互に手番を行います。この辺は、コンピュータのシミュレーション
でも同様の場合が多いですけど。余談ですが、セガサターンの「ヘルツォーク・ツヴァイ」は同時行動の
アクションSLGでなかなかいい感じでした。とても苦手でしたが。

Aでは、トランプのスピードとか、未プレイですが、以前Kenさんに教えてもらった
「アムステルダムの商人」の競りシステムとかでしょうか。こういったリアルタイムの要素は、
うまく取り込むと、良さそうです。
 ボードゲームでは@の方が主流なわけですが、Aで何か名作ってありますかね。
 
 とりあえず、こんなところで、また来週。
 

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週刊ボードゲーム通信274号「パズルの要素」その6 返信  引用 
名前:    日付:11月27日(日) 23時48分
コンピュータとパズルゲームはとても相性が良さそうだと前回で述べられました。これについて触れます。
たとえば携帯電話のアプリ一覧を見ると、「アクションパズル・パズル」というカテゴリーに含まれるゲーム数はとても多く、主要なジャンルとなっています。
テトリスのようにアクションの要素があるものがアクションパズル、倉庫番のようにアクションの要素がないものがパズル、ということになるのでしょう。
このカテゴリー内のゲームは、ほとんどが前者となっています。
コンピュータとパズルゲームは相性が良いと言っても、それはアクションがあってのことのようです。よって、アクションとパズルの相性が良いということになると思います。

では、パズルと相性が良いアクションとはどういうものでしょうか。
それは、シューティングゲームや格闘ゲームで要求される反射神経的なものというよりも、短時間での判断が試される類のものでしょう。つまりパズルをどれだけ早く正確に処理できるかが、パズルゲームにおけるアクションです。

本来、パズルというと難しいものであり、時間をかけてじっくり解くものです。そこがパズルの楽しさです。
コンピュータのパズルゲームのパズルはあまり難しくなく、ゆっくりと解けば誰でも正解に行き着くことができるようなものです。それをアクションによって時間や正確さを競います。コンピュータではそういうことが可能なため、パズルとの相性が良いのだと思います。

続いて、前回の分隊長のコメントに関連して。
ゲーム開始時のセットアップを考えることもパズルになると思いました。マジックザギャザリングでデッキの内容を考えることもパズルです。
セットアップを考える楽しさは、たしかにパズルを解く楽しさに似ています。
また、作戦を立てること、そして作戦を遂行することもパズルになるでしょう。
この考えを延長すると、ボードゲームじたいがパズルということになっていきます。
パズルかパズルではないかの線引きがどこになるのか、という本来的な問題になってきます。

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週刊ボードゲーム通信273号「パズルの要素」その5 返信  引用 
名前:鱶(fuka)    日付:11月20日(日) 21時47分
 みなさんこんばんは。東京国際見てました?
久しぶりに強い高橋尚子を見れて良かった今日この頃です。

 さて、「パズルゲーム」のゲームの欠点で、特に横さんが2番目にあげてくださった、
「プレーヤー間の駆け引きというボードゲームの面白い要素が欠けて」いるという点は、
かなりパズルゲームの問題点ですねえ。

 可能性としては、「パズルの要素を含む」あたりでとどめておくことでしょうか。
 しかし、パズルをうまく解けても、大して勝利に結びつかないのであれば、
パズルを解く意味もないですしね…。
 どうもパズルの要素は、ボードゲームにうまく取り込むのが難儀な印象です。
 なんだか、前に推理の要素を考えたときも、ボードゲームにぴたっとはまる要素では
無かった気がしますが、パズルの要素はそれに次ぐ、扱いの難しい要素ですね。
 どうもボードゲームとの親和性は5段階評価で、2か3くらいです。
 
 そういえばパズルゲームには、「上海」がありましたね。ファミコンかなんかで
1回しかやったこと無いですが。
 そうやってちょっとコンピュータゲームの方へ目を向けてみると、
 ロードランナー、フラッピー、倉庫番、テトリス、ぷよぷよ…。ちょっと考えただけでも
多くの名作ゲームが頭に浮かびます。ロードランナー〜テトリスまでは、一人用ゲームですが
ぷよぷよでは対戦型と大きな進化を遂げています。(ぷよぷよ以前にも対戦型パズルゲームって
ありましたっけ?思い出せない…)
 どうも、コンピュータとパズルゲームは、とても相性が良さそうです。
 そんな感じで、パズルの要素はこんなもんで終結しましょうか。
 ではまた来週。

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Re: 週刊ボードゲーム通信273号「パズルの要素」その5
名前:    日付:11月20日(日) 22時17分
おつかれさまです。
もう1回、パズルの要素で書いてみようかと思います。
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Re: 週刊ボードゲーム通信273号「パズルの要素」その5
名前:分隊長    日付:11月27日(日) 23時45分
パズルの要素はおもしろい考察ですね。

パズルには必ず正解がある ということは、最善手が一意に決定する ということと同義かどうかは置いておくとして、

「パズルを解くこと」と「ゲームの勝利条件」との相関度合いが高いかどうかも「パズルゲーム」のおもしろさの一要素になるかとおもいます。

例として適切かどうかは不明ですが、

ウォーゲームにて、彼我の戦力、戦況に圧倒的な差がある場合、
事実として見える戦局は固定的な結果ばかりかとおもいます。
たとえば、ベルリン攻防戦のゲームで、ドイツ軍が盤上のロシア軍を
すべて消し去ることはあり得ませんし、沖縄戦のゲームで、日本軍が
米軍を壊滅させることはあり得ないと思います。
となると、斯様なゲームはパズルを解くことににていて、
いかに効率よくパズルを解くかと同義になってしまいます。

つまり、パズル的なゲームであるが、パズルを解ききることではなく、
パズルを解く過程の巧拙にて勝敗をつけようということになります。

反して、の戦いをあつかったゲームでは地勢上、森林地帯を
縫って走る道路網に対して、いかに部隊を運用するかという部分も
ゲームのおもしろさの一つに挙げられますが、この部分はきわめて
パズル的な要素が強いのですが、ゲーム全体で見た場合、パズルを解く
ことはあくまで手段であり、ゲーム勝利条件の大局には影響を与え
ません(攻勢軸の設定、部隊配分等々が勝敗に影響を与える最大
の要素かと思います)。


===============================
以上、あまりまとまっていませんが雑感まで
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週刊ボードゲーム通信272号「パズルの要素」その4 返信  引用 
名前:    日付:11月13日(日) 22時36分
前回の定義”「パズルをうまく解ける=勝利」という方程式が成り立つものはパズルゲーム”ということで、とりあえずいいのではないかと思います。

さて、私はパズルゲームはたぶんあまり好きではありません。たぶんとつけるのは、あまりやったことないからです。でもやはり、一般的にあまり人気のないジャンルです。

前回に述べられた「パズル技能の差がストレートに出すぎること」は確かにパズルゲームの弱点です。
ただ、これは仕方のない部分だと思います。この弱点が解消されてしまったら、それはもうパズルゲームではないからです。
問題は、パズル技能の差がストレートに出ることをよしとする人がいたとして、その人がパズルゲームに魅力を感じないことです。
これは、パズルゲームに根本的な欠点があるためだと思います。

欠点の1つは、時間の問題です。
パズルを解くためには時間が必要になります。
そのため、一人のプレーヤーがパズルを解いていてる間、他プレーヤーは暇になります。
その上、時間をかけるほど正解に近づけるため、他プレーヤーを待たせたプレーヤーほど勝利に近づいてしまいます。

もう1つの欠点は、多人数ソロプレイだということです。
パズルは各々が解くものであり、他プレーヤーは関係ありません。プレーヤー間の駆け引きというボードゲームの面白い要素が欠けています。

パズルゲームでは、これらの欠点を補うための工夫がなされてきました。
正真正銘のパズルゲームと言っていい「ウボンゴ」では、前者の欠点は解消されています。すべてのプレーヤーが同時にパズルを解くので、待ち時間が生じません。
後者の欠点の多人数ソロプレイであることには変わりありません。しかし、勝利条件がパズルを解くこと自体ではないので、駆け引きの余地が少し生じています。また、1回1回のパズルの時間が短いので、ソロプレイの孤独感が多少薄れていると思います。

「トーレス」では、前者の欠点は解消されていません。
後者の欠点に関しては、プレーヤー間の相互作用を生じさせることである程度解消しています。
「トーレス」が完全にパズルゲームという感じがしないのは、プレーヤー間の駆け引きがあるためではないでしょうか。
冒頭の定義に従うと、パズルゲームになると思います。

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週刊ボードゲーム通信271号「パズルの要素」その3 返信  引用 
名前:鱶(fuka)    日付:11月6日(日) 21時40分
 みなさんこんばんは。鱶(fuka)です。
 
 前回、横さんに聞かれた、
"「有利に進められる度合い」が高いとパズルゲームにより近くなっていく"
ですが、言葉足らずですみません。
 これは、パズルを解くという行為が、ゲーム全体に与える影響の大きさのことです。

 個々の1ターンで解くパズルが戦術的な勝利にとどまらず、最終的な勝利に
結びついていく度合いが強いゲーム、「パズルをうまく解ける=勝利」という方程式が
成り立つものはパズルゲームだといえます。

 ゲーム内にパズルを解くという要素(「ブロックス」の終盤のパズルはめなど)が
あるが、そのパズルをうまく解けたところで、勝利に結びつく度合いが低いもの
=パズルゲームではない。単にパズルの要素を含むゲームということになります。

 パズルゲームでは、パズルを解くことが絶対的な能力となりがちな気がします。
パズルにも当然、得意な人と苦手な人がいます。
 戦略の要素では、運などのランダム要素を取り混ぜて、戦略の巧拙がストレートに
出すぎないように調節することが可能ですが、パズルゲームでは、そのへんの調節の
余地が少ない、あるいは難しいのではないでしょうか。
 と、いうことで、パズル技能の差がストレートに出すぎるものは、ボードゲームの妙味が
薄れてしまいます。

 「ブロックス」では、前回の横さんの指摘どおり、終盤のパズルはゲームに大きな影響を与えません。その点でパズルの要素は含むものの、パズルゲームとはいえません。
 「トーレス」はパズルがゲームの勝敗の行方に大きく影響している気がするので、
より、「パズルゲーム」に近いものの気がします。でも、完全にパズルゲームという感じでも
ないんですがどうでしょう。
 ではまた来週。

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週刊ボードゲーム通信270号「パズルの要素」その2 返信  引用 
名前:    日付:10月30日(日) 19時7分
パズルの要素とは何なのかを改めて考えると難しいです。
そこで個々のゲームから考えていこうと思います。

「ブロックス」
パズル的なボードゲームの印象があります。
四角のます目にブロックを埋めていくところがそうです。
しかしながら、このゲームでプレーヤーがするブロックを置くという行為はパズルなのでしょうか。
終盤になると場所が残り少なくなるので、ブロックの置き方を考えるのはパズルになります。しかしその時点ではパズルはもう簡単なものになってしまっていて、それほど頭をつかいません。その上、すでに消化試合の感でパズルを解くため、あまりやりがいがありません。
中盤までは、感覚的にブロックを置いていくため、あまりパズルではないと思います。配置しにくい大きなブロックを先に置くとか、自分が置ける場所が広く残るようにするとか、他プレーヤーを邪魔するようにとかいった戦術はあります。ただこういう戦術は、ボードゲームで一般的なものであり、パズルではないです。
「ブロックス」は囲碁に似た感覚なのです。選択肢が無数にあり、どれがよい手がなのか判然としません。
よって「ブロックス」はパズル的なボードゲームではないと思います。

「囲碁」「将棋」
パズル的なボードゲームという印象はありません。
まずもってアブストラクトゲームです。
定石が存在すること、感覚的なものが要求されること、選択肢が無数にあることなどは、「ブロックス」と同様です。
終盤になると、詰め将棋に見られるようにパズル的になりますが、やはり「ブロックス」と同じくパズル的なボードゲームではないです。

「トーレス」
パズル的なボードゲームだと思います。
ところで鱶さん、前回の最後の部分…"「有利に進められる度合い」が高いとパズルゲームにより近くなっていく"に関して、すみませんがもう少し説明を加えていただけたらありがたいです。

「ラビリンス」
ラベンスバーガーのやや子供向けのボードゲームです。チクタクバンバンのようにタイルを動かすことで、道をつなげて宝物を獲得します。
このゲームはパズル的だと思います。
プレーヤーは、1回で宝物のところへ行く方法があるをまず考え、それが無理なら2回で行ける方法はどうかと考えていきます。できることはタイルを動かすことなので、選択肢はそれほど多くなく、またシンプルすぎるわけでもないので、ほどよくパズルです。

「ラミーキューブ」
数字が書かれた持ちタイルをすべて場に出すことができたら勝つゲームです。同じ数字もしくは連続した数字でつなげていきます。場に並べられた数字はばらばらにして再配列することができるので、自分の手と照らし合わせて考えるのがパズルです。
このゲームもパズル的だと思います。

「ウボンゴ」
最近出たボードゲームです。
シートが各プレイヤーに配られ、そのシート上に「ブロックス」のような形の12枚のタイルを配置します。タイルをシートの形にぴったり収める時間をプレーヤー間で競います。
これはもう完全にパズルです。
勝利条件は時間を競うことではなく、タイルを配置し終えたときに獲得する宝石に関わるので、勝負にはちょっとした駆け引きがあり、そこがボードゲームとしてのひねりとなっていますが、やはりパズル的なボードゲームの典型です。

以上、今回は個々のゲームを取り上げました。

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週刊ボードゲーム通信269号「パズルの要素」その1 返信  引用 
名前:鱶(fuka)    日付:10月23日(日) 8時38分

 みなさん、おはようございます。鱶(fuka)です。
今回から新シリーズということで、パズルの要素について考えて行きます。

 パズルとボードゲームの親和性を考えた時に、私がちょっと引っかかるのが、
パズルには解法があり、解答があるという点です。ボードゲームではプレイヤーの
行動にいくつかの選択肢が示され、そのどれが一番良い選択肢であるのかということは
容易には分らなくなっています。ゲーム終了後でさえ、結果的にこれでよかった、
ぐらしか言えなかったりします。相手の行動に選択が左右される面もありますし、
それはボードゲームの特徴といえるでしょう。
 一方、パズルそのものには、解くための方法というものがあり、それを無視して
適当に解答を得るやり方は、あまりに非効率的です。パズルの要素をボードゲームに
取り入れる場合には、その辺の方向性の違いが重要な気がします。

 パズルの要素が含まれたゲームで、よくできているものに「ブロックス」が
あげられます。ブロックスでは様々な形のブロックをうまく設置することで
ゲームを進めていきますが、前半に大きなブロックを置いてラインを進めて行き、
中盤に敵のラインをすり抜けて余地を作り、最終盤に細かいブロックでパズル的に
ボードを埋めていく、そのバランスがうまく取れているゲームです。最初から
細かい部分を埋めるパズルパズルではちょっと息が詰まってしまいますしね。

 前回の予告編でちらっと触れた「トーレス」はどうかというと、
それぞれの行動の時に、うまくコマを動かすという、パズル的部分をうまく処理できると、
より全体の戦いを有利に進めることができます。その度合いは、「ブロックス」よりも
「トーレス」の方が有利さの度合いは強い感じです。その、「有利に進められる度合い」が
高いとパズルゲームにより近くなっていくと思われます。

 それでは、今回はこの辺で。さよならー。よい日曜日をお過ごしください。

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週刊ボードゲーム通信268号「ボードゲームの箱」その5 返信  引用 
名前:    日付:10月17日(月) 1時18分
アメリカ製のハズブロー社の箱がとても大きいことについての分隊長殿の指摘は、もっともだと思います。
ドイツ人は合理的なのでコンパクトなものを好み、アメリカ人はおおらかなので大きなものを好むというような文化的要因からの説明は、素人くさいです。他方、店の規模・マーケットといった経済的・環境的な要因による説明はきれいです。
素人くさい説明よりもきれいな説明の方が正しいとは限らないのですが、ここでは後者を支持したいです。

日本のトイざラスは売り場面積が非常に広く、ボードゲームが平置きにされています。アメリカでもきっとこうなのでしょう。
こういう売り場なら、平らでかつ長いモノポリーの箱は目立ちます。スターウォーズモノポリーのような新バージョンになるほど箱が大きくなるのもうなづけます。

また、分隊長殿の指摘のとおり、ボードゲームが売られているヨーロッパの店は小規模のようです。そういう店では、日本と同様にゲームは立てて並べられているのでしょう。
そのような陳列における有利さとは?
それが、箱の形を変えることです。とくに、面積を広くすること、つまり箱を太くすることが最近のはやりでした。
アメリカ人もドイツ人も考えることは同じということになります。

昔は、出版されるドイツゲームのタイトルはあまり多くなく、店頭での競争は今と比べると平和でした。なので、余分なコストを払ってまで規格外の箱を使うことはあまりなかったのでしょう。
出版数が多くなるにつれ箱の形が多様になったのは、目立ちたいという商売の原理が第一にあってのことです。
箱の形が美しくなるのは文化の洗練化という自然な流れにあると、前々回まで私は考えていました。しかしボードゲームは売れてなんぼの商品であり、なによりも商売の原理こそが大きいのです。

以前に述べたように、太い箱のゲームはゲーム屋の棚でちょっと目立っていて、自分には購買意欲がわきました。
それは、太い箱がその面積の広さをうまく使ってアピールしていたからでしょう。細長い面だと文字くらいしか載せられませんが、太くなると絵が載せやすくなります。太い箱にかわいい感じがしたのは、絵が載っていたためのような気がしてきました。

ところで、太い箱は言われてみると収納効率がわるいです。
収納はゲーマーにとってシリアスな問題なので、スタンダードでない形の箱は今後嫌われていく可能性もありますね。

箱の形については、とりあえず以上としたいと思います。

このテーマに関して残っている要素としては、「その3」で分類した他のものがあります。
とりあえず、箱の情報について少しだけ触れます。

前回の鱶さんの集計によると、箱の側面の情報はまちまちです。
思うに、タイトル以外の諸々の情報を記していないゲームは、わざとそうしてるのではないでしょうか。
そのゲームをアピールするためには、絵やデザインを重視するのがよいと考え、細かい文字情報を外しているのだと思います。箱の表紙には細かい文字情報が載らないのと同様です。
側面は表面に似た位置づけなのでしょうか。

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Re: 週刊ボードゲーム通信268号「ボードゲームの箱」その5
名前:鱶(fuka)    日付:10月18日(火) 20時24分
 おつかれさまです。箱の考察は新鮮でよかったですね。
さてさて、毎度の事ながら、次回のアイデアどうしましょう。
 まだやってない要素…パズルの要素とかってどうですか?
ブロックスとかトーレスも?
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Re: 週刊ボードゲーム通信268号「ボードゲームの箱」その5
名前:    日付:10月18日(火) 23時32分
了解です。よろしくおねがいします。
箱の話もまだ引っぱれるかとも思いますが、あまりおもしろい話にもならなさそうかな。
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週刊ボードゲーム通信267号「ボードゲームの箱」その4 返信  引用 
名前:鱶(fuka)    日付:10月9日(日) 21時5分
 まいどこんばんは。鱶(fuka)です。
 
 前回横さんから言及のあった、デザイン性の新しさ、古さですが
私の場合は結構無頓着でしたので、改めて考えたことがなかったです。
言われてみると、太箱タイプのものは昔は無かったので、ちょっと新鮮な気はします。
 メビウス便は9か月くらいやってましたが、太箱タイプのものは
クイーンゲームズの「インダス」くらいでした。底面積25x18cmで
高さ9.5cm。確かに運搬しやすそうですが、私が良く使う紙袋だと、
やはり横向きでないとおさまりません。マチの部分が大きい
スポーツバッグなどならいいのですが。

 分隊長からもご指摘があった収納に関する点は、全く同感です。
私が好きなサイズは、アレアなどの縦横31x22のサイズのが好きです。
家の本棚に余裕を持って2列積み上げられるので。中型箱のスタンダードサイズ
というイメージです。太箱ばっかりだと収納量が3割減ぐらいになりそうな気がします。
というわけで、私は太箱はそれほど好きでもないです。

 特徴のある箱といえば、ポケッタブルシリーズは実用的です。
ケース=ボードとなっていて、大きさといい、無駄の無い作りです。
ケース自体も硬い材質なので傷みにくく、旅のお供にぴったりです。
問題点は、それほど遊びたいゲームが無いところですが…。
 「動物列車」というカードゲームの箱は金属製で、カンペンケース(古いな)のような
箱でした。

 もう一つ、売り場に関してのことでいえば、箱の表紙(?)を見せて売られるゲームは
あまりたくさんは無いと思われます。大体、横向きに立てて置かれていると思うので、
その見えているわずかな面に書かれている情報は重要です。
そこで、家のボーゲー棚をチェックしてみました。
見つかった情報は下記の通りです。

・タイトル    100%(28/28)
・メーカー名、ロゴ 96%(27/28)
・イラスト     61%(17/28)
・プレイ人数    57%(16/28)
・対象年齢     57%(16/28)
・プレイ時間    25%( 7/28)
・作者名      14%( 4/28)
・難易度       4%( 1/28)

 母数が少ないのであれですが、作者名はあまり表示されていないのに対して
メーカー名、ロゴは100%に近い数字です。プレイ人数と対象年齢はセットで
表示されていました。

 有名なメーカーを見てみると、
・ラベンス … タイトル、メーカー、人数、年齢
・ハンス  … タイトル、メーカー、人数、年齢、時間(これは最近のもので、
       エルグランデではタイトルとメーカーとゲーム大賞マークだけでした。)
・クイーン … タイトル、メーカー、作者
・アレア  … タイトル、メーカー、イラスト 

 こんな感じです。これらの情報だけでパスすることは余りないとはいえ、
プレイ人数や作者名は重要な情報ですので、表示して欲しいと思います。
プレイ人数の表示は買った後も役立ちますしね。

 それでは、また来週。さよならー。   

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週刊ボードゲーム通信266号「ボードゲームの箱」その3 返信  引用 
名前:    日付:10月2日(日) 21時6分
前回までをふまえて、箱を構成する要素を以下のように分類します。
@箱の形
A絵
B情報(タイトル、プレイ可能人数、プレイ時間、ゲームのあらすじなど)
Cゲーム大賞のマーク
D内箱

Cは、Bに含まれる種類のものですが、特記事項として影響度合いの大きなものであるため、1つの要素としたいと思います。

さて、その1で言及した「太い感じの箱」とは、「アルハンブラ」などのクイーンゲームズが出しているものや、「バリ」などのイメージです。柱のような形と言ってもよかったかもしれません。
こういう形のゲームが最近出てきたのはなぜだろうか、という疑問から出発しています。
コンポーネントを見るに、太い箱にした方が合理的というわけでもなさそうです。内箱で上げ底しなければならないこともあり、そういう場合は非合理的です。

では、太い箱のメリットは何でしょうか。
2つあると思います。
まず、平たい箱に比べると運搬しやすいです。
同じ体積でも、形を変えれば運びやすくなるのです。ボードゲームの大きな弱点は運搬しにくさにあるのに、最近までそれについては対応しなかったのは不思議なことです。

それから、もう1つのメリットはデザインのよさだと思います。
これは、その1で述べたことがらです。
太い箱は実はいい形だと思います。私は好きです。
それにボードゲームらしい形のように思えます。どこがボードゲームらしいのだろうか考えてみたのですが、ドイツゲーで使用されるコマの形に似ているからかもしれないです。あと木製という感じもなんとなくします。

昔からある平たい箱は、デザイン的には少々古くさく感じます。
平たい箱であっても、「カルカソンヌ」のようなひとまわり小さくなったものであれば、古くささを感じなくなります。
平たい箱には、ラベンスバーガーが出しているタイプの大きな箱のものもあります。
「ラビリンス」のように高さがわりとあるものは、デザイン的にまだ新しい感じがします。しかし「ウサギとハリネズミ」のような平べったいものには古さを感じます。
結局、箱の高さがポイントのようですが、ハズブローのえらく大きな箱は、高さがあっても古い感じがします。というか、いかにもアメリカ製で無骨です。

以上、主観的なことを述べました。このへんの感覚は通じるものなのでしょうか。

ところで、鱶さん、メビウス便の印象はどうでした?


(この連載で、時期を指すことばとして、「最近では」と「以前は」と「昔は」を、私はときおり使います。それぞれは、「3年ほど前」、「5年から10年ほど前」、「15年以上前」くらいの意味あいです。)

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ボックスデザイン
名前:分隊長    日付:10月4日(火) 20時4分
横さんの定義では「昔」、タクティクスに、アバロンヒルの歴史云々の連載にて、平箱のメリットとして、同一体積(=輸送コスト)で、ブックケースサイズの箱に比べて、2倍の売り場面積を専有することができる云々の記述がありました。

ゲームについての情報入手が困難で有った場合、売り場でブラウジングして「発見」される可能性を少しでも高めるためには、平積みされた際に、大きな面積をとることが重要であったのでしょう。

今日、ごく少数の顧客を対象とする「コンフリクトシミュレーションゲーム」は、その流通の多くをメーカー直販という形になっているものと思われますが、それ以外のゲームは、依然として店頭販売であり、店舗の形態がボックスデザインを決定するということが言えると思います。

米国の巨大トイストアでは、幾多の商品の中に埋もれないためには、不必要な迄に巨大なボックスを採用し、とにかく目立つことが必要なのではと愚考します。
このことは、同じ米国製のゲームであっても、メーカー直販主体のゲームでは、輸送コストを配慮したボックス形状であることが多いことも補足となるでしょう。

ドイツでのボードゲームの販売方法について深い見識が有るわけではありませんが、ハンブルグ、ケルン、ミュンヘン等で見てきたトイストアは、いずれも大規模ではなく、かつて、日本の町にも多く存在した「おもちゃや」の雰囲気を持つ店が多く、そのような店では、不必要に大きな箱はかえって敬遠される傾向が有るのかもしれません。

ボックスの形状に対しての感覚は横さんと同じとして、購入する側としては、できれば規格サイズのn倍にて構成されていることがよいです。変形サイズは収納が苦しくて、、、、

ではでは
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週刊ボードゲーム通信265号「ボードゲームの箱」その2 返信  引用 
名前:鱶(fuka)    日付:9月25日(日) 20時49分
 みなさんこんばんは。鱶(fuka)です。
琴欧州が初優勝を逃してしまった今日この頃、いかがお過ごしでしょうか。

 ボードゲームの箱のついての考察というのは、今までやらなかったですね。
前回あげられた、箱を構成する要素の「箱の形」と「箱に印刷された絵」に加えて、
基本的なところで、タイトル、プレイ可能人数、プレイ時間、ゲームのあらすじ
などの情報が載っていることもあります。

 ボードゲームを見本品で遊んで選べるお店もありますが、時間的制約や、
プレイヤーの問題などにより、ボードゲームをジャケット買いせざるを得ない場合も
多くあります。ネットで調べてから買えばいいようなもんですが、家から遠いところの場合は
ついつい、勢い(?)で買ってしまいます。
 箱のデザインの良さと、イラストのかっこよさと、ゲームの面白さの
相関関係は低そうです。しかし、「操り人形」なんかはカードに描かれた絵も
ゲームの雰囲気を盛り上げているので、箱のイラストを軽視するわけにはいきません。
それと、箱にゲーム大賞のシールが貼ってあったりすると、ちょっと材料になりますね。

 外箱のほうは(当然のことながら)各ゲームによってパッケージ絵が違うので
ゲームごとに特色のあるものになっていますが、内箱のほうは、
なんか使いまわしで同じ箱を用いているケースが多い気がします。
コマやカードを収納する場所が適当で、スペースが余ったりします。
ぴったり収納できたほうが心情的にはすっきりするのですが、
コスト削減の一環ということで、やむを得ないものなんでしょうか。
 箱の機能で少し気になるのが、多くの場合、箱を縦向けにして紙袋に入れたりすると、
中でコマやカードがぐちゃぐちゃになってしまうことです。持ち運びの便を考えると
改良の余地はないものかと思います。

 昔はドイツゲーの箱のでかさに、でかすぎと思ってたもんですが、最近はちょっと
慣れてきました。
「太い感じの箱」とはフィスト・オブ・ドラゴンストーンズあたりでしょうか。
このゲームは、コマを入れる袋がついていて、こういうのは
結構うれしいです。ディ・ハンドラーには麻袋がついていたりして、
雰囲気十分の趣です。箱というよりはコンポーネント系の話になりますが。

 それでは、今週はこれで。

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週刊ボードゲーム通信264号「ボードゲームの箱」その1 返信  引用 
名前:    日付:9月18日(日) 23時46分
しばらく小難しいテーマが続いていたので、こんどはもっと易しい話題にしようと思います。
題して、「ボードゲームの箱について」。

ボードゲームの箱は入れ物であり、ゲームをする分には関係のない存在です。収納機能さえ満たせば十分というものではありますが、はたしてそれだけでしょうか。

ドイツゲーは、箱の形ででも芸を出そうとしています。
箱の形や大きさによって、メーカーの特徴を出しているものが増えています。とくにエキスパンションセットの場合、同シリーズで箱の形が統一されています。
以前は箱の種類はあまりなく、一定もしくはコンポーネントの内容によってどれにするか決められていたようなものでした。このごろでは、正方形の箱や、高さが高い箱や、小さな箱などの規格外のものが目立ちます。
この変化は、ここ10年くらいではないでしょうか。カタンを出したメーカーの正方形の箱が、その走りではないかと思いますが、これに関してはあまり自信はありません。

さて、メーカーが箱の形にこだわるのはいいことだと思います。
ぱっと見た目で同じメーカーやシリーズ物であることが分かるので、店頭で目につきやすく、また保有して揃えたい意欲につながります。
商品のパッケージが重要なのは当たり前のことですが、ボードゲームは中身が分かりにくい商品であり、またわりと高価です。したがって、外見=箱という第一印象は、消費者に大きな影響を与えます。

箱を構成する要素には、「箱の形」と「箱に印刷された絵」の2つがあります。
商品説明の点では、箱の絵の方が、箱の形よりも重要でしょうが、まず最初に入ってくる情報は形だと思います。箱の絵はあまり覚えていなくても、形は覚えているものです。

ということで、箱の形が最近気になります。

ところで、人に新しいゲームを紹介するときには、箱はあったほうがよいと思います。上記で述べたとおり箱は第一印象であり、惹きつけるためのアイテムなのです。ゲーマーではない人を勧誘するときには、なおさら箱は必要だと思います。

それと、太い感じの箱が流行っていますが、これはどういうことなのでしょうね。
持ち運びのしやすさ、収納しやすさといった機能性のみならず、デザインとしてもかわいいと私は思います。

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週刊ボードゲーム通信263号「ラッツイア」(Ravensburger) 返信  引用 
名前:鱶(fuka)    日付:9月11日(日) 21時4分
 みなさんこんばんは。鱶(fuka)です。
ボードゲーム通信も6年になるんですね。コンゴトモ ヨロシク ですね。
今回は久しぶりにゲーム紹介をしようかなと思います。

 「ラッツイア」は”3〜8人向のエキサイティング・カードゲーム”(説明書より)
です。ゲームでは、違法なギャンブル・バーが6か所設置されています。
バーには掛け金が置かれているので、毎ラウンドその金を奪うことが目的です。
 各プレイヤーは毎ラウンド、手持ちカードを同時に裏向けにしてプレイし、
一斉にオープンします。カードの種類は、ギャンブラーカードと警官カードの2種類です。
ギャンブラーカードも警官カードも、行きつけのバーがカードに記されています。
カードがオープンされた後に、それぞれのバーについて判定を行います。

 バーの掛け金を得られるのは、
1.警官カードのないバーに、ギャンブラーカードを置いた場合。
2.ギャンブラーカードのあるバーに警官カードを置いた場合。
になります。
 バーに警官カードだけでは、掛け金は得られず、その掛け金はキャリーオーバーになります。
あるバーに複数のギャンブラーや警官がいた場合には、掛け金を分ける「談合」
が行われます。談合で決着しない場合は、ダイス目勝負の決闘が行われます。
 バーには毎ラウンド掛け金が積まれていきます。掛け金がなくなった時に、
最も多く金を獲得した人が勝利します。

 行動を決める時には結構悩みます。金額の大きいバーを狙うか、そこそこの所に行くか、
ギャンブラーを出すか、警官でしょっぴくか。ルールが分りやすいので、
初心者でもOKの盛り上がるゲームです。この前みんなでプレイした時には、
夜中に「決闘!決闘!」と談合の当事者以外が、えらく盛り上がってしまいました。
 考える要素があまりないのがいまいちといえばいまいちですが、それを求める感じの
ゲームでもないのかも。

「ラッツイア」/Stefan H.Dorra(作)
Ravensburger(発売), 1994
3-8人,カードゲーム

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週刊ボードゲーム通信262号「非公開情報」その6 返信  引用 
名前:    日付:9月4日(日) 21時32分
9月ですね。先月でボードゲーム通信ができて5周年でした。この週刊ボードゲーム通信が始まったのもできてすぐなので、もう6年目に突入です。読んでいただいている方々、ありがとうございます。

メモOKに関して。
あえてメモOKにするのは新鮮ですね。いろいろなゲームで試してみたい気になります。実際どうなのか想像して考えてみます。
メモOKのデメリットとしては、手間がかかることです。メモするために、「ちょっと待って」とゲームを止めてしまうと問題です。といっても、メモにかかる時間はそんなに生じなさそうで、長考しがちなプレーヤーに比べたら、さしたる問題にはならないように思います。
やはりメモの大きなデメリットは、自分にとってはめんどくさいことです。紙とペンという媒体が出現すると、ボードゲームの煩雑さはいっきに増します。思えば昔のアメリカ製ボードゲームには、紙とペンを使うものがよくありました。得点や資源数は、わざわざボードやユニットで表さなくても、紙に書けばこと足ります。むしろコンポーネントの点ではその方が合理的です。しかしプレイアビリティの点では、紙とペンは使わない方がいいです。とくに紙に行動予定等を書かなければならないプロット式のゲームの面倒さは、致命的と言っていいほどで、代わりにカードやチット等を使うことでなんとかしようと工夫されてきました。
ドイツゲーでは、紙とペンを使わないのはもう当然です。これはなにもドイツゲーの目新しさではなく、アメリカ製ゲームでも以前から試行錯誤されてきたことです。
こう考えると、メモOKのプレイは、デザイナーにとっては不本意なことでしょう。本当は、メモNGとルールに書きたいかもしれません。それをしないのは、どうしてなんでしょうね。

さて、今回のテーマを振り返ると、非公開情報と銘打ちつつも、準非公開情報を中心に述べてきました。準非公開情報について、どうなんだろうなあと以前から思っていたことを文章にして考えてみた形です。
準非公開情報についてはこの辺にしておいて、準非公開情報を除いた「非公開情報」についてもう少し考えられることはないのだろうかと思います。

今思いつくことですが、非公開情報には地味なものから激しいものまであります。
非公開情報は、@リソース、A勝利ポイント、Bプレーヤーのどれかであるということを「その2」で述べましたが、それぞれについてはどうでしょうか。

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週刊ボードゲーム通信262号「非公開情報」その6 (続き)
名前:    日付:9月4日(日) 21時33分

Bのプレーヤーが非公開情報になっているときは、一見もっとも激しそうですが、案外そうでもないと思います。
例えば「操り人形」や「アンダーカバー」では、誰がそのキャラを動かしているか分かったところで、できることはそのプレーヤーを妨害するか、もしくはそのプレーヤーは妨害する必要がないと判断するかです。これは地味です。また、自分の素性を隠しているからといって過激な行動がとれるわけでもなく、けっきょくそれだけでは地味です。

Aの勝利ポイントは、勝つための条件でありとても重要な要素です。しかし、これが非公開情報であってもやはり地味です。
他プレーヤーの勝利ポイントが高いことが分かったとして、これまたできることはそのプレーヤーの妨害です。勝つためには、勝利ポイントが高いプレーヤーが誰なのかを知ることは重要なのですが、これは地道な努力なのです。また、自分の高い勝利ポイントを隠蔽しつつ最後になって勝利に滑り込むことは有効な戦略ですが、これも地味です。目立っていなかったプレーヤーがいつの間にかあれよと勝ってしまうと、どうもゲーム的に盛り上がりません。むしろルールの隙をついたような興ざめ感が生じてしまったりして、これもひどい話なのですが。

@のリソースの非公開情報には、激しい場合があります。
隠し持った大規模破壊兵器を効果的に撃つことができたら爽快です。もう誰も持っていないだろうと思われている暗殺カードで守銭奴を仕留めることができたら最高です。こういうアクションはもちろん勝利に近づくためのものですが、自己実現的な側面がある行為であり、それだけで満足できうるものです。ゲームで勝てなかったとしても、楽しかったと思えます。非公開情報には、遊び心を満たしてくれる可能性が秘めているのかもしれません。

ところで、「非公開情報」についてのテーマは6回目まで来ましたが、思いつくことを述べるなかから問題はあまり浮かんできませんね。
「真のボードゲーム」について考えることに比べたらまだ楽なテーマ感はありますが、こういう広いことは論じるのが難しいです。なので狭めていく必要があり、それが「紙とペン」になったのはちょっと面白いです。これについてもっと狭めて考える余地は、まだあるかもしれません。

と、思い浮かんだことを書き表してきて、これといったネタは提示できていません。書きやすいネタありますか・・
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週刊ボードゲーム通信261号「非公開情報」その5 返信  引用 
名前:鱶(fuka)    日付:8月28日(日) 23時28分

 みなさんこんばんは。鱶(fuka)です。夏休みも最終盤を迎えていますが
いかがお過ごしでしょうか。社会人的には夏休みといっても暑いだけですけど。

「非公開情報のキモは、その情報を知る者と知らない者がいるということ」
これ、すっかり忘れてました。自分しか知らない情報を元に奇襲が
決まった時って、すごくうれしいんですよね。もうそれだけで満足…って最後は
負けてたりして。

 私は結構、準非公開情報をカウントしないほうです。と、言うか覚えられないので…。
そんな中で、「エルグランデのタワー内の騎士数を手持ちのパワーカードを
使って覚えやすくする方法」はなかなか使えた技でした。メモの使用は”私ルール”
では原則不可なのですが、ゲーム内のものを使用する限りはOKかなと。

 メモを使うと、慎重な展開に終始してしまいそうで、難ありなのですが
 この前遊んだ、アンダーカバーでは、メモOKにしたところ、結構盛り上がりました。
 アンダーカバーの場合は、いくらメモを取ったところで、(エルグランデのタワーの
騎士数などと違い、100%正確な情報にはなりません。
 「赤色コマを全くさわっていない」というような、どうとでも解釈できる
材料で議論できるのが結構楽しいです。

 今まであげるのを失念していましたが、「操り人形」も非公開情報が
結構重要ですよね。毎ラウンド選ぶキャラクターが非公開です。
相手プレイヤーのキャラクターを推測するのは、「1.かなりの確度で推測可能」〜
「2.推測の的中率は五分五分」あたりまで、状況により様々になりそうです。

 ゲームによりでしょうが、「1.かなりの確度で推測可能」な選択に、
相手プレイヤーを追い込んでいくようなプレイができればいいのですが。 

 そろそろ非公開情報のネタも終わりに近づきつつあるような気が。
 横さんのほうはどうですか。

 明日は会社の人が何人か、うちに来るので、ボーゲーで遊ぼうと思ってます。
ではでは、また来週。

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週刊ボードゲーム通信260号「非公開情報」その4 返信  引用 
名前:    日付:8月21日(日) 21時18分
「超人ロック」は以前はあったんですが、今はないです。あのゲームが高値になろうとは・・

さて、運の観点によると前回の非公開情報の分類になることでOKだと思います。
この分類を見て思い浮かんだことを今回は述べます。

「2.推測の的中率は五分五分(経験がものを言う部分)」と「3.推測をすること=あてずっぽう(ゲーム開始時の相手の持ち札など)」が、ゲームをおもしろくします。
非公開情報のキモは、その情報を知る者と知らない者がいるということだと思います。
ここが乱数と非公開情報の違いです。
自分は知っているが他プレーヤーは知らない状況をどううまく生かすかが、腕の見せ所です。
ダイスゲームの「ブラフ」などがそうですし、特にギャンブル(トランプ・マージャンなど)では非公開情報が重要な要素です。
これがあるからこそ、心理戦が展開されやすくなるのです。

それから、「1.かなりの確度で推測可能(ゲーム的に推測できる部分)」に準非公開情報を含ませることを希望します。
準非公開情報は、100%の確実性で知ることができるため非公開情報ではなく公開情報とした方が理屈には合いそうなのですが、実際のゲームではだいたいで把握されるのが普通で、記憶違いや計算違いで把握されることもよくあるからです。

この準非公開情報については前々回で触れたとおり、以前からちょっと気になっていました。
2、3年前にボードゲームにおける情報処理について論じられたときにも触れられましたが、準非公開情報の処理の仕方は悩ましいです。
つまり、準非公開情報をどの程度覚えておくかという問題です。

これは、マナーの問題だと思います。
それほど肩に力を入れずにプレイを楽しむ人同士なら、準非公開情報の把握にはそれほど頑張らず、感覚的にやっていくのがよいとされます。
「アクワイア」の株数や「ハイソサイエティ」の持ち金をカウントすることが、ゲームに勝つためには重要であったとしても、そういうプレイスタイルのところでは、本気でやるとちょっと興がそがれます。
だいたいで掴んでいる感覚でトライしてみて、うまくいったら盛り上がり、また感覚が間違っていて失敗したら、それはそれで盛り上がります。
準非公開情報を正確にカウントしたいのであれば、それをしていることは言わずにプレイするのがオトナなのでしょう。
他方、競技的なプレイがなされる場であれば、準非公開情報を把握することには結構努力したほうがよいです。
「アクワイア」で株数をあまり正確にカウントせずに投資をしているプレーヤーがいると、「もっと頑張ってくれよー」と思われてしまいます。

このように、準非公開情報の処理の仕方はプレイスタイルによると思います。
だから「アクワイア」のデザイナーはどちらのルールが好ましいかは表明しないことにしたのだろう、と今では思います。
ゲームをデザインするような人であれば、どちらでプレイするかというのはもともと明確に持っていて、それが当然だったため当初はルールには明記しなかったのではないでしょうか。
多くのゲームで、得た情報をメモってはいけないとルールに書かれていないのは、各々のプレイスタイルにまかせているからでは。

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週刊ボードゲーム通信259号「非公開情報」その3 返信  引用 
名前:鱶(fuka)    日付:8月14日(日) 23時26分
 みなさんこんばんは。鱶(fuka)です。
今日はお墓参りに行ってきましたが、みなさんいかがお過ごしでしょうか。

 先週あげられた「超人ロック」ですが、最近漫画を読んだので、
プレイしてみたくなってるんですが、横さん持ってませんか?
それはともかく、たいがいのボードゲームでは何かが非公開情報になっています。
 将棋のように全てが公開情報で戦うゲームでは、プレイヤーのレベル差が
かなりシビアに出てきます。あるいはルーレットのように運のみのゲームとなるかです。
(玉の入射角などをPCで分析することにより、計算できるということが
先日カジノで実践されたようですが…)

 非公開情報をとりあえず、、
1.かなりの確度で推測可能 <ゲーム的に推測できる部分。準非公開情報も含む?
2.推測の的中率は五分五分 <経験がものを言う部分
3.推測をすること=あてずっぽう <ゲーム開始時の相手の持ち札など

上記のように分類してみました。
1はゲームのしくみに関わる部分です。
2はかなり幅広く、相手プレイヤーの性格や挙動を見たりといった心理戦的部分や、
今までの相手プレイヤーの傾向と対策といった部分、ボードゲームの経験蓄積などの
要素により、五分五分の的中率を高めることができます。ただ、必ず運まかせな部分は
残ってしまうでしょう。
3は運の要素そのものです。

 ゲームを進めていく上で、推測をすることが必要な場面は必ずあります。
それが勝敗を左右する場合も当然あるわけで、ゲームの勝敗の行方は
非公開情報により揺らいでいくことになります。
 この揺らぎにより、プレイヤーのレベル差を多少詰める効果があるのだと
思います。

 ではでは。また来週。

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週刊ボードゲーム通信258号「非公開情報」その2 返信  引用 
名前:    日付:8月7日(日) 23時27分
過去ログによると、「心理戦」の話と「推理の要素」 の話のときにアンダーカバーが例に挙げられていました。
我々にとっては、アンダーカバー=「非公開情報」のようなものなのですが、以前とは異なった観点で考察していけたらよいなと思います。

3人以上で行うボードゲームにおいて、どのプレーヤーが有利かを把握することは、勝つために、また楽しむために、とても重要なことです。
この観点からの考察は、これまでに特になされてなかったと思います。

さて、誰が有利かはどうやって判断されるのでしょうか。
獲得点数が勝利条件となっているゲームであっても、勝利ポイントが高いプレーヤーほど優位であるとは必ずしも言えません。
以前に触れたことがありますが、勝利ポイントというのはリソースの変換作業の最終アウトプットです。
使用可能なリソース(お金、カード、ユニット、位置エネルギー、時間など)をどう効率よく変換するかを競うのがボードゲームです。
なので、優位なプレーヤーが誰なのかは、保有リソースを含めて総合的に判断されます。

「非公開情報」にはどのプレイヤーが優位にあるかを隠蔽する意味があるということが、最近の気づきでした。
たいていのボードゲームでは、以下に挙げた3つの要素のどれかが「非公開情報」とされます。
@リソース、A勝利ポイント、Bプレーヤー

@リソースが「非公開情報」とされるのは、一般的です。
A勝利ポイントが「非公開情報」とされるゲームは、ときどきあります。前回挙げられたラーがそうですし、勝利ポイントになる手持ちカードが存在するカタンもそうでしょう。
Bプレーヤーが「非公開情報」とされるゲームは、少ないです。おなじみのアンダーカバーや、BANG!、超人ロックなど役割系のゲームがあります。

「非公開情報」については、前回に鱶さんがいくつか問題を挙げてくれていて、そこから考える余地がありそうです。
今回は、「準非公開情報」と表現されたものについて思い浮かぶことを挙げます。

プレーヤーはどれだけ情報を覚えておくべきなのか、という問題が以前からあります。
イシス&オシリスのような神経衰弱系のゲームは、情報を覚えること自体を競うので問題にはならないのですが、そのような種類のゲームではなく、その気になれば覚えておくことができる情報がある場合はどうなのでしょうか。

ラーにおける勝利ポイント(A)は「準非公開情報」です。
実はこのゲームでは、勝利ポイントを正確に覚えようとする努力をあまりしません。
最終ラウンドで獲得される得点の比重が大きいため、中間時点での得点を正確に知る必要はそれほどないためです。
それよりも、他プレーヤーが保有するリソースをよく見て、その人が置かれている状況を分析・判断することが大事です。

ハイソサイエティでは、お金というリソース(@)が「準非公開情報」となっています。
競りをして勝利ポイントを獲得するゲームなのですが、ゲーム終了時に保有するお金(リソース)がもっとも少ないプレーヤーは無条件で負けになるという特殊なルールがあります。
したがって、プレーヤーの持ち金を把握することはとても重要です。
しかし、お金の額が大きいため、正確に把握することが難しくなっています。
ここがこのゲームのミソです。

アクワイアでは、株券というリソース(@)の保有数は重要な情報です。
これを「公開情報」とするか「非公開情報」とするか、どちらのルールを採用してもかまいません。
デザイナーは、どちらが好ましいということはないと言っているそうです。

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週刊ボードゲーム通信257号「非公開情報」その1 返信  引用 
名前:鱶(fuka)    日付:7月31日(日) 16時21分
 みなさんこんにちは。鱶(fuka)です。
鈴鹿の8耐も終盤に向かっている今日このごろ、いかがお過ごしでしょうか。
今回のテーマは「非公開情報」ということです。この関連は、以前に一度
やったことがあるような気もするのですが、この暑さで、過去ログを見る気力が
全くありませんので、そのまま続けていきましょう。

 私たちがボードゲームをする時に、公開情報を元に戦い、非公開情報を推測していく、
というスタンスがあります。
 最後の勝利ポイントが公開されているゲームは、1位プレイヤーがたびたび集中砲火を
浴びます。私が前にアンダーカバーをした時には、ゲーム終盤でもういいやと思って
コマを露骨に動かしていたら、ひどい目にあってしまいました…。
 というわけで、アンカバはゲームデザイン上、勝利ポイントを公開することによって、
ゲームをコントロールしています。
  ラーの勝利ポイントは半公開です。各ラウンドに何ポイントとったかは
一応公開されているので、それが完璧に覚えられれば、公開ですけど、
一般的には非公開、あるいは、準非公開という扱いで良いと思います。

 ここで、ちょっと整理すると、
・アンダーカバー
武器:自コマ … 非公開
勝利ポイント … 公開

・ラー
武器:チップ … 公開
勝利ポイント … 非公開

となります。

 ラーの場合、公開情報により、局所的有利は分るが、ゲーム全体として
誰がライバルかを見極める必要がある。ただ、現在所持しているタイルにより
ある程度の推測が可能。
 勝利ポイントを非公開情報としている方が、より「推測」のスキルが必要となり、
上級者向け? …、と、ちょっと思ったのですが…。
「推測」は、経験もありますが、ある種「運」というギャンブル要素も含まれています。
全てが公開された将棋には、非常にシビアな判断力が必要です。
非公開情報は、プレイヤー間の力量を詰める効果もある?という気がしてきました。

 非公開情報は、「運」と「戦略」の間に位置する要素のポイントと言えませんか。
 ではでは、また来週。

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週刊ボードゲーム通信256号「「真」のボードゲーム」その3 返信  引用 
名前:    日付:7月24日(日) 16時4分
前にも言いましたが、「「真」のボードゲーム」は究極のテーマです。
この道のりが遠いことは承知しつつも、話の流れで考えてきました。
当初は戦略について考察していて、それが「真」のボードゲームなるテーマに流れていったのは、できのわるいボードゲームは欠陥品であるから考察対象とするべきはないと考えてです。
じゃあ「真」のボードゲームとは?となると、これを真正面から攻めていくのは、やはり一筋縄ではいかないです。
「真」ではないボードゲームとは?と、裏から考える手もまだありそうなのですが、ちょっと暗い話になりそうですね。
前々回では、もうちょいがんばっていきましょうと言ってたのですが、このへんで「「真」のボードゲーム」についての考察は区切りをつけたいと思います。いいっすよね。

振り返ると、新たな問題がいくつも浮かんできました。
ざっと挙げると以下のようなものです。

・プレーヤーは、合理性と非合理性とランダム性で行動しているのではないか
・最良の選択肢は存在するか
・面白くて戦略的なゲームを作るにはどうしたらいいか
・投了状態をどうとらえるか(綱引き理論)
・戦略ゲームに不可欠なものは混沌ではないか
・交渉とはいったい何なのか
・ドイツゲーにおけるデザイナーの作為
・不利なプレーヤーの救済策はどうなのか
・数多くのゲームをプレイしたがるゲーマーでいいのか
・消費物としてのドイツゲー
・作業的なドイツゲーなのにおもしろいのはなぜか
・ルール外のスキル(マナー、倫理)
・古典的なボードゲームの面白くなさ
・ゲームバランスのとり方
・非公開情報

これらの中で、前回から継続して、「非公開情報」を次のテーマとするのはいかがでしょうか。
比較的考えやすそうなテーマです。

非公開情報というと、手持ちカードが代表的なものでしょう。他に思い浮かぶのは、アンダーカバーです。
前回に挙がった手持ちのお金もそうですが、自分としては非公開情報というイメージはとくになくて、言われてみればと感じました。
非公開情報を、誰が有利なのか分からないようにする手段という切り口で検討するのはどうでしょうか。

もしくは、他のテーマで。
どんなテーマでもこなせそうな気にはなりますよね。

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週刊ボードゲーム通信255号「「真」のボードゲーム」その2 返信  引用 
名前:鱶(fuka)    日付:7月17日(日) 22時4分
 みなさんこんばんは。鱶(fuka)です。
 なんだか毎日暑すぎて、こんな状況で良い意見が考えられるのかどうかと思ったりして。
 
 とりあえず前回の最後に引き続いて。
 ドイツゲーは確かに要素が多いですね。金持ち有利というのは、金持ちのほうが
選択できる行動の幅が広がるからでしょう。
 
 前の時に下位プレイヤーと書いたものは、ゲーム中の金持ちというよりは、
その時点での勝利ポイントです。
 というわけで、「ラー」や「フンタ」では勝利ポイントは、非公開情報です。
「エルグランデ」とかは公開情報です。逆に、ラーではゲーム中の「お金持ち度」の
ラーチップ(?)は公開ですが、エルグランデのパワーカードは非公開です。
(使ったカードを完全に覚えられれば公開ですが、半公開とでもいいましょうか)

 ゲームバランスのとり方は、ゲームの風味に影響する気がします。
勝利ポイントを公開することによって、1位プレイヤーの独走を防ぐ方法は、
バランスがとりやすいでしょうが、敵プレイヤーへの攻撃方法によっては、
ゲームが殺伐としてきます。
 勝利ポイントを公開せずに、最後にいい勝負になるというのは、
かなりバランス調整が難しい気がしますが、よりカタルシスな感じです。

 さてさて、「真」のボードゲームへの道のりは遠そうですね…。
 ではまた来週。

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週刊ボードゲーム通信254号「「真」のボードゲーム」その1 返信  引用 
名前:    日付:7月11日(月) 1時36分
真のボードゲームは何かを普通に考えると、古典的なボードゲームがそれにあたるでしょう。
ただ本当にそうなのかという直感的な疑問があります。
我々ゲーマーが古典的なボードゲームをあまりしないからです。
この問題に触れてみようと思います。

古典的なボードゲームには、囲碁・将棋・チェス・バックギャモン・マージャン・オセロ・トランプなどがあり、すでに一般向きのものとなっています。
これらのゲームには、「『真』のボードゲームでは、プレイヤーの行動の選択の余地が、大きく存在する」という以前に挙がった仮説が当てはまります。
それと同時に、戦略性が高い傾向があります。
また、前々回に述べられた「ルール外のスキル」はあまり要求されませんし、前回に述べられた「救済策」もありません。
こう考えると、古典的なボードゲームが長く親しまれてきたのには納得がいきます。
なのにゲーマーは古典的なボードゲームをしないのです。
なぜか?

理由は簡単でしょう。
おもしろくないからです。
では、なぜおもしろくないか?
戦略性が高すぎる。運の要素が強すぎる。抽象的。新鮮味がない。2人でしかできない。
以上のようなところでしょうか。
こういうことは、過去にこの連載でテーマとされてきましたね。

「真」のボードゲームと、'真'に括弧がつけられて議論がなされてきているのは、「一般的な意味ではなくて、我々にとっての」という意味合いでだと私は思います。
'真のボードゲーム'となると、やはりそれは古典的なボードゲームだと思います。
しかし、'「真」のボードゲーム'は、ゲーマーにとってのボードゲームということです。
こうなると、ボードゲームにも括弧をつけるべきなのかもしません。

'真のボードゲーム'と'「真」のボードゲーム'とでは、関心事としては後者となるでしょう。
なので、テーマを'「真」のボードゲーム'としました。よろしいですよね。
まだ引っぱるかという感じですが、がんばっていきましょう。


ところで、「救済策」について。
考えてみると、下位プレイヤーの救済は、ドイツゲーでは案外少ないように思います。
むしろ、金持ちのプレーヤーほど、将来に金持ちになりやすいという資本主義の原理が働いているのではないでしょうか。
また、ドイツゲーでは、要素を多くすることで誰が金持ちなのか分かりにくくなっていると思います。
同時に、下位プレイヤーが誰なのかがいくぶん分かりにくいのではないでしょうか。

これについては、まだあまり考えがまとまっていませんが、1つのテーマにできるかも。

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週刊ボードゲーム通信253号「真のボードゲーム」その8 返信  引用 
名前:鱶(fuka)    日付:7月3日(日) 22時49分
 まいど、鱶(fuka)です。
 
 前回の最後、
「プレイヤーの行動の選択の余地が大きくなると、先に挙げたようなルール外のスキルが要求される」を受けて。
 この「真」のボードゲームは、万人にとって「真」なので、
ルール外の要素があまりに出てしまうようなゲームは、
「真」にはふさわしくないでしょうね。
 そういった、ゲームへの精通度を除いたとしても、各人が自分の意思で選んだ、
戦略的行動をとることが可能なゲームというのが「真」なのでしょう。

 いくつかのドイツゲームの問題は、この戦略的行動の意味です。
このシリーズの最初のほうで書いたように、下位プレイヤーが救済されるのであれば、
考えた上での戦略的行動をとることが、無意味になってしまうからです。
いわゆる、クイズ番組での「最後の問題を正解した人は、200ポイント」の
ようなものです。

 というわけで、「真」のボードゲームには、「救済策」は必要ありません。
ゲームを盛り上げる上で考慮すべきは、ゲームバランスの方でしょう。

 ところで、「真」のボードゲームって何人プレイなんでしょうね。
やっぱり3〜5という、おなじみの人数ですかね。

 ほとんど進んでませんが、また来週。ではでは。

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週刊ボードゲーム通信252号「真のボードゲーム」その7 返信  引用 
名前:    日付:6月27日(月) 1時50分
ドイツゲームの定番といえば、カタンです。
カタンはプレーヤー間で交渉して資源を交換するゲームです。
この交渉が難しい。選択の幅がとても広いです。
ここがカタンの楽しさでしょう。

自分がカタンをあまりしたいと思わないのは、なによりも交渉が面倒だからです。
交渉が基幹となるゲームには、どうも全力が出せない感があります。
交換を成立させるほど有利になると分かっていても、考え出したらきりがないし疲れるしという感じで、ほどほどしかできません。

交渉には考えなければならないファクターがたくさんあります。
よって交渉のあるゲームは、基本的に自由度の高いゲームでしょう。
むしろ、自由度の高さ=交渉となるのかもしれません。

ところで自分に関して言うと、少年期には自由度の高いゲームを好んでよくプレイしていたのに、青年期以降は敬遠しています。
これはどういうことなのか。
もともと自由度の高いゲームは好きだったわけではなかったが、当時は他の選択肢が少なかったためなのか。
それとも、歳をとって嗜好が変わったのか。

カタンと同様に、フンタも今更したいとは思わない系統のゲームです。
馴染みがあって、かつボードゲームスキルが高い人とならやってもいいかなと思うレベルです。
そこから考えると、自由度の高いゲームの難しさは、選択の幅が広さがいちばんの原因ではないのかもしれません。
自由度の高いゲームには、ルール外のスキルが強く要求され、これこそが難しいと思います。
ルール外のスキルとは、言うなればマナーとか倫理です。
それは、ほどほどのレベルをどこに置くかということです。
例えば、他プレーヤーをどこまでいじめてよいか、プレイ経験の少ないプレーヤーをどこまで騙してよいか、ルール的に不備なところをどこまで利用してよいか、非合理的な行動をどれほどしてよいか、他プレーヤーを時間的にどれほど待たせてよいか、勝ってるときにどこまで図に乗ってよいか、負けているときにどこまで不機嫌になってよいか、等。
こういったほどほどレベルは各人によって異なり、ゲームによっても異なります。
絶対的な基準があるわけではなく、そのつど把握せねばなりません。
これはとても難しいことです。

前回で述べられたとおり、『真』のボードゲームの主要な要素として、プレイヤーの行動の選択の余地が大きいということが存在すると思います。
それがあってこそ、戦略的な行動が取れるからです。
しかしながら、プレイヤーの行動の選択の余地が大きくなると、先に挙げたようなルール外のスキルが要求されるようになります。
ここがボードゲームのつらいところなんです・・・

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週刊ボードゲーム通信251号「真のボードゲーム」その6 返信  引用 
名前:鱶(fuka)    日付:6月19日(日) 21時48分
私は結構コンピュータゲームが好きです、というか好きでした。
 ファミコン、スーパーファミコンあたりは王道ですが、MSX、
MSX2+、セガサターン、PC98、と微妙な道を歩んできました。
今はゲームボーイアドバンス(GBA)を多少遊ぶくらいです。

 確かに、考えてみるとコンピュータゲームは作業的です。
 シューティングゲーム、アクションゲームは、その作業を
指先の技術で、いかにうまくこなせるかというゲームです。
 RPGは、ストーリーやゲームシステムが肝心ではあるものの、
やってることは作業そのものの場合があります。
 SLGも、戦略を考えているうちはいいのですが、コンピュータの画一的な反応
が分ってくると、作業度がアップします。 
 
 さて、私が昔、PC98で死ぬほど遊んでたのは、ダービースタリオンです。
 馬を育てるゲームなんですが、やってることは作業そのもので、
馬の強さもレース結果も乱数処理そのものなんですが、
金七氏と、どっちが強い馬を作れるかで競っていました。
 極言してしまうと、「各自、延々自宅でダイスを振り続けて、
得られた結果を月に一回持ち寄って、レース開催=一緒にダイスを振る」
とまで言ってしまっていいんでしょうか。
 それはそれで楽しいものだったのは、やっぱり人対人の対戦効果ですね。。

 消費的でなく、創造的という観点で言うと、プレイしたことはないのですが、
「バルバロッサ」なんかは、かなり創造的な趣がするのですが、プレイヤー自身が
それなりに創造的でないと、何となく楽しみにくい気もします。
 
 「フンタ」はゲームシステム上の「救い」がほとんどないような。
「神の手」の存在しない「人の世界」ですね。
いくつかのおせっかいなドイツゲーを温室とすると、フンタは
極地ともいえるかも。

 作業的ということは、あらかじめ作業内容が決められている、
ということなので、そうでない「『真』のボードゲームでは、
プレイヤーの行動の選択の余地が、大きく存在する」と仮定してみたりして。
 バルバロッサの場合、プレイヤーが創造的でないと、行動の余地が狭くなる。
自由であることが、逆に不自由というケースもある気がして、
ちょっと考えるヒントが生まれそうな予感ですが、どうでしょう?

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Re: 週刊ボードゲーム通信251号「真のボードゲーム」その6
名前:金七    日付:6月21日(火) 19時30分
>各自、延々自宅でダイスを振り続けて、
>得られた結果を月に一回持ち寄って、レース開催=一緒にダイスを振る
その通りなんだけど、身も蓋もない表現(笑)。
付け加えるなら、実際の競馬も結構好きだったから、より楽しめたんじゃないかな?
題材に興味があると、自分自身で楽しさを補完できるから。

システム論に関連して、詩に関する文を思い出したので、蛇足ながら書いてみる。
要するに詩型的に縛りが多い=不自由ということではない、というありきたりな事なんですが。
自分が読んだのは漢詩についてだけど、短歌と俳句の関係を思い浮かべてもらってもいいかと。
自由な詩型について、
「豊かな表現力とそれへの自制が均衡を保っていることが重要」
という意味のことが書いてあります。
>自由であることが、逆に不自由というケース
に近いんじゃないかな?
ちなみに詩とゲームの関連性はまったく考慮してません(笑)。
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週刊ボードゲーム通信250号「真のボードゲーム」その5 返信  引用 
名前:    日付:6月13日(月) 1時10分
「真」のボードゲームを見出すというのは、この連載の最終的な目標に近いでしょう。
そこにはまだ遠そうです。現時点である程度の指針がイメージできればよいのですが。

さて、ここでのこのごろの議論では、ドイツゲーの魅力の薄さが感じられます。
面白くないゲームが面白くないのはともかく、面白いと思っていたゲームもその実はデザイナーが企図したことを繰り返しているに過ぎないのかもしれないのです。

ところで、ゲーマーが非ゲーマーに「なぜボードゲームをするか」と問われたときの回答は難しいです。
こういうふうに問う人はたいてい、よりポピュラーなコンピュータゲームとの比較をしています。
ゲーマーの回答としては、「人同士でできて楽しいから」というところだと思います。
せっかく非ゲーマーがボードゲームについて質問してくれているわりには、あまり詳しい説明はできていないのではないでしょうか。
自分自身、長くこの趣味にかかわってきているのに、うまく答えられてきませんでした。
非ゲーマーにいい説明ができることは大事なのではないか、と今更感じています。

それでもう少し考えてみたのですが、コンピュータゲームと比較してのボードゲームの魅力は、創造的なところだと自分は感じていたように思います。
コンピュータゲームは好まないのですが、その大きな理由は作業的だからです。
結局は決まったことをしているにすぎないので、面白くないです。
こう思っていたのですが、作業的という点では、ドイツゲーも五十歩百歩かもしれないのです。
消費的なものは面白くないとか、消費よりも創造の方が意義あるとかいうことはないのですが、創造的と思っていたドイツゲーが逆に消費的なものであったならちょっとがっかりな感じです。

「フンタはてきとうなゲームであるが、たしかに魅力がある。それはあたかもドイツゲーに対するアンチテーゼのようだ。」ということを述べたのは、この連載の第67回でした。
もともとは、ドイツゲーが既存のボードゲームに対するアンチテーゼであったのでしょうが、いったいどちらが「真」のボードゲームに近いのか。
ちょっと分からなくなってきましたが、ゲームによるプレーヤーのコントロールが巧みになるほど「真」のボードゲームに近づくわけでもないようです。

うーむ、あまり進展しませんねえ。

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週刊ボードゲーム通信249号「真のボードゲーム」その4 返信  引用 
名前:鱶(fuka)    日付:6月5日(日) 23時31分
 みなさんこんばんは、鱶(fuka)です。最近どうも回線がつながらないことが多いです。
高速CATV回線なのに…。
 さてさて。
 「真」のボードゲームを見出すなど、かなりドンキホーテ状態ですが、まあいいや。
とりあえず、進めていきましょう。

「ドイツゲーは消費物だと考えるのが適切なのかもしれません。」
 そうですよね。
ドイツのゲームメーカーやゲーム屋さんはなぜペイしているのか。ずっと疑問でした。
普通に考えると、ボードゲーム屋さんなんて、一日にいくつも売れるものでは
ない気がします。それに、1個5,000円で売れたとして、一個あたりの利益が
かなりないと、生計が立たない気がします。
 そして、ゲームで生計を立てるには、
1.カタンのようなベストセラーで、ずっと売れ続ける
2.たくさん作って、たくさん売る
 の二つのパターンになるかと思います。

 このあたりは、勝手な想像をさせていただくと、日本のプレイステーション状態
という事がいえるでしょう。(スーパーファミコンでも可)
 粗製濫造とまでは行かず、一応のラインはクリアしているものの、
プレイして心に残る名作となると、よっぽど限られます。
 コンピュータゲームは、多くの場合、一度クリアあまりプレイしないですが、
そういう感覚にちょっと似てるかな?
 そして、アメリカ発のゲームのほうが、妙な怪作があったりするのも同様だったりして。
  
 ドイツのボードゲームは、商業ベースにのっていて、単純にすごいと思っていましたが、
それにより犠牲になる部分というのもあったりするんですかね。
 
 この記事の方向は、「真のボードゲーム」に近づいているんでしょうか。
 ではまた来週。

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週刊ボードゲーム通信248号「真のボードゲーム」その3 返信  引用 
名前:    日付:5月30日(月) 0時7分
勇ましく、ボードゲームをプレイする人ごとに別々の「真」が存在する、という逃げ道を作らないでいきましょう。

そんなによく読んでるわけではありませんが、英語のサイト"The Games Journal"の論文を見ていると、「ドイツゲーとはなにか」という大きなイシューが存在していると感じられます。
そしてこの問題の解明はまだあまり進んでいないようです。とても大きな問題ですから。

「私はドイツゲーは神(ゲームデザイナー)の作為が入り込みすぎているのではないかという気がします。」という前回のことばは、この問題にアプローチするための鍵になりえます。
そう、よくぞ言ってくれました、という感じなのですが、これに関してはとりあえず保留して、今回はドイツゲーに関して1つ感じることを述べます。

まず、大部分のドイツゲーはたいしておもしろくない、というのが現在の感想です。
ひどいものは少ないですが、購入に値するほどおもしろいものもまた少ないです。
こういうふうに斜に構えたことを言うのがマニアの癖であり、ドイツゲーのできはもっとましなのかもしれませんが、この感覚を前提にします。

さて、数多くのゲームをプレイしたがるという性向がゲーマーにはあります。
ゲーマーは、1つのゲームを何回もするよりも、したことのないゲームをします。そして、1回プレイすればわりと満足します。
もちろん面白いゲームなら何度もします。プエルトリコやカタンはそういうゲームでしょう。しかしこういうゲームは少数です。

以前にちらっと言ったことがあるかもしれませんが、よく考えてみると不思議なことです。
ゲーマーはなぜたくさんのゲームをこなしたがるのか。
いくつかのゲームをじっくりと何度もすればよいではないか。

これについて考えられるところとしては、次の2つくらいでしょうか。
(1)面白いゲームとめぐりあうためには、常に数をこなしておかないといけないから
(2)数をこなすこと自体が目的であるから

(1)が普通に考えられる仮説だと思いますが、(2)が有力だと思います。
そんなに面白くないと分かっているゲームであっても、とりあえずやっておこうというチャレンジ精神をゲーマーは持っているからです。
この精神は一般人にはないものです。一般人にとっては、ルールを覚えることがとても厄介で極力避けたいことです。
ゲーマーにとってもルールを覚えることは面倒であることには変わりないでしょう。なかにはルール好きのゲーマーもいますが、やはり少数派です。
多くのゲーマーにとって、ルールを一から覚えてまで未知のゲームをするのは、新しいゲームを知りたいからです。
面白いゲームとめぐりあうことを目的とするなら、もっと効率のいい方法があるはずです。

ゲーマーがゲームを数多くこなしたがるのは、映画を見たり本を読んだりするのと同じ感覚ではないでしょうか。
映画や本は基本的に1回見て満足するものです。
ボードゲームをプレイすることも映画を見ることも体験であり、それが娯楽の楽しさです。

ドイツゲーの場合、1回目のプレイは、体験としてたいてい価値あるものです。
これがドイツゲーの質の高さだと思います。
しかし、2回目以降となると、その価値が急激に低下してゆきます。

これはどういうことか。
ドイツゲーは消費物だと考えるのが適切なのかもしれません。
もしかすると確信犯なのかもしれません。
ボードゲームをたくさん買ってもらうためには、どんどん消費してもらわないといけません。

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週刊ボードゲーム通信247号「真のボードゲーム」その2 返信  引用 
名前:鱶(fuka)    日付:5月22日(日) 16時46分
みなさんこんにちは。鱶(fuka)です。

「真のボードゲーム」とは…?
 これを語るにおいて、やっぱり、おなじみの
−−− ボードゲームをプレイする人ごとに別々の「真」が
存在する−−−、というような逃げ道を作るべきなのかどうか、
迷っています。
 面白いボードゲームが、それぞれ人ごとに違っているのは当然だと
思うのですが、「真」と銘打つ以上は、唯一の真実を探る必要があるのかとも
考えたりしてしまいます。

 さて、ドイツゲームは、かなり理不尽ではない展開が多いです。
昔々にプレイしたアメリカ(?)ゲームのような、「終わってる状態で
延々プレイさせられる」ことも少ないし、「べったプレイヤーに対する、
ある程度の救済策」も用意されています。
 その辺の観点からすると、、私はドイツゲーは神(ゲームデザイナー)
の作為が入り込みすぎているのではないかという気がします。

 個々で、また議論を横道に導くとしますと、ゲームの要素として、
「プレイヤーに任されている度合い」があるような気がします
 例えば、TRPGの場合は90%以上、プレイヤー次第な面があります。
 それに比べるのは極端としても、ドイツゲーでは細かな部分まで
デザイナーのコントロールがあるのではないでしょうか。
 ドイツゲーでは投了状態が、できるだけ長く続かないようなコントロールが
されています。

 ドイツゲーでは、毎回ナイスファイトになるように演出しています。
逆説的なのですが、それ故にドイツゲーは「真のボードゲーム」から
わずかに外れている気もするのです。
 毎回毎回、必ずナイスファイトがあるとすれば、その感動はその数の分
だけ、薄れていくのではないでしょうか。野球もそうですが、
接線だけでなく、凡戦も多くあります。そんな中でのナイスゲームだからこそ
より輝きを増すのではないでしょうか。

 ではでは。来週に続きます。

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週刊ボードゲーム通信246号「真のボードゲーム」その1 返信  引用 
名前:    日付:5月16日(月) 2時22分
戦略性についてであるが、すべてのボードゲームを考察の対象とするので話がややこしくなるのではないか。
前回挙がったような、プレイヤーのひどい行動の影響が出やすいゲーム(ひどい行動が行えてしまうゲーム)や、戦略的に行動が決定できないゲーム(例えば、プレーヤーAとプレーヤーBのどちらを攻撃しても同じ)は、除外した方がいいと思う。
これらは、カードゲームやパーティゲーム等、短時間で終了するゲームにおいてのみ許されるだろう。
しかし我々がするボードゲームでは、そういう要素のあるゲームはできがわるいと、もう言ってしまってよい。

理論を構築するためには、こういったものは失敗作として対象から外さなければならない。
生物を研究対象とするのであれば、こういうことを考える必要はないだろう。
なぜならば、生物は生きていて、システムとして成立しているからである。
我々(ゲーマー)は、生物と同様にどんなボードゲームも見た目から1つのシステムであることを自明視してしまいがちだ。
しかし、失敗作のボードゲームは生きていないのである。
生きていたものが死んだのはない。
もうはじめからシステムではなかった、つまりボードゲームではない存在なのである。
したがってボードゲームとして語ることができない。

ルールが成立していないゲームであれば、ボードゲームではないということは以前から明らかであった。
この連載を通して、戦略的に行動が決定できないゲームもボードゲームではないということが分かってきた。

そして、である。
ドイツゲーが目指してきたのは、こういう意味での、いわば真のボードゲームではないか。

ということで、表題をつけてみた。

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週刊ボードゲーム通信245号「戦略性と運の相関関係」その4 返信  引用 
名前:鱶(fuka)    日付:5月8日(日) 21時47分

 みなさんこんばんは。鱶(fuka)です。
 
 「他プレイヤー」は、かなりやばい問題ですねえ。
プレイしていて、自分が負けたのは、他プレイヤーの「ひどい」
行動の結果と思われるケースを経験したことがある人は少なくないと思われます。
 ただ、建前(?)、あるいは前提として、「各々のプレイヤーは現実世界の個人的
感情をゲーム上の行動に反映しないこと」という暗黙のルールがあるはずなので、
「ひどい」行動はプレイ技術の未熟さなどに起因するものになります。

 以前に、「戦略的に行動が決定できないゲームは困る」というような趣旨のことを
書いた気がするのですが、そういったゲームでは、他プレイヤーのプレイ技術の未熟さ
ではなく、ある種ランダムに敗因が生まれていくようなところが、困ったポイントではないかと
思われます。

 前回あげられた「他プレイヤーの結束」には、「1位の独走を止めるために
それ以外のプレイヤーが」、というパターンがよくあります。
 これについては、独走しすぎ、目立ちすぎ、といった戦略上のミスによるもの
ですので、各プレイヤーの戦略のせめぎあいという位置づけでOKでしょう。

 交渉は技術力であるとして、交渉の自由度が高いものほど、その巧拙が
勝敗に与える影響が大きく、シビアすぎる戦略性を持つといえます。
 ただ、そこまで交渉だけのゲームというのも、それほどプレイする機会がないので、
多くのゲームの交渉は、ボード上の有利不利を少し覆せる、特殊な戦術ということで
どうでしょう?

 この辺で「カタン」を例に検証すると良かったりするのでしょうか。
 ではでは、また来週。


 

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週刊ボードゲーム通信244号「戦略性と運の相関関係」その3 返信  引用 
名前:    日付:5月1日(日) 22時23分
これまで戦略を、「長い目で見て、目標を達成するために行動すること」と捉えて議論してきました。
字面上の意味はそれで合っているのでしょうが、やはりどうも捉えにくい概念です。

視点を変えて、運との対比で考えると分かりやすくなります。
そうすると、戦略性は「プレーヤーの技術(や経験)が反映される度合い」とするのがよさそうです。つまり、戦略性の高いゲームになるほど、技術のあるプレーヤーが勝つ確率が高くなるということです。つまり、戦略的なゲームとは、技術のあるプレーヤーの勝率が高いゲームです。

この考えで行くと、前回の分布図のようになるのは当然のことです。
なぜならば、技術のあるプレーヤーの勝利を阻害するものは、運だからです。「戦略性の高いゲーム=運が介入する余地が少ない=技術のあるプレーヤーが勝つ」という図式です。これは、普通のイメージでしょう。
長きに渡って続けてきた戦略についてのテーマですが、結局落ちつくのは、この図式なのでしょうか。
検討の余地はもう少しありそうに思います。

さて、問題は、上記の図式が妥当か否かということです。
まず、技術があるプレーヤーの勝利を阻害するものは運だけでしょうか?
他に考えられるのがあります。それは他プレーヤーです。
例えば、3人以上のプレイの場合、どんなに技術のあるプレーヤーであっても、他プレーヤー達に結束されてしまえば、なかなか勝てません。また、たとえ1人のプレーヤーであっても、終始彼に目の敵にされると、勝つ可能性は大きく減ってしまいます。

この例は交渉の要素と関わります。
交渉は、確かにプレイの技術の1つです。技術の高いプレーヤーであれば、交渉の技術に長けており、敵を作ることを巧みに回避すると考えられます。しかし実際には、技術の高いプレーヤーは、うまく立ちまわることもあれば、マークされることもよくあります。
前回では、よくわからないゲームとして交渉系のゲームが挙げられているのもやや頷けます。交渉は技術であるにもかかわらず、その交渉力が勝利に結びつくかどうかは定かではありません。ゲームのよるのでしょうか。

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週刊ボードゲーム通信243号「戦略性と運の相関関係」その2 返信  引用 
名前:鱶(fuka)    日付:4月24日(日) 21時54分

 みなさん、まいどこんばんはです。
 前回横さんがふってくださったので、それに引き続きます。
 まずは下図をごらんください。
 
          運↑0%      将棋
           |      ☆☆
           |     ☆☆
           |   ☆☆☆
           |  ☆☆☆
           | ☆☆☆
           | エルグランデ
 戦略        |SLG     戦略
 ←−−−−−−−−−+−−−−−−−−−→
 0%      ラー|        100%
       ☆☆☆ |
      ☆☆☆  |
     ☆☆    |
    ☆☆     |
   ☆☆      |
  ☆☆       |
 ☆☆        |
まわり       運↓100%
将棋      

    
 前回ではシミュレーションゲームは戦略も運も高いとされていましたが、
この図ではちょうど真ん中あたりに配してみました(SLG)。
やはり、サイコロをふって運試しを行うとはいえ、それだけで勝敗が決まるわけでもなく、
運の要素は薄められているからです。シミュレーションゲームは結局、総合的に見て
ゲームによりけりで、戦略30・運70あたりから、戦略99・運1あたりの範囲で
おさまっているような気がします。

 なんとなく、「普通の」ボードゲームは、ある程度運と戦略性が相関関係にあり、
上手の☆の範囲あたりでおさまっているのではないでしょうか。

 よくわからないのが、交渉系のゲーム。交渉を行うには当然戦略的であるのでしょうが、
あとの運の要素はゲームにもよります。やっぱりそれも運試しが最終的に勝敗に
どの程度まで影響を与えるかという事で見れば、☆の範囲内でしょうか。

 さて、問題は☆の範囲におさまらないと思われる、麻雀と指先系ゲームです。
(別に問題でもないですが)
 麻雀や指先系ゲームは「普通」ではないと片付けてしまうこともできそうですが、
それもなんですので、ちょっと考えてみました。

 雀プロが存在しているとのことですが、麻雀も生計を立てるレベルで行うとすれば、
1ゲーム単位ではなく、数10ゲーム単位を通して見ていく必要があります。
 麻雀は1ゲーム単位で見れば運60・戦略40とか運70戦略30あたりかと思われる
のですが、数多くゲームをこなすのであれば、運の要素が薄まって、運20・
戦略80あたりになったりするのではないでしょうか。
 同じゲームでもプレイ回数により、戦略度、運度が異なるので、戦略性、運ともに
高い気もしたのですが、考えてみると☆の範囲におさまるように思いました。
 雀プロの世界をよく知らないのですが、漫画みたいに1回とんだら終わりとかじゃないですよね?

 あと、指先系ゲームは、アクション技術を戦略と置きかえて考えれば良いのかも。
 
 ではでは、また来週。

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週刊ボードゲーム通信242号「戦略性と運の相関関係」その1 返信  引用 
名前:    日付:4月18日(月) 2時41分
前々回で言及した「Aのミス」は、後になって間違いであったと分かる手のことを指していて、後になって良い手であったと振りかえることができる場合はそれに含まれません。
ただし、ミスという言葉を使うと、「@のミス」のように自分に帰結するものを指すのが自然です。成功であるか失敗であるかが相手次第である行動は、ミスという表現は確かにちょっと違うでしょう。
でも言いたいことは変わらないので、このへんはたぶん言葉の使い方の問題ということにしておこうと思います。

さて、ここいらでテーマを「戦略性と運」についてに改めることにします。
この問題を論じることは、なお難しそうです。
前々回で、戦略性と運の関係について疑問を挙げたのは、戦略性について考えるためには運の要素が邪魔だと思ってのことでした。戦略性と運には相関関係が全然なく別次元のものであったならば、戦略性について考えることがもっと楽になるのではないかと。

前回で、戦略性も運も低いゲームとして、指先系ゲームが挙げられています。
ボードゲームでも、子供向きの簡単なものであれば、それに当てはまるものは多くあります。

戦略性も運も高いゲームの方も考えてみます。
マージャンがそれに当てはまります。配牌や引きで成り立つゲームであるのにかかわらず、プロの人々が存在しています。ギャンブルには、戦略性も運も高い傾向があるかもしれません。
ドイツゲーにも当てはまるものがそこそこありそうです。とくにカードゲームには、その傾向があります。
シュミレーションゲームも当てはまる傾向があります。例えばスコードリーダーは、背負うリスクをマネージメントするゲームであると思います。前回で「戦略を立てる際には、ある程度、自分が振るサイコロの結果に幅を持たせて考えていくはずです。でもそれは運の要素が薄まっているということで、やっぱり戦略との対極線上なのでしょうか?」と述べられており、これにはスコードリーダーが真先に思い浮びます。運の要素を薄めることについては、これまた難しいのですが掘り下げたい問題です。

戦略性と運の対極線上から外れるゲームが少数であれば、それらは例外とされうるのですが、上記のように少数というわけではないです。したがって前回の結論の通り、戦略性と運は完全な対極線上にはない、と言ってよいでしょう。

では、戦略性をX軸・運をY軸として、4つの象限に分類する手法はどうなのかということになります。
それによって、なにかしらかの傾向が見つかるのか。
傾向があったなら、それは戦略性と運に相関関係につながるのだろうか。やっぱり戦略性と運を完全に切り離して考えることは不適切なのか。

ということで、話は進んでいませんがこのへんで。

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週刊ボードゲーム通信241号「ボードゲームで勝つこと」その5 返信  引用 
名前:鱶(fuka)    日付:4月10日(日) 22時47分
 まいどこんばんは。鱶(fuka)です。

「Aのミス」はミスとはいえないものかもしれないですよね。
相手の応手次第では、悪くない手である可能性もあるわけで。

 さて、そういえば最初に、「戦略と運」と言ってました。
 その2大要素の関係や、いかに、ということについてです。
 
 戦略と運には「ある程度の」相関関係がありそうです。 
 運が100%のゲームは戦略性がなく、戦略性が100%のゲームは
運の要素がない。
 しかし、その間にあるボードゲームはどうでしょうか。
 完全に対極線上にある要素ではないと思われます。
 「モノポリー」はサイコロ運の要素を含むものの、十分に戦略的です。
 「戦略」とは運も含むものであるかのようです。

 戦略を立てる際には、ある程度、自分が振るサイコロの結果に幅を持たせて
考えていくはずです。
 でもそれは運の要素が薄まっているということで、やっぱり戦略との対極線上
なのでしょうか?
 運も戦略性も低いゲームがありそうですが、どうなんでしょ。
 例えば、ぐらぐらゲームのような指先系ゲームは、運の要素も高くなければ
戦略性もそれほど高くない気がします。
 よって、運と戦略は完全な対極線上にはない、ということで次週につなぎます。

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週刊ボードゲーム通信240号「ボードゲームで勝つこと」その4 返信  引用 
名前:    日付:4月4日(月) 1時53分
前回を受けてである。
相手プレイヤーのミスで勝てたというのは、勝てた嬉しさも半減どころか、むしろ興ざめかもしれない。
幸運に幸運が重なるぐらい運が良かったということは稀なので、その場合は嬉しいかもしれない。
そもそも、戦略的なゲームであるのに、「@−(3)間違った選択をしたのに運が味方してくれて勝てた」ということがあるのは、問題ではないか。
だが本当にそうなのか、もう少し検討が必要だと思う。

今回は、ミスについて考えてみる。
ミスには、@その時点で明らかに間違った手と、A後になって間違いであったと判明する手があろう。
この2つは大きく異なる。
@は、考えていなかったり、勘違いをしたために起こる。
Aは、考えて正しいと判断したものが正しくなかったということである。

ボードゲームでは、ミスの大半はAである。
初めてプレイするゲームであれば@のミスは多いが、慣れるとそれは減る。
また、1人くらいは親切なプレーヤーが加わっていて、「その手はありえん」という進言をしてくれるものである。

ボードゲームは、毎ターンの行動の積み重ねで進んでいく。
前回で述べられたとおり、そこには相手プレイヤーの行動がからむ。
そのため、先がとても見えにくい。
したがって、Aのミスが多発する。

戦略的なゲームの特徴は、混沌にあると思う。
「南米で蝶々が羽ばたくと、アメリカで・・・」という言葉のようなことで、先が予測できないのである。
何が正しい手かがよく分からないのは当然だ

冒頭での、相手プレイヤーのミスで勝てたということについてであるが、このように考えると、相手の@のミスで勝てても嬉しくないが、相手のAのミスで勝てたのであれば、やはり嬉しいだろう。

さて、この連載をふり返ってみる。
「面白くて戦略的なゲームを作るにはどうしたらいいんでしょうか」という問題が、以前に提起された。
戦略は、秩序と親和性がある印象だが、実は今述べた混沌さが、戦略ゲームに不可欠ではなかろうか。

それから他に、「ボードゲームの二大要素は戦略と運だ」という言及があった。
戦略と運は対極的な要素であるという議論は、特にこの連載ではなされていなかったと思う。
しかし、戦略ゲームと運ゲームは対極的なカテゴリーのものであるという考えはあっただろう(そして、戦略ゲームの方が運ゲームよりも偉いという思想が垣間見えた)。
はたして、戦略と運の関係性はいかようなものなのか。

同一直線上に位置させることができる、対極的な関係にあるものなのか?(上記のように)
それぞれ別のものとして、X軸・Y軸に位置させて捉えられるようなものなのか?(緑緑支局のページでの、要素ごとによる点数評価に通じようか)
ねじれの位置のように、接点がなく異なるものであるのか?(もしくは、線と面のように次元の異なるものなのか)

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週刊ボードゲーム通信239号「ボードゲームで勝つこと」その3 返信  引用 
名前:鱶(fuka)    日付:3月27日(日) 22時38分

 みなさんこんばんは。鱶(fuka)です。
 
 前回の勝負分類より引き続きます。
 
> 「@運がよくて勝てた」
>これは、以下の2通りに分けられる。
>@−(1)頭を使わずに運だけで勝てた
>@−(2)頭を使った上に運が味方してくれて勝てた

 時々あるのが、
@−(3)間違った選択をしたのに運が味方してくれて勝てた

これは、
・相手プレイヤーもミスをしていた。
・幸運に幸運が重なるぐらい運が良かった。

などのケースがあるのですが、この「間違った選択をしたのに勝った」
場合って、うれしさも半減(3分の1減くらい?)ですね。

 ただ、よくよく考えると、全くミスをしないプレイというのも
めったにないもののような気もします。

 さてさて、戦略的なゲームにおいて、最善手がよくわからないのは、
きっと相手の出方によって、左右される度が大きいからだと思います。

 勝利を目差して最善手をとるとして、エルグランデでは最初の行動で
どの行動を取ったとしても、勝利の可能性があると思われます。
勝利の可能性をどれだけ高められるかがポイントとなるわけです。

 行動の結果に対する相手プレイヤーのレスポンスにより、勝利の可能性が
変化します。

 そして行動の積み重ねによって、徐々に勝利の針の振幅が狭まっていって、
どんな行動を取ったとしても、片方の勝利が不可能になる時が投了状態という
ことになります。

 戦略的なゲームではその勝利の針の綱引きが、毎ターンの行動という
イメージなので、きっとはっきりとした最善手というのがわかりにくいのでしょう。

 戦略的なゲームにおける勝利を表現するこの”綱引き理論”、どんなもんでしょう。
 ではでは、また来週。

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週刊ボードゲーム通信238号「ボードゲームで勝つこと」その2 返信  引用 
名前:    日付:3月21日(月) 0時23分
ボードゲームで勝ったときには、「なぜ勝てたんだろうか」と、いつも考える。
勝てた原因のパターンは、次の3つくらいだと思う。
@運がよくて勝てた
A頭を使って勝てた
Bよく分からないがなんとなく勝てた

それぞれについて考えていこう。

「@運がよくて勝てた」
これは、以下の2通りに分けられる。
@−(1)頭を使わずに運だけで勝てた
@−(2)頭を使った上に運が味方してくれて勝てた

これまで、運ゲーの定義は特にしていなかったが、@−(1)のようなゲームがそれであると思う。
運ゲーかどうかを決めるラインは、運が勝負に関与する度合いではなく、勝利のために頭を使う意味があるか否かであると思う。
それにしたがうと、@−(2)のようなゲームは、運が重要な要素であっても運ゲーではない。
なお、前回に挙げられたエルランデの例は、@−(2)に当てはまる。

「A頭を使って勝てた」
これも、以下の2通りに分けられる。
A−(1)その場その場で合理的な選択肢を取り、その積み重ねで勝てた
A−(2)長い目で考えてプレイして最終的に勝てた

A−(1)のようなゲームは、合理性が基調とされる。真の最善手は分からないということは、前回テーマの戦略についての議論の中で挙がった事柄であるが、このタイプのゲームでは、最善手と思しきものは見えやすい。そして、その時その時に最善手と思われたものが、後からふり返ってみると違っていたということはそれほど多くない。これは、戦略的なゲームではなく、戦術的なゲームである。
A−(2)のようなゲームにおいても合理性が基調とされる。しかし、勝つためには、合理性のみならず直感が要求される。最善手を導き出すことが難しかったり、導き出されたとしてもその最善手があやしかったりするからだ。「ムダになるかもしれないが後々のことを考えると、ここにユニットを配置しておけば生きてきそうな気がするな」というように、直感的に行動を決めることも必要になる。これが戦略的なゲームの醍醐味だ。

「Bよく分からないがなんとなく勝てた」
初めてのプレイの場合、こういうことはよくある。
単に運がよかったために勝てたのかもしれないし、直感がうまく発揮できたのかもしれないし、他プレーヤーが下手だったからかもしない。
Bは、たぶん@かAのいずれかであろうが、いずれなのかがよく分からない場合がある。そういうゲームは、不思議なゲームだと感じられる。

今回は分類に終始した。

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週刊ボードゲーム通信237号「ボードゲームで勝つこと」その1 返信  引用 
名前:鱶(fuka)    日付:3月13日(日) 22時39分

 みなさんこんばんは。鱶(fuka)です。
 
 さてさて、「ボードゲームで勝つこと」とは。
以前、第89〜93号「プレイスタイルが違うプレイヤーの共存」の記事の時に、
どのようなプレイスタイルで勝利を目差すか、という話はありましたので、
今回は別の観点から考察できるでしょうか。

 ここで、やはり具体的なゲームを元に考察していったほうが分かりやすい気が
しますので、おなじみの「エルグランデ」で検討してみましょう。

 エルグランデでは、ゲームの最後のターンが終了するまで、
勝負の行方がわからないことが頻繁にあります。
最後のタワーの騎士をどこに投入するか、相手プレイヤーがどこに
配置してくるかで、最終順位がかなり変動する可能性があります。
 いくつかのボードゲームでは、ルール上のゲーム終了に至る前に、
ほぼ勝負がついてしまう、投了状態になることがあります。
 個人的には、最後まで勝敗が分からないゲームのほうが、
面白い気がしますが、とりあえず、同じゲームをした場合であれば、
当然、最後までもつれた状態が面白いでしょう。
 
 と、いうわけで横道にそれつつ、「ボードゲームで勝つこと」には
ルール規定どおりに勝つ場合と、投了状態(=相手プレイヤーの
白旗宣言)とがあります。

 ゲーム中、各プレイヤーは自分の勝利の可能性が高まるようにプレイ
しているはずです。
 エルグランデの場合はどうでしょう。
 3,6,9ターン目での行動は、自分の騎士が配置できるところで
最も高い得点が期待できるところに騎士を置いて行く行動が基本になります。
 その他のターンは、その布石をしなければなりません。そのために
あえて得点は低いけれど敵の騎士の少ない領土に配置するか、
高得点で多くの騎士がいるところに競りかけていくか、結構悩みどころがあります。

 そうして、様々な行動を積み重ねて、最終順位が出るわけですが、
同じ勝利でも、
・計算どおりの勝利
・紙一重で1位と2位を分けたのはちょっとした運という勝利
・人の行動のとばっちりを受けた人がいたので、たなぼた的勝利
 など、色々な勝利があります。
 
 私は、「紙一重で1位と2位を分けたのはちょっとした運という勝利」
が好きです。お互いにベストの戦略を尽くした後に勝敗を分けるのは
ちょっとした運だろうと。
 
 なんだか、戦略のテーマを引きずりつつ、次回へと続きます。
 ではまた来週。さようならー。

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週刊ボードゲーム通信236号「戦略の要素」その7 返信  引用 
名前:    日付:3月7日(月) 0時41分
前回の「面白くて戦略的なゲームを作るにはどうしたらいいんでしょうか。」という問題設定を検討する。

これまでの議論に従うと、一応存在する「最良の選択肢」を探すことが、戦略的なゲームの面白さということである。

「最良の選択肢」を探すことには、@「その場その場で」とA「先のことを考えて」の2パターンがあるだろう。
@は、その場その場における合理的な選択肢を取ることであり、ボードゲームには必ずあると言っていいようなものである。この選択の積み重ねによって勝利条件へと近づいていくのがボードゲームである。
これは、ボードゲームの面白さの1つである。しかし、戦略の面白さではなく戦術の面白さである。@しかできないゲームは戦略的ではない。
Aのように、先のことを考えて行動を決めることができるゲームが戦略的だ。そして、より先のことを見据えることができるゲームほど戦略的な度合いは強いと言えるだろう。

さて、「面白い戦略的ゲームを作ること」についてである。
それには、Aのやりがいが重要であると思う。
やりがいとは、「困難であること」と、「努力が報われること」である。
それぞれを説明すると、前者の「困難であること」とは、「最良の選択肢」を見つけることの困難さである。これに関しては、ボードゲームでは様々な工夫がなされてきた。ゲームの要素として金・勢力・カード等の複数のものを絡ませ、勝利条件を満たすためにはそれらの要素が総合的に必要とされるというのが代表的である。
後者の「努力が報われること」とは、頑張って考えるほど「最良の選択肢」に近いものを見つけることができ、その行動を重ねることで勝利に近づくということである。運の要素の強いゲームであれば、努力が無意味になり報われないことが多々ある。
この2つの要素が戦略的なゲームのポイントであろう。


ところで、戦略とは目的達成のためにとられる行為であり、ボードゲームの目的は勝利条件を満たす=勝つことである。
したがって、戦略について語るためには、勝つということについて考えるべきではなかろうか。
ここいらで、テーマを「ボードゲームで勝つこと」に絞るのはどうだろうか。

(これに関して私の側でビジョンがあるわけではないですが、こちらの方向へ進んでいけるようであれば試してみて下さい。それにしてはこの連載は戦略的でないですよね。)

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週刊ボードゲーム通信235号「戦略の要素」その6 返信  引用 
名前:鱶(fuka)    日付:2月27日(日) 23時2分
 みなさん、こんばんは。鱶(fuka)です。

 さてさて、前回の横さんの言では「戦略的な行動=最良の選択肢を見つける
ことは極めて難しいということである。正確に言うと、それは不可能である」
という点について考えて行きます。

 この言は確かにその通りで、棋士レベルの先読み能力が必要でしょう。
先読みとは、相手がどのように行動するかも考え、それに対する自分の行動を
考え…というように未来を予測していきます。
 戦略的なゲームでは、この取り得る選択肢が比較的多く、それに対する相手プレイヤーの選択肢も同様に
多いため、戦況が大きく変わっていく点で、最良の選択肢を見つけることは
「ほぼ不可能」な気がします。
 ただ、その状況状況での最良的選択肢は、厳然としてそこに存在すると思われます。
どれを選んでも勝利につながらないという不幸な場合もあるかとは思いますが、
ゲーム序盤ではそのようなことはないはずです。(ゲーム序盤でそういうことになってしまうゲームは戦略的なゲームではないということでしょう)
 無限の選択肢の中から、それを選び取ることの困難さといったらないですが。

 そのあたり、運ゲーにおいては最良の選択肢は存在し得ないわけですが…(言い切っていいのか?)。戦略的なゲームでは一応存在する「最良の選択肢」を探すことが
ゲームの面白さと言えると思うのですが、どうでしょう。
 
 ところで、面白くて戦略的なゲームを作るにはどうしたらいいんでしょうか。
 
 質問をしつつ、次回へ続きます。

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週刊ボードゲーム通信234号「戦略の要素」その5 返信  引用 
名前:    日付:2月20日(日) 23時46分
戦略的に行動することの難しさには2つある。
まず1つは、何が戦略的な行動かを判断することが難しい。たくさんの要素が交錯しているためである。
もう1つは、ある行動を戦略的だと判断したとしても、それを実行することが難しい。己の能力に限界があるためである。

現実世界とゲーム世界を比較すると、後者においては戦略的に行動することが格段に易しい。ゲーム世界は現実世界をモデル化したものであるからだ。ボードゲームのやりがいは、ここにある。

現実世界に関して、冒頭で述べたことにもう少し説明をつけくわえる。
なお、「戦略的に」という堅苦しい表現は、「長い目で見て」とか「目標を達成するために」とか「よい人生を全うするために」というような意味で捉えればよいだろう。

まず、戦略的な行動=最良の選択肢を見つけることは極めて難しいということである。正確に言うと、それは不可能である。後になっても、その選択肢が最良であったかどうかは分からないからである。なので、考えられる範囲内で最良と思しき選択肢を検討することとなる。妥当そうな選択肢を見つけることは、まだほどほどに可能なことである。しかし、それを実行することの困難さはたいへんなものである。「こうすればよい」と分かっていても、そのほとんどは実行できない。それが現実である。つまり、生きていくことはとても難しいのである。

そう、現実世界はわけが分からない。そして自分は非力だ。
しかし、ゲーム世界は分かりやすい。そして自分には力がある。戦略的に行動することが可能な世界なのである。そりゃ楽しいだろう。

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週刊ボードゲーム通信233号「戦略の要素」その4 返信  引用 
名前:鱶(fuka)    日付:2月13日(日) 22時6分
 みなさんこんばんは。鱶(fuka)です。
 前回に引き続き、戦略の考察です。

 我々は、他プレイヤーの行動を推測して、それを考慮に入れた上で
自身の戦略行動を決定します。

 その「他プレイヤーの行動」ですが前回の横さんの指摘では、
「合理性と非合理性とランダム性によっている」とのことでした。

 私の場合は、かなり合理的に行動しようとしている気がします。
例えば、ブロックスでは、ほぼいつも5マスのブロックを使い切ってから
4マスのブロック→3マスのブロックという風に使っていきます。
 フィストオブドラゴンストーンの入札額がすぐ読めると金七さんには指摘されて、
大負けしていました…。
 よって、完全に合理的な行動=戦略的な行動とはいえないようです。
 相手にすぐ読まれてしまうほど合理的な行動は、戦略的ではなく、
かといって合理的でない行動はそもそも戦略的とはいいがたいものがある。
 
 ということで、なんか堂々巡りになってしまいそうですが…。
 
 結局は、相手の行動を100%知ることができない以上、
その相手の行動予測をもとにした行動は、完全な精度を備え得ないため、
考えうる相手の行動の範囲内で、最善手を打つことが必要です。
 エルグランデの場合はそうやって考えた一手が、結局
スペシャルアクションのカード運で左右されてしまう、
そのはかなさがいいのかもしれません。

 現実世界でも、様々なことを予測できるとしても、
天候の急変や、甲子園の浜風など、100%予測不可能な「運」
の要素が入ってきます。
 そこまで計算に入れた行動が戦略的なのでしょうか。
 
 なんだかわからなくなってきましたが、戦略的な行動と、
その先にある「神の一手」に近づくことができますよう、
次回に続きます。

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週刊ボードゲーム通信232号「戦略の要素」その3 返信  引用 
名前:    日付:2月6日(日) 23時17分
行動によって戦略的度合いに違いがあるのかどうかを考えてみようと思います。

「エルグランデ」では、そのターンに点数を多く獲得することにとらわれることなく、コンスタントに点数を獲得して合計で一番高い点数になることを目指さなければなりません。それが戦略的ということです。
なら、タワーにユニットを投入することは戦略的度合いの強い行動と言えるのでしょうか。
タワーのユニットは時間的に後になって登場するため、領土に配置することと比較すると、より戦略的であるような感じはします。
しかし、確保し続けなければならない重要な領土に多くのユニットを配置したり、あまり点数のない領土にユニットを配置するような行動もまた戦略的です。
むしろ、先が見えないのでとりあえずタワーに投入するということもよくあります。
タワーへの投入が戦略的度合いの強い傾向のある行動だということは、言えなさそうです。

また、領土への配置に関しても、点数の高い領土に多くのユニットを配置して苦労して点数を獲得することと、点数の低い領土で楽に点数を獲得することのどちらが戦略的度合いが強いかは、その時の状況によりますし、そもそも判断がつかないことが多いです。
同様に、数値の高い手札を温存することと、数値の高い手札をどんどん使うことを比較すると、どちらの方が戦略的度合いが強いかは言えないでしょう。

「エルグランデ」では、プレイ開始後の運の要素は、毎ターン並べられるカードだけです。
各プレーヤーの行動によってゲームは進んでいきます。
なので、前回で「他プレイヤーの行動が戦略と非常に密接にかかわっている」と述べられたことがよく当てはまるゲームだと思います。

では、他プレイヤーの行動とは一体何なのか?
その成立は、合理性と非合理性とランダム性によっているのではないかと思います。

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週刊ボードゲーム通信231号「戦略の要素」その2 返信  引用 
名前:鱶(fuka)    日付:1月30日(日) 21時3分
 みなさんこんばんは、鱶(fuka)です。

 「ボードゲームの要素」シリーズでとうとう「戦略」の要素を
考察することになりました。
 私はボードゲームの二大要素は「戦略」と「運」だと思っています。
 
 「戦略」の要素が適切であるか否かが、ボードゲームの面白さの
非常に大きな部分を占めています。
 ボードゲーム上の行動には、常に判断が必要です。判断は、
どのように行動すれば勝利につながるのかという事を考え、下していきます。

 戦略性のないゲームは、その時々の「判断」が、勝利にはつながっていきません。
すごろくでは、判断する場面がほとんどなく、自分の手番にふるさいころの目が
最も重要だったりします。
 
 逆に戦略性が強すぎるゲーム、例えば将棋や囲碁などは、何百手も先を読んでいく
必要があったりして、普通のボードゲーマーではちょっと楽しみづらかったりします。


 ボードゲーム通信社 <緑緑支局>のページの戦略の項では、

 5(やや強い)
 4(適度)
 3(やや弱い)
 2(ほとんどない)
 1(高度)

というように点数をつけています。
 「やや強い」が5点というのは、きっと評価の分かれるところだと思いますが、
「やや強い」と「適度」の線引きはどこなのかという気もします。
 まあ一番の問題はボードゲームのプレイ機会の少なさなどにより、
http://www.geocities.co.jp/Playtown-Rook/1377/R2.htm
評価表が全然更新されてないことですが…。

 
 私が戦略の点で最高点をつけているゲームは「エルグランデ」ですが、
どんなもんでしょう。敵プレイヤーとの思惑のぶつかりあいにより、
より戦略的になります。
 一つ確認を。「戦略」が生まれるのは2人以上ゲームですよね。
「上海」なんかは一人でも非常に考えさせられますけど、
一人で考えるのはパズルということですかね。

 というわけで、前回言及された「いろいろな要素」のなかには
必ず「他プレイヤーの行動」が入っている気がします。
 この「他プレイヤーの行動」は戦略と非常に密接にかかわっていると言えそうです。

 ではまた来週。
 
 

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週刊ボードゲーム通信230号「戦略の要素」その1 返信  引用 
名前:    日付:1月23日(日) 23時13分
前回で触れられたとおり、戦略の要素はボードゲームの中核的なものです。それゆえに論じることは難しいです。
なので、手探りで進めていこうと思います。

戦略については、半年ほど前に少しだけ述べたことがあります。
以下に、「第198号 静的な要素と動的な要素(その4)」より引用します。

------
戦略は一般的に以下のように説明される。
「戦略とは、目的達成のためにとられる行為をいう。そして戦略は、(自らの)システムと外部環境との間の関連について広く考察し、比較的長期にわたる未来志向的で不確実な事柄の意思決定を行う。」(『生産システム工学』P.44、人見勝人著、2001年、共立出版)
ボードゲームに照らし合わせると、「目的達成」とは勝利条件を満たすことである。
(注1)戦略と対応する言葉として、戦術がある。戦術とは、戦略に基づいて個々の仕事を実施する行動を意味する。戦術は、システム内部の短期的な、比較的確定した事柄について定型的に意思決定する。ボードゲームに照らし合わせると、戦術は各サブシステムでの合理的な行為となる。
(注2)シュミレーションゲームはその再現規模に応じて、戦略級、作戦級、戦術級という分類が一般的になされている。しかし、この分類は戦略性の度合いとは一致しない。戦略級ゲームは戦略性が高く、戦術級ゲームは戦略性が少ないという相関関係はない。
------

この引用を参考にして、戦略について考えていきます。
戦略についての一般的な説明は他にもあるでしょうが、ボードゲームにおける戦略とは何かを念頭に置かないとピンと来ないと思います。

とりあえずは、ボードゲームにおける戦略とは、長い目で考えることとなるでしょう。
それは、目先の利益にとらわれずに行動することです。短期的には損をしても、長期的には得になれば、戦略的な行動だと言えます。
戦略とは何なのかということは、意味としてはこのように単純ですが、どの行動を取れば戦略的であるかを判断することは難しかったり易しかったりします。
いろいろな要素が絡み合っているボードゲームでは、長期的に見て得になる行動を見つけることは難しいです。他方、いろいろな要素が絡み合っていないシンプルなボードゲームであれば、易しいです。
前者は戦略性が高いゲーム、後者は低いゲームということになります。
人によって好みが分かれはしますが、戦略性の高さはゲームのできがよさの1つの要素です。
このように、戦略性の高さというと長い目で見て考えることとなりますが、長い目で考えることじたいの難しさが相俟ってこそだと思います。

それから、他に思い浮ぶことがあります。
戦略は計画だということです。
計画とは、ゴールに向かって一歩一歩進んでいくための道筋です。
戦略性が高いゲームでは、長期的な計画を立てることができます。そして、その計画を進めていくことができます。そういうことをしないと勝てないのが、戦略性が高いゲームです。
戦略性が高いゲームでは、努力が報われます。だからおもしろいのです。

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週刊ボードゲーム通信229号 ボードゲームの要素について「アクションの要素」 その3 返信  引用 
名前:鱶(fuka)    日付:1月16日(日) 22時2分
 みなさんこんばんは。鱶(fuka)です。
 
 「普通」のボードゲーム的にはやっぱりアクションの要素は異質といえます。
 ボードゲームといえば、現実の出来事(戦争、競争、商売…etc.)を抽象化し
ゲームとして楽しめるようにしたものが多くあります。
 本当に戦争をするわけではなく、コマやカードを代用して戦いを再現し、
こども銀行の紙幣で商いをするわけです。

  しかるに、アクションの要素は、何かを抽象化しているにせよ、その行為自体は
現実世界のものなのです。この辺が、異質さにつながっているのではないかと思います。
 そして、アクションの要素を含むゲームの多くのものがアクションゲームだと思うのですが、
この異質さをうまくゲームとして取り込めていないのかもしれません。
 
 「普通」のボードゲームは数回プレイしていくうちに、プレイ技術が向上していくものですが、
指先技術の向上はそこまでは見られないために、あまりゲームとしての変化が無く、
面白くない、というような趣旨のことを、以前に金七さんが言ってた気がします。

 シリーズ3回目にして、書くことがなくなってきた気がするのが
アクションの要素のいまいちさ、とまで言っては言いすぎでしょうか。
(自分でチョイスしといて…)

 ところで、今回が「アクションの要素」、前には「推理の要素」と、どうも
ボードゲームの辺境地帯に足を踏み入れている気がします。

 王道といえば「戦略」の要素だと思うのですが、ボードゲームの中心地に
高くそびえ立つ塔のようで、非常に攻略困難です。
 横さん、先陣いかがですか?

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Re: 週刊ボードゲーム通信229号 ボードゲームの要素について「アクションの要素」 その3
名前:    日付:1月20日(木) 22時10分
戦略のこと考えます。 218-251-70-94.eonet.ne.jp (218.251.70.94) Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows 98)

週刊ボードゲーム通信228号 ボードゲームの要素について「アクションの要素」 その2 返信  引用 
名前:    日付:1月10日(月) 1時36分
アクションの要素というと、昔からあるゲームが真っ先に思い浮かびます。
おはじき、将棋くずし、消しゴム落とし、10円落とし、かるた、など。

ボードゲームでもわりとあります。
ジェンガ、ヴィラパレッティ、カイロ、クロンダイク、宝の滝、ピット、ワードバスケット、ぐらぐらカンパニー、など。

こうして見ると、どれもルールが簡単なゲームです。そして子供向きのゲームが多いです。
アクションの要素は子供向きなのでしょうか。

ところで、ドイツゲームの特徴の1つとして、子供向きゲームが多いということがあります。オトナ向きのドイツゲームが増えたのは、むしろこの10年です。
他方、アメリカ製のボードゲームには、子供向きゲームが少ないです。そういえば、アクションの要素が入ったアメリカ製のボードゲームは思い浮びません。

ドイツゲームは理屈っぽいイメージが強いのですが、アクションの要素がたまにある印象もあります。それは、子供向きのゲームの多さからでしょうか。
では子供向きのゲームとはいったい何か、ということを考えてみたくなりますが、それはとりあえず保留しておきます。

アクションの要素について、もう少しさぐってみます。

・コンポーネント
アクションの要素をゲームに含ませるためには、コンポーネントが重要と思われます。
コンポーネントとして代表的なものは、2種類でしょう。
1つは、積んだり、押したり、弾いたりすることができるものです。固くて適度な大きさのもので、素材は木やプラスチックです。
もう1つは、カードです。リアルタイムでカードを取ったり、出したり、やり取りするゲームで使われます。

・面白さ
アクションの要素の入ったゲームで面白いものはあまりないと思います。
それはなぜなのか。
アクションの要素は戦術的なものであり、戦略性と調和させることは難しいのか(これは前回での言及。そうだとすると、戦術と戦略の調和とはどういうことか)。
子供を対象としたゲームであるからなのか(そうだとすると、子供向けゲームはなぜオトナには面白くないのか)。
人によって好き嫌いが分かれやすいのか(そうだとすると、なぜ分かれやすいのか)。

ただ、アクションの要素が入っていると、「いちどやってみようか」という気にさせられます。
そこが強みなのですが、目新しくはあってもすぐに興味が失せてしまいがちです。

読者の皆様、アクションの要素の入ったゲームで、なかなか飽きないものや、戦略性のあるものがあれば、お教えください。

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週刊ボードゲーム通信227号 ボードゲームの要素について「アクションの要素」 その1 返信  引用 
名前:鱶(fuka)    日付:1月1日(土) 0時42分

 みなさん、あけましておめでとうございます。
 ボードゲーム通信も無事2005年を迎えることができました。
 
 新年一発目のテーマは、久しぶりにボードゲームの要素のシリーズに戻りまして、
今回は「アクションの要素」ということにしました。

 
 ”普通”のボードゲームには含まれない要素ですが、ドイツゲームでいえば
私は「へらじかの森」が一番印象に残っています。
5,6年前、シュピーレブルクで店長さんに説明を聞いて、え?と思ったのは
私だけではないはず。
 「コマを指ではじく」というのは、なんと懐かしいことでしょう。
中学校のときによく遊んだ「消しゴム落とし」を思い出してしまいました。
ただ、このヘラジカの木片に数千円を支払う気にどうしてもなれず
購入を見送ったのですが…。

 他にもアクションの要素があるものといえば、コマを積んでいく系、
不安定な場からコマをとっていく系なんかがあります。

 どちらかといえば指先の器用さを競うようなゲームが多く、
ルールのほうは簡単めなので、初心者&パーティOKといった感じです。
 私は「キピット」という積んでいく系のゲームを持っています。
 (ゲームの内容は週刊ボードゲーム通信バックナンバー45号を
ごらんください…ページを送っていくのが大変ですが)

 アクションの要素を持つゲームの多くのゲームが、アクションゲーム
です。
 やっぱり”普通”のボードゲームにアクションの要素を上手く含ませることは
難しいんですかね。
 指先の器用さを競う「アクション」を戦術として、その勝ち負け以上に
戦略的な要素を含むゲームというのはなさそうですかね。

 ではでは。また来週に続きます。
 みなさん、今年もよろしくお願いします。
 

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